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宗教や信仰についての雑記 #210

◯走っていた人

先日、ある駅のホームで白髪の初老の男性が走っていました。
その男性は若い母親の連れた5歳くらいの男の子の肩にぶつかり、その弾みで男の子は転んでしまいましたが、男性は一度も振り向くことなく走り去ってゆきました。

私も乗り換えに間に合わせるため、しばしば駅で走ることがあります。その光景はそんな私への警告だったように感じました。
自分の都合ばかりに気を取られて、気づかぬうちに他者を傷つけているかもしれない、というメッセージのようにも思えたのです。

でもその後よくよく考えてみると、そんなメッセージを見つける眼があっても、そのメッセージを実際の生き方に活かすだけの知恵や力や勇気がなければ、メッセージを受け取らなかったのと同じだとも思いました。
また逆に、そのような眼を持っていなければ、いくら知恵や力や勇気があってもあまり意味がなく、宝の持ち腐れとなってしまいます。

それら両方を育むことが、生きてゆくうえでは大切なことなのでしょう。瞑想や祈りや修行はそのためにあるのだと思います。
でもその一方で、現実にはそんな理想通りの生き方をできる人は、なかなかいないような気もします。
メッセージを見つける眼を持っていても、知恵や力や勇気がどうしてもそれに追いつかない、そんな哀しみを抱えている人は意外と多いのかもしれません。
親鸞聖人の「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」という言葉は、そんな哀しみを踏まえたものなのでしょう。

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