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宗教や信仰についての雑記 #216

◯羨む

街なかで、高級車に乗っていたり、大きな家に住んでいたりする人を見て、羨ましく思うことがよくあります。
ご存知の通り、この羨望とは、他者の持つ能力、所有物、経験などを自分に欠けていると感じ、それを強く欲する感情です。

この羨望が、人間関係を複雑化させ、自己肯定感を低下させるなどして、様々な問題を引き起こすことは少なくありません。
でもときに、羨望の対象を自己成長の目標に変えて、羨望を建設的なエネルギーに変えることができる場合もあるようです。
でも、人の性格や能力や、その置かれた状況などは様々なので、誰もが羨望をポジティブな方向へ向けられるわけではありません。
むしろ、そうできない人のほうが大多数であるような気がします。

羨望に対処するための言葉に、「他人と比較するのはやめよう」とか「物の豊かさより心の豊かさのほうが大切だ」とかいったものがありますが、自分自身の心をそのような方向に持ってゆくのは意外と難しいものです。
イエスが「心の貧しい人は幸いです」と説いたのは、そのような人が多いことの表れのようにも思えます。

前回の投稿で「超越者の延長された自己」ということを書きましたが、自分が気づかぬうちに、あるいは生まれたときから「超越者の延長された自己」であったと思うことが、羨望に対処するのに有効かもしれないと感じ始めています。
自分はそのような存在として、歩むべき道を今歩んでいるのだと、そう思うことができれば他人と比較することも減るでしょう。

ならばその「超越者の延長された自己」としての具体的な役割は何かというと、はっきりとしたことはわかりません。でも私の場合は、もしかしたら、自分の心の貧しさから目をそらすことなく、それを見つめて、考えたり表現したりし続けることなのかもしれないと、そんなふうにも思うのです。

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