F.マイケル

宗教とはほぼ無縁の生活をしていながら、宗教多元主義に惹かれている者です。

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宗教や信仰についての雑記 #0

◯はじめに この投稿は宗教や信仰に関して、私が個人的に感じたり疑問に思ったりしたことを記すものです。 これはこのような話題について話し合う人がいないので、この場…

F.マイケル
3か月前
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宗教や信仰についての雑記 #111

◯試しに考えてみたこと 先日、瞑想の真似事をしているときに、「全然合理的でなくてもいいから、直感的に感じたことを言葉にしたほうがうまくいくのではないか」と思い、…

F.マイケル
18時間前
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宗教や信仰についての雑記 #110

◯ツツジの毒 先日、ツツジの花の蜜には毒があるという話を聞きました。 ツツジは漢字で「躑躅」と書きますが、この字は「てきちょく」とも読み、足踏みすること、ためら…

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宗教や信仰についての雑記 #109

◯調和について⑥ 先日、障害者の方が映画館への来場やネコバスへの乗車を拒否される、というニュースを見ました。 そのことについて、祈りや調和といった観点から考えて…

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宗教や信仰についての雑記 #108

◯調和について⑤ 先日、調和についていろいろと調べていたところ、「調和は静的なものではなく、動的なプロセスである」という文章に出逢いました。 我々を取り巻く常に…

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宗教や信仰についての雑記 #107

◯調和について④ 以前の投稿(#74)で「罪の自覚」ということを書きましたが、調和のという点から観た罪とは何か、ということを考えてみました。 まず思い浮かんだのは…

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宗教や信仰についての雑記 #106

◯調和について③ 前回、生命とは残酷なものであるから、我々は努力して調和を実現させなければ生き残れない、と書きました。 また以前の投稿で(#100)、生きるとは祈る…

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宗教や信仰についての雑記 #105

◯調和について② 前回、生命とは素晴らしいものであると同時に、残酷なものなのだとも言えると書きました。 そんな生命の進化の果に我々が生まれ、生命は知性を持つに至…

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宗教や信仰についての雑記 #104

◯調和について① 先頃、「調和」ということについて考える機会がありました。 「調和」ということは、東西の様々な宗教で大切なもの、目指すべきものとされているようで…

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宗教や信仰についての雑記 #103

◯「少欲知足」 つい先日、久しぶりに「少欲知足」という言葉に触れる機会がありました。 この言葉は、物や金銭、地位や名声といったものへの欲を少なくして足るを知るこ…

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宗教や信仰についての雑記 #102

◯心頭を滅却すれば? 先日、混雑した電車に乗っているときに、「心頭を滅却すれば火自ずから涼し」という言葉をふと思い出しました。 心頭を滅却すればこんな混雑した不…

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宗教や信仰についての雑記 #101

◯「なぜ私だけが苦しむのか」を読んで⑥ 前回、祈ることと生きることとは表裏一体と書きましたが、実際の日常生活の中では、些細なことで落ち込んだり怒ったりしていて、…

F.マイケル
10日前
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宗教や信仰についての雑記 #100

◯「なぜ私だけが苦しむのか」を読んで⑤ 今回は前回の投稿についての個人的な感想です。 人が不完全な人を愛せるように、不完全な世界をも愛せるのではないか、とのこと…

F.マイケル
11日前
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宗教や信仰についての雑記 #99

◯「なぜ私だけが苦しむのか」を読んで④ この本の最後で著者は、正しい人々になぜ悪いことが起こるのか、という問に答えはあるのかと自問しています。 そして「答え」と…

F.マイケル
12日前
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宗教や信仰についての雑記 #98

◯「なぜ私だけが苦しむのか」を読んで③ この本では、人々に降りかかる不幸は様々な要因が重なって起きたことで、神がもたらしたものではないとしています。 ならばその…

F.マイケル
13日前
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宗教や信仰についての雑記 #97

◯「なぜ私だけが苦しむのか」を読んで② この本にはまた、ユダヤ教の不適切な悪い祈りについても書かれています。それは、 ・自然の法則に反する不可能なことの祈り ・他…

F.マイケル
2週間前
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宗教や信仰についての雑記 #0

宗教や信仰についての雑記 #0

◯はじめに

この投稿は宗教や信仰に関して、私が個人的に感じたり疑問に思ったりしたことを記すものです。

これはこのような話題について話し合う人がいないので、この場を借りて記しておきたいという個人的な理由で投稿するものです。

他の方々は宗教や信仰についてどのように考え、感じているかを知りたいと思いますので、そのような問いかけに対してコメントをいただければ嬉しいです。

私と同じように、このような

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宗教や信仰についての雑記 #111

宗教や信仰についての雑記 #111

◯試しに考えてみたこと

先日、瞑想の真似事をしているときに、「全然合理的でなくてもいいから、直感的に感じたことを言葉にしたほうがうまくいくのではないか」と思い、以下のようなことを考えました。

この身体は孵卵器である
それもシングルユースの
使い捨ての孵卵器である

孵卵器は必要で
大切なものであるが
主役ではない

主役は卵である
しかし卵は卵であるが故に
殻に包まれ
受信しかできない

この

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宗教や信仰についての雑記 #110

宗教や信仰についての雑記 #110

◯ツツジの毒

先日、ツツジの花の蜜には毒があるという話を聞きました。
ツツジは漢字で「躑躅」と書きますが、この字は「てきちょく」とも読み、足踏みすること、ためらうこと、という意味があるそうです。
ツツジにこの字が当てられた理由は、一説には、羊が誤って食べると毒で動けなくなってしまうから、とのことです。

生物には体内に毒を持っているものが少なくありません。それらは我々にとってはありがたくないもの

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宗教や信仰についての雑記 #109

宗教や信仰についての雑記 #109

◯調和について⑥

先日、障害者の方が映画館への来場やネコバスへの乗車を拒否される、というニュースを見ました。
そのことについて、祈りや調和といった観点から考えてみました。

障害者の方の様子を見たり、話を聞いたりして気の毒に思うことは、人として当然のことだと思います。
でもそのような気の毒な思いをそのままで済ましておいては、調和へは近づくことはできないでしょう。

以前の投稿(#25,26)で、

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宗教や信仰についての雑記 #108

宗教や信仰についての雑記 #108

◯調和について⑤

先日、調和についていろいろと調べていたところ、「調和は静的なものではなく、動的なプロセスである」という文章に出逢いました。
我々を取り巻く常に環境は変化していて、世界を構成する物や人もまた常に変化しているためだそうです。

おそらく調和とは一度達成すればそれで良い、というものではなく、常にそれを求め続けなければならないものなのでしょう。

もし調和ということが、大いなるのから我

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宗教や信仰についての雑記 #107

宗教や信仰についての雑記 #107

◯調和について④

以前の投稿(#74)で「罪の自覚」ということを書きましたが、調和のという点から観た罪とは何か、ということを考えてみました。

まず思い浮かんだのは、この場合の罪とは調和への道を妨げること、ということです。
調和への志向を乱し、阻み、後戻りさせるような思いや言動のことだと思いました。

でも事はそう単純でもなさそうで、「調和を乱すな」という言葉のもとに個人の自由が奪われるといった

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宗教や信仰についての雑記 #106

宗教や信仰についての雑記 #106

◯調和について③

前回、生命とは残酷なものであるから、我々は努力して調和を実現させなければ生き残れない、と書きました。
また以前の投稿で(#100)、生きるとは祈ること、祈るとは生きること、とも書きました。
そう考えると、調和の実現とは祈りの目指すものであると同時に、調和への志向は祈ることの条件でもあるような気がします。

また前回、我々が「調和」という概念を獲得したのは、やがて訪れる限界の予兆

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宗教や信仰についての雑記 #105

宗教や信仰についての雑記 #105

◯調和について②

前回、生命とは素晴らしいものであると同時に、残酷なものなのだとも言えると書きました。
そんな生命の進化の果に我々が生まれ、生命は知性を持つに至りました。

知性を持つということは、自己を認識するということでもあります。
自分を取り巻く環境と、自分自身の中にも、収奪と闘争をもたらす残酷さがあることを、人間は認識しました。

そして知性を持った人間は言葉を獲得しました。
その言葉に

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宗教や信仰についての雑記 #104

宗教や信仰についての雑記 #104

◯調和について①

先頃、「調和」ということについて考える機会がありました。
「調和」ということは、東西の様々な宗教で大切なもの、目指すべきものとされているようです。
調和が大切であることは当然のことで、言うまでもないことのように思われています。
でもなぜ、様々な文化や宗教で「調和」がこれほど重要視されているのでしょう。

調和の対義語を調べてみたら、一つではなくいくつも出てきました。
・不調和

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宗教や信仰についての雑記 #103

宗教や信仰についての雑記 #103

◯「少欲知足」

つい先日、久しぶりに「少欲知足」という言葉に触れる機会がありました。

この言葉は、物や金銭、地位や名声といったものへの欲を少なくして足るを知ることが、人生の苦悩を減らすことにすつながる大切なことだという意味だと思います。

無論、これは欲を少なくするということで、全くなくすことではないのは言うまでもないでしょう。
この少なくするということは即ち「身の程を知る」ということなのだと

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宗教や信仰についての雑記 #102

宗教や信仰についての雑記 #102

◯心頭を滅却すれば?

先日、混雑した電車に乗っているときに、「心頭を滅却すれば火自ずから涼し」という言葉をふと思い出しました。
心頭を滅却すればこんな混雑した不快な状況も気にならなくなるかなと、そんなことを思いました。

でもよくよく考えてみれば、熱いものに触れたとき思わず手を引っ込めたりする行動というのは、脊髄反射によるもので、脳による判断は介在していません。
まあ普通に考えれば、「心頭を滅却

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宗教や信仰についての雑記 #101

宗教や信仰についての雑記 #101

◯「なぜ私だけが苦しむのか」を読んで⑥

前回、祈ることと生きることとは表裏一体と書きましたが、実際の日常生活の中では、些細なことで落ち込んだり怒ったりしていて、負の感情を抑えて平常心保つことがなかなかできないでいるのが現実だと思います。

そんなことを考えていたとき、ひとつの疑問が湧いてきました。
それは、起きてしまったことにどう応えるのかという問いかけや、不完全な世界を愛するということは要請や

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宗教や信仰についての雑記 #100

宗教や信仰についての雑記 #100

◯「なぜ私だけが苦しむのか」を読んで⑤

今回は前回の投稿についての個人的な感想です。

人が不完全な人を愛せるように、不完全な世界をも愛せるのではないか、とのことでしたが、今の世の中には「毒親」という言葉があり、どうしても愛せない親もいます。また、様々な心の病から人を愛することができない人もいます。
そのようなことも含めた不完全な世の中を愛するためには、相当の心の強さが必要だと感じます。

おそ

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宗教や信仰についての雑記 #99

宗教や信仰についての雑記 #99

◯「なぜ私だけが苦しむのか」を読んで④

この本の最後で著者は、正しい人々になぜ悪いことが起こるのか、という問に答えはあるのかと自問しています。
そして「答え」という言葉には「説明」という意味の他に「応答」という意味もあり、その意味であれば答えを見つけられるとしています。

それは問の形が変わってしまったということであり、それは、悪いことがなぜ起こるかの説明ではなく、起きてしまったことに対してあな

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宗教や信仰についての雑記 #98

宗教や信仰についての雑記 #98

◯「なぜ私だけが苦しむのか」を読んで③

この本では、人々に降りかかる不幸は様々な要因が重なって起きたことで、神がもたらしたものではないとしています。
ならばその不幸や苦悩には何の意味もないのか、という問に対して著者は、それらの不幸な出来事はその発生時には意味はないが、我々がそれに意味をもたせればいい、と答えています。

でも私個人の感覚では、人は意味の見いだせない苦悩には耐えられないと思います。

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宗教や信仰についての雑記 #97

宗教や信仰についての雑記 #97

◯「なぜ私だけが苦しむのか」を読んで②

この本にはまた、ユダヤ教の不適切な悪い祈りについても書かれています。それは、
・自然の法則に反する不可能なことの祈り
・他者を傷つけるような復讐のための祈り
・己の勤めを神に代行してもらうめの無責任な祈り
の3つの祈りだそうです。
自分の願いを叶えてもらうために無理なことを祈ったり、誰かを憎んで呪ったり、自分が努力して行うべきことを神に頼んだりするようなこ

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