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#115 nostalgieq?

本日も無事6時30分に起床する。
かなり習慣化されてきた感がある。嬉しい。
寝覚めは微妙。
寝覚めについてももう少し記録して、法則性のようなものを得たいところ。
体調はぼちぼち。これから頭痛になりそうな予感。だが、現時点では平気。
病気不安は緩解気味。これはちょっとしたことですぐにまた再発するから、あまり気にしなくてもいいと思う。いちいち振り回されていたらたまったものではない。が、記録すると得られるものがありそうなので、とりあえず何でもかんでも記録してみようかと思っている。
記録こそ人である。

起床後、白湯を飲みつつ録画していたNHKの「日曜美術館」をみる。
モデルや俳優の日常のようでたいへんよろしい。幻想という名の悦に浸る(それを一般的には自己満足と呼ぶ)。
やはり、写真よりも絵に私は反応するようだ。それはほぼ確定といっていいだろう。
知らない用語がちらほら出てきたので番組視聴後に調べて楽しんだ。人は分類するのが本当に好きな生き物なのだなぁと感じる。そうやって生存してきたのだろう。
そして美術の連中の視覚の発達や記憶力に恐れ入る。
まぁ、勿論これもピンキリなのだろう。しかし、それにしてもすごい。
自分には出来ないから、どうしたってそう感じてしまう。
自分本位の思考法。

朝食後、いつものようにnoteを開く。すると、昨晩書いた記事のタイトルの綴りが誤っていることに気付く。

正確には「antique」だ。
だが、「antieq」という字面が気に入ったので、そのままにしておくことにした。これも偶然性の一例。

ノスタルジックなモードに歯止めがかからない。
私は過去を参照し、勝手に寂寞を抱えている。難儀な奴だ。
こうしたこころの状態は定期的に訪れる。
どちらが「平時のこころ」なのか最早分からなくなってきた。
もしかすると元気な時こそが異常なのかもしれない。
その辺りも記録を拠り所にした観察によって自己への理解を深めたい。
自己の理解は他者の理解であるとも感じる。


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