#32 「人を恨めるだけまし」
#31で宮沢君が講義で感じた泣くほどの衝撃。大学の災害の授業で、人を恨めるだけまし、という教授の言説をきいたらしい。災害は人を恨んでもどうしようもない出来事だ。
受動的で自分ではどうしようもない現実をどのように受け入れるかということだ。あきらめの感情。なんで自分がこんな目にあうのかという理不尽さ。それは災害に限らない。
なんでこんなことになったのか?不慮の事故・思いもしなかった不幸。公害の被害者はかつて、怨、と書いた。被ったことを元に戻せなしという怨念。怨念は全部ではないにしろ晴らしようがある。
天を恨む。そうとしか言いようのないことがある。そこに神は存在するか?第二次大戦のスターリングラードの地獄の戦いで、兵士は、神はいるのか、と問うた。
諦め。仕方がない。しょうがない。方法もない。しかし生きている事実はある。かつてはそんなことが日常だった。科学はそれを克服した。しかし、科学は適応範囲を自重する。それは人間とはなにかという問いを留保をする謙虚さを持つ。
天への恨みは、人智をこえる。そのとき、水に流す、なかったことにする。それには時間がかかる。それは生きる知恵になる。新年年越し。一からやりなおす。祈る。そういう形式を知恵として準備してきた。
人生は計画通りだろうか?あってはならないことが起こり続ける。遅刻するし、モノをなくし、嘘もつき、大根が虫に食われ、運動会は雨になり、受験に失敗し、会社のトラブルに巻き込まれる。それが起こった以上対処するいしかない。
知識と情報のある世界は勉強したらよい。勉強ではない世界があることを知らねばならない。感情は勉強ではわからない世界である。積極的な受動性でしか動かしようがない感情の絡まる世界があること。そこに知恵が生まれる。
宮沢君の泣くほどの感情とはそのような世界から来たのだと思う。