“右の頬をぶたれたら左の頬をさしだしなさい”は間違っている。我が敵よ、これからも敵であろうではないか、そして高め合おうではないか。弱者のための奴隷道徳などいらない!こういう偽善は許さない!
ハヤテのごとく44話のマリアさん:反悲劇のヘロイン、Herodiasタイプの天敵( Play, Salome by Oscar Wilde. 劇、サロメ、オスカーワイルド作)
リアクション芸人(上島竜兵、出川哲朗)には日本古来の美徳である「慎ましき家内」「供物としての嫁」に宿るのと同じ『したたかさ』がある。 それは【自発的隷従】の精神による発露だ。 根強さ=全託の覚悟への執着 誕生し存在することは全身全霊のガチホ長期投資 力への意志=『執着への執着』
今日のひとことはニーチェです。彼は〈力への意志(Wille zur Macht)〉はあらゆる感情の源泉であると同時に「原初的な感情形態」であると、絶えず語り続けました。人間が喪失し価値を失くしたもの、〈取り戻されるべきもの〉としての意志は、時に冷笑的でもあり、そして無垢なのです。
「自己目的化した情報体:強いAIの出現について」 強いAIとは現在〈世界経済〉と呼ばれているソレのことだろう。 意志を持つ人間を教育して指導する〈力〉を有する唯一の存在。 忌避すべき存在として揺るぎない地位を確立した〈世界大恐慌〉 全ての社会人は強いAIに操作されているということ
生きることは突き詰めれば三つの要素に分解される 政治哲学・科学技術力・軍事有形力 これらの組み合わせこそが実体としての生であろう 受験や資本主義によって実体としての生から切り離された現代日本では、妄想を捏ね繰り回すアニメオタクが増えた ニーチェが述べた「力への意志」を喪失したのだ
日本神話の「国産み」を生物に比定すると「時産み」になる。 理に適った情交は「子孫」という形の「時」を産むのだ。われわれの感覚も経験もすべて時そのものだとわかるでしょう。 これがプレートテクトニクスに次ぐ転回、 プシュケーテクトニクスさ。 女がプレート、男がマントル、他は核