なぜ「私たち」は戦争反対を訴えなければいけないのか③ ニヒリズムの徹底化としての平和
さて、「戦争反対」といった特定の政治的立場が、それも極めて凡庸で、手垢に満ちたこのような主張が、なぜニーチェ哲学から援用することが出来るのかを述べよう。
一見これは極めて無理難題な試みであるかのように見える。いや、ニーチェ哲学の最悪な形での受容とも言えるのではないだろうか。そもそも哲学書から何らかの政治的主張や道徳的な教訓を引き出すこと自体が邪道で三流であるとよく言われるが、私も概ね賛成である。ましてや、平和の裡にぬくぬくと安眠を貪る畜群を常に告発し、これまでの思想や宗教に