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読書感想 私は誰かの解釈の中で生きている

昨日、職場で電話対応したときに思ったことがある。

「世の中いろいろな人がいるなー」

電話はどうやら学校の先生であった中、お世辞にも話すのが上手ではなかった。
(お前が言うな)

きっと内容としたは1分で話せる内容を10分(盛ってないからね!)くらいで話していた。電話対応をした私は、
「もう!もっとテキパキ話してよ!」
と若干ヤキモキしていた。

電話を切った後に気づいたことがある。
「さっき電話で話していた方は、吃音障害だったのではないか」

やたらと、「あ、あ、あ」みたいになっていた。
そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
どちらにせよ、電話対応した私の捉え方は自由である。

ただ、ヤキモキしたなー。で終わるより、特殊な事情があったのかな?と想像することはできるようになりたい。
ニーチェ先生も言っております。
人間には、力への意志があるのだと。
できるようになりたい、向上したいという意志が私にもあるのだ。

さて、今日も読書感想をしていく。書籍は「「最強!」のニーチェ入門 飲茶著」である。


今回で2回目の感想のまとめである。
今回は最後まで読み切った後に、私が思ったことをまとめていきたい。

まず、感想の結論から。
「結局、自分がどうなりたいか、どうありたいか。社会から押し付けられたラベル(価値付け)がまず先にあり、それを私たちは勝手に当てはめて世界を「解釈」しているのだ。私は誰かの解釈の中で生きていることを知る。そうすると、自分がどうなりたいか、どうありたいかのヒントが見つかる気がする。」

イメージで言うと、今までの私は「自分がどうなりたいか、どうありたいか」を考える際には、黒い紙に虫眼鏡で光を集めて火をつけることを想像していた。

この本を読んでからのイメージは、正しく「大いなる正午」のよう。
(ニーチェの言っている大いなる正午とは違うと思うが)

自分が、誰か(不特定多数)の解釈という「光」の中にいるイメージ。
フワーっと光が広がった中に、自分がいる。目を凝らさないと見えない。
でも間違いなく自分が存在する。そういうやって努力して、目を凝らして見ないと自分が見えなくなってしまう。唯一無二の自分がいるのではなく、自分は誰かの解釈の中で生きている。(生きてしまっている)
だからこそ、自分を見つけるために目を凝らして自分を見つめよう。

そんなことを感じた一冊でした。

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