ヒロシマの人々の物語
著者 ジョルジュ・バタイユ
訳 酒井 健
出版 景文館書店
21世紀でも歴史を学ばない闘争の欲望を意志にする賢者たちがささやかなかけがえのないものを破壊する。
この古いバタイユ氏の小論を読み返すと様々に考えさせられる。
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冒頭から凄みのあるバタイユ氏の文章に圧倒される、 1947年のバタイユ氏による、ルポタージュ『ヒロシマ』(ジョン・ハーシー著)に対する書評。
長崎/広島原爆投下から1年半もたたないバタイユ氏による広島原爆論でもある。
ジョン・ハーシーのルポタージュ『ヒロシマ』は実際のヒロシマ原爆投下時の生存者6名へのインタビューが客観的に書かれており、そのルポからは、被爆者たちの「動物的」体験が伝わってくるものでもある。そのルポを読んだバタイユ氏はフランスから遠く離れたヒロシマに深く想いを馳せたのであろう。
「人間的」なリーダーたちによってもたらされたこの「動物的」な不条理をしっかりと目に焼き付けられるのは、「感傷癖を捨てつつ、感性的感動の可能性の極限へ決然と向かった」(p19)ときであり、それこそ本来の人間的態度である、とバタイユ氏は断言している。
バタイユ氏は「文明こそが戦争の元凶とする」という。
「至高の感性の人間は、原子爆弾の誕生と無関係ではない。この人間の途方もなさは、科学の、つまり理性の、途方もなさに呼応している」(p26)
そして、ハーシーやハーシーのルポで登場する被爆者たち含め、至高の感性の人間は不幸を真正面から見つめているため、この不幸を殲滅しよう、とは即座に言わず、「まず彼はこう言うのだ。「この不幸を生きよう」。瞬間のなかで、最悪のもののレベルにまで生のあり方を高めよう。」(p30)と言い切る。
自分の感性と自分の中でよく注視して考え、当然そこには周りの人と相容れないことも含めて、被爆というのは、個人の内面と社会の現実の動きとそれに対する違和感とのギャップは埋め合わせがあまりにも大きすぎてできない。それは想像に難くない。物事がサイコロのように流れ落ちていく。そのなかでヒロシマの人たちが犠牲になっていく。そうしたことは政府は頭にも過らなかっただろう。バカだなということだが、それでは済まされない。
「重苦しい配慮、明日への配慮への恐怖心が人を雄弁にし、いつも誇張して行動を語らせようとするのだが、私にはそんな配慮や恐怖心よりも、限界の彼方へ私を運んでいく働きのほうがずっと好ましく思える。」
『ヒロシマの人々の物語』ジョルジュ・バタイユ 景文館書店 p31
自分の中で現場(原爆投下時被爆された方々)を見ていて恐怖心を持っていて、自分もその中にいるわけだ。
生きるためにも雄弁になるよりも自分自身を元気付けないといけない。
それが限界の彼方へという表現。
現場から離れることはないけれど、反射的に現場を見ていれば、雄弁さに引きずられることなく、また、今の状況から離れて、客観的に勇気付けて、恐怖心を跳ね除けるために、限界の彼方へ行かねばならないということだろう。
物事の本質を観るということの大切さ。
そうしてバタイユ氏は「唯一軍事的解決を遠ざけることができるのは富が確実になることだけ」(p34)であり、戦争回避のための人類愛を根底にもつ経済「普遍経済」を考える。
つまり、バタイユ氏は、軍事的解決の手段を奪うのではなく、軍事的解決すなわち戦争そのものの存在理由を奪うというベクトルである。
本小論とは離れるが、バタイユ氏はカイヨワによって「聖なるものの両義性」という視座を得る。「聖なるもの」の契機によって、バタイユ氏の「経済」が「戦争」を回避するために問題提議されていくことになる。そして、サルトルらではなく、自身の中立性と同じスタンスであるとカミュの中にその姿勢を見出し、バタイユ氏はカミュを積極的に評価した。
このように、本小論はバタイユ氏の人類愛への希求が吐露された小論である。第一次世界大戦、第二次世界大戦と経験し、人類愛を真剣に考え抜くバタイユ氏だからこその説得力と凄みのある小論とも言えるかもしれない。
自己意識についてバタイユ氏は「意識たる理性は、理性に還元しえないものを対象としてもつのでなければ、十全に意識的であることはない」(『呪われた部分』バタイユ著)としている。
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一国のリーダーたるものは、かけがえのない生に対し、十分に想像力があり、十全に意識的であるべきではないか?
第2次世界大戦が終結してから77年が経とうとしている。 非常に歯がゆいことに、我々は何も歴史から学べていないことを大国が2022年2月24日に立証しようとしてしまっている。
ウクライナ問題の一刻も早い平和的解決を願う。世界は彼らを傍観しているようにしか見えない。彼らを見捨ててはならない。
日本も他人事ではない。しかし、このような事態においてもゴールデンタイムにバラエティ番組を流すテレビ局には閉口してしまう。
血生臭い闘争の欲望よりも、愛の力への意志を永劫回帰的原動力としてもつ欲望
私は、そんな欲望を持続していたい。
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