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微苦笑問題の哲学漫才18:ニーチェ編

 微苦:ども、微苦笑問題です。
 微:今回は実存主義の先駆者、「生の哲学」の探求者フリードリヒ・ニーチェ(1844~1900年)です。
 苦:ヤバいやつが「かぶれる」親父だな。自分は評価不能なほど優秀だと勘違いするやつが。
 微:まあ、大学から追い出された在野の哲学者というか思想家ですから。
 苦:セクハラ事件とか盗撮とかやらかしたのか?
 微:そっちはハイデガーとは違って無関係です。核心を突いた発想が斬新すぎて、実証が間に合わなかったんです。哲学の論文では、面白くなくても地道な実証にもとづく考証が必要ですよね。
 苦:20世紀ならウィトゲンシュタイン的に評価され大学に残れただろうになあ。
 微:おっしゃるとおりです。彼は古典学が磨いてきた形而上学概念を、強靭な論理で解釈し直し、「ニヒリズム」「ルサンチマン」「超人」「永劫回帰」「力への意志」などの概念で新たな思想を生み出しました。
 苦:ここまで羅列されると何でも屋みたいに見えるが、何でも口出しするのがドイツ哲学の伝統か。
 微:その通りです。個人的にはキリスト教道徳の根底にある弱者のルサンチマンの指摘が凄いと。
 苦:反人種差別主義者こそ人種差別主義者だというパラドクスみたいだが、やっぱり「いいところの坊ちゃん」なわけ?
 微:はい。ニーチェはライプツィヒ近郊の小村レッケンの裕福な牧師の家庭に生まれました。聖書を朗読する彼の声は神のように美しかったそうです。
 苦:誰か神の姿を見て、声を直接きいたことがあるんか? 預言者の時代は終わっているぞ。
 微:あくまで比喩です。この私に届けられたと勘違いするくらい、聴く人の心に響いたんでしょう。ですが父カールの早世し、弟ヨーゼフも病死するなど苦難に見舞われます。
 苦:それって「神から試されている」「試すに値する」と勘違いしかねない要素あるよな。
 微:この前、トイレで紙がなくて「おお、神よ! なぜ私を見捨てるのですか!!」と絶望していたキミこそ勘違いしてませんか?
 苦:いや、あの時はキェルケゴールの気持ちが少しわかりました。
 微:そんな低水準じゃねえよ!! その逆境にもめげず、ギムナジウムを終えたニーチェは全寮制でドイツ屈指の名門校プフォルタ学院に特待生入学します。
 苦:ギムナジウムという言葉だけでときめいた昭和の女子高生多かったよな。ヘッセ人気もあったし。
 微:『風と木の歌』ですが、今ならBL設定ですね。ここで1858年から6年間、ギリシア・ローマの古典・哲学・文学等を個別指導で鍛えられます。
 苦:どんどん腐女子好みの設定と進行じゃないですか。
 微:1864年にニーチェはボン大学へ進んで神学と古典文献学を学び、そこで古典文献学の権威リッチュルに師事します。彼はニーチェの類い稀な知性を1年生段階でいち早く見抜きました。
 苦:才能以外の評価加算もありそうだが、この才能では父を継いで牧師というのはもったいないな。
 微:いや、本人も最初の学期を終えた頃、シュトラウスの『イエスの生涯』の影響からニーチェはキリスト教信仰を放棄し、神学の勉強も止めたことを母フランチェスカに告げ、大喧嘩になります。
 苦:まあ、最近の若い兄ちゃん姉ちゃんみたいにアイドルやYouTuberになると言わないだけマシだろ。
 微:師リッチュルがライプツィヒ大学へ移ったのに合わせてニーチェも同大学へ転学し、古典文献学研究を続けます。ここで親友となるギリシア宗教史家ローデと知り合います。
 苦:あ、ここ伏線だろ。デュオニソス的世界の再評価の。
 微:また偶然にライプツィヒの古本屋でショーペンハウエルの『意志と表象としての世界』を買い、一気に読んでその虜となりました。
 苦:ジェダイを抜けた上に暗黒面のフォースに取り込まれたと。
 微:良いことは続き、彼の生涯で最大の出来事が1868年に起こります。師リッチェルの紹介で音楽家リヒャルト・ヴァーグナーと面識を得たことです。
 苦:ブタもおだてりゃ木に登る、ほとんど天にも昇る園遊会気分だろうな。しかしヒトラーのヴァーグナー好きのことを思うと、これも喜んでいいのか微妙だな。
 微:次の転機は、リッチュルの強い推挙で博士号も教員資格も取得していなかったのに、1869年にバーゼル大学から24歳で古典文献学の教授として招聘されたことです。
 苦:古典文献学の中邑菫と呼ばれたそうです。
 微:時代が逆だよ!! そこでは終生の友人となる神学教授オーヴァーベック、文化史家ヤーコプ・ブルクハルトとの親交が始まります。
 苦:才能ある者にポストを与えるのはいいよ、公募の形だけ整えて派閥利害でバカを採用するより。
 微:まあ、業績を出さなければならない立場になったニーチェは、着任から3年後の1872年に第一作『悲劇の誕生』を出版します。
 苦:そのままわが身に返ってくるんだよな。
 微:これはショーペンハウエルの厭世思想の助けを借りながら、アポロン的/ディオニュソス的という対立概念によって「ギリシア悲劇の誕生と歴史的展開の分析」および「現代音楽による悲劇的精神の再生」を統一的な観点か考察するという試みでした。
 苦:ギリシア建築には着色などないと思われていた時代だもんな。大理石を酸性の水で洗浄していた。
 微:ですがあまりに画期的すぎ、師リッチュルさえこの著作を批判・否定しました。悪評が響いて同年冬学期の彼の講義からは古典文献学専攻の学生が姿を消してしまいました。
 苦:これを元ネタにクリスティは『そして誰もいなくなった』を書いたんだな。
 微:時代がズレてるよ!! 不評の原因の一つにヴァーグナーへの心酔・賛美がありました。
 苦:キリスト教史の専門書に「エヴァ」が引用され、その評価に利用しちゃった感じ?
 微:ニーチェはバーゼルへ移住後、トリプシェンのヴァーグナーの邸宅へ何度も足を運びました。もう心酔していましたから、冷静な判断ができず、公私混同部分が『悲劇の誕生』に入り込んでました。
 苦:12番目の使徒だな。マルウェアとしてネルフに侵入した。
 微:エヴァから離れなさい、気持ち悪い!! また彼ヴァーグナーも30歳以上も年の離れたニーチェを親しい友人たちの集まりへ誘い入れ、二人は年齢差を越えて親交を深めました。
 苦:周囲の人々も併せて、『神々の饗宴』だっただろうな。
 微:『悲劇の誕生』後半は、古典文献学的手法をあえて踏み外し、ヴァーグナーを好意的に取りあげたもので、彼を狂喜させました。ですが、ヴァーグナーはニーチェに応えられなかった。
 苦:「いつまでも友達でいましょう」という昭和のお断りの返事が届いたんだな。
 微:違います。1876年の第1回バイロイト音楽祭および主演目『ニーベルンゲンの指環』初演を観に行ったニーチェは落胆というか絶望し、祝祭劇場から離れました。
 苦:同じようなセリフを竹熊健太郎も言ってたな、庵野に。
 微:もういいです、エヴァは。バイロイトを去る際、妹のエリザベートに対し、「これがバイロイトだったのだよ」と言い捨て、これで二人の関係は切れました。
 苦:やっと出てきたか、毒妹エリザベート。しかしお金を出して『クレオパトラ』『スター・ウォーズ エピソード1』を見た観客の気持ちを察するとよくわかるな。
 微:実写版『デビルマン』や『ジョジョの奇妙な冒険第4部』というその上を行くものもありますが。
 苦:『ガンヘッド』や『スペースゴジラ』もあったな。
 微:まあ、以上のような絶望を乗り越え、1878年に『人間的な、あまりにも人間的な』を出版し、ヴァーグナーやショーペンハウエルからの離反の明らかにしました。
 苦:本当は『人間だもの』にしたかったんですが、編集者に止められたそうです。
 微:みつを、かよ!! この仕事は彼の思想において、初期から中期への分岐点に位置します。
 苦:つまり、学者から哲学者、思想家になっていったと。
 微:ですが翌年から激しい偏頭痛や胃痛に苦しみ、勤務中もこれらの症状は治まらず、仕事に支障をきたすまでになりました。バーゼル大学を辞職した後は、在野で執筆活動に専念することになります。
 苦:小谷野敦みたいなポジションだな、不必要に喧嘩は売らないが、神経は逆撫でする点も。
 微:まさにその小谷野的展開なのですが、1881年には友人パウル・レーと女性ルー・ザロメを巡って三角関係に陥り、その上、翌年にレーとザロメがベルリンで同棲生活を始めました。
 苦:ルー大柴だったら間違いなく、何の未練もなく別れただろうけどな。
 微:ルー・テーズで来るかと思いました。失恋、病気の発作、母や妹と不和、そして自殺願望。それらから解放されるため、ニーチェはイタリアに移り、たわずか10日間で『ツァラトゥストラはかく語りき』第一部を書き上げました。
 苦:毒母と毒妹から解放されて才能を開放させたんだな。
 微:開花と言ってください。これはニーチェ自身が実体験した「永劫回帰」が土台となっています。
 苦:一歩間違うと「電波文書」だな。
 微:1885年には『ツァラトゥストラ』の第四部を上梓しました。ですが、これはわずか40部しか印刷しませんでした。
 苦:よく編集者が許可出したよな。今ならコピーの同人誌レベルだが。
 微:二次創作ではありません。翌年には『善悪の彼岸』を自費出版し、病気の発作が激しさと頻度を増しながらも、ニーチェは1887年には『道徳の系譜』を一息に書き上げます。
 苦:命と正常さを削って書くタイプだな。晩年の「河童」や「歯車」の芥川的というか。
 微:特に執筆生活最後となる1888年には5冊もの著作を書き上げ、これらは長らく構想中の大作『力への意志』の膨大な草稿をもとにしたものでした。
 苦:アカシック・レコードみたいだな。(※世界誕生からの起きる出来事が記録されているらしい)
 微:1889年にニーチェの精神は遂に崩壊しました。ニーチェはトリノ市内のカルロ・アルベルト広場で鞭打たれる馬を見て泣き崩れ、昏倒しました。彼の精神は別世界に行ったのです。
 苦:「プロは音だけたてて、痛くないように鞭を使うんだ」と豪語してましたから驚いたんでしょう。
 微:何のプロだよ!! 1893年にエリーザベトが帰国し、面倒を見ますが、彼女は兄の著作、原稿そのもの、出版に関与して支配し始めます。そして1900年8月25日、ニーチェは肺炎で55歳で没しました。
 苦:妹は悲しんだのか、著作権を確保できて喜んだのか、どっちだろうね。
 微:微妙な関係でしたからね。さて、ニーチェの思想の核心とも言える「ルサンチマン」「力への意志」「超人」に移りますね。
 苦:壮大な前説だったな。もう疲れたからいいよ。
 微:お前のせいだよ!! まず、ルサンチマンとは強者に対して弱者が抱く怨恨や憎悪の感情のことです。
 苦:こびへつらいの仮面の下には憎しみに歪んだ形相があると。
 微:この概念をニーチェは1887年の『道徳の系譜』からキリスト教道徳批判で使うようになりました。
 苦:でもそもそも道徳って、ウソであってもそれを信じて実行することで弱者が守られる虚偽意識だろ。だから発言者の胡散臭さがより際立つんだよな。山谷とか稲田とか三原とかアグネスとか。
 微:新約聖書の福音書に描かれているイエスの信者たちとは、イエスの教えに救いを見出し、彼の奇蹟によって救済された脚萎え、盲者、ハンセン病患者など家族からも共同体からも排除された人々でした。
 苦:社会保障もない時代、弱者は虐げられて生きるか、野垂れ死にするしかなかったもんな。
 微:イエスが彼らに「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しなさい」と語った時、ニーチェに言わせると、弱者たるキリスト教徒たちは道徳の規準、道徳という闘技場の勝負を決めるルールを、自分たちが勝てるルールに知らぬ間に変えていたのでした。
 苦:「報復できない」のではなく、道徳的に優れているので「報復しない」のだと。減らず口だな。
 微:ニーチェがキリスト教道徳の根底には報復できない弱者が抱く怨恨や憎悪があると語ったのはこのことです。そしてルサンチマンの奥底には「自分も他人を屈服させたい」という力への意志があります。
 苦:そうすると、二階には何かルサンチマンがあり、また二階によって所属議員にルサンチマンがマグマ的に溜まっていると考えていいのか?
 微:関係者には美しさとか善とかの価値観がないし、無能だけど国会議員になりたいというくだらない欲望からそうしているだけなんで関係ないです。
 苦:むしろ、文句を言うことすらできない今の医療関係者が危ないですね。医療をつづけているけど、自分は命を懸けて大阪の医療を守っている」と論理をすり替えた時、ルサンチマンになる、と。
 微:そうです。イエスは十字架刑に処せられ、死んでしまいます。キリスト教神学的には復活したイエスの聖霊は世界を遍く覆ったわけですが、とにかく弟子たちは神が死んだことを認めませんでした。
 苦:「神は死んだが、その教えは生きている」「聖霊となって世界を覆い、最後の審判に登場する」と。
 微:救済への道は教会を通してしか開けないと脅し、ここに司牧者権力が生まれます。ここでもう一度、神は死んだのです。
 苦:まあ、信者が少数の時はそれは合理的でもあるな。
 微:やがてキリスト教は地中海世界に拡大し、4世紀末にはローマ帝国の国教となります。現世から見放された者たちのイエスの教えは、宗教となったばかりか、政治権力とも繋がります。
 苦:社会の大多数が信じる価値観を揺るがせるという本来の役割を捨てたようなもんだな。
 微:中世西欧世界において、人間であることはキリスト教徒であることとほぼイコールとなりました。
 苦:ある意味、教会という名の社会主義政党の独裁と同じか。停滞も、異論を許さない点でも。
 微:異端も登場します。本来の意味でどこかで誤ってしまった集団もあったでしょうが、イエスの言葉が聴けた時代への憧れ、あるいはそこへの復帰を求める根源的な衝動があったでしょう。
 苦:完全に古代というか、異教時代と道徳のルールが逆転したわけか。
 微:虐げられていたキリスト教徒は、社会の絶対多数=正義となったのです。その原動力は司牧者権力として生まれた聖職者たちの「力への意志」です。
 微:聖職者らは弱者たる信者を導き、悔い改めを迫ることで信者に君臨したのですから、「神が死んだ」「イエスの言葉の本来の意味は失われた」ことは決して認めないでしょう。力への意志を満たせなくなるわけですから。
 苦:なんか、戦時中の日本や、東京オリンピックのゴリ押し勢力が目に浮かんできたわ。
 微:この意味においても、「神は死んだ」のであり、もういない神が存在すると必死で自分に思いこませる作業こそ無意味なこと、まさに聖職者にとってもニヒリズム以外の何物でもありません。
 苦:そこまで真剣に考える聖職者や日本会議の面々がいたら、という仮定の話だろ。
 微:そしてその聖職者の言葉を信じ、誠実にキリスト教の教えに従う信者の姿もまたニヒリズムでしかありません。
 苦:「信じる者ほど救われない」という皮肉な宗教の定義は、ここの真理を衝いているんだな。
 微:その通り。さらに「神が死んだ」ことに気づくこともニヒリズムでしかありません。ここでニーチェはキリスト教以前の時代に目を向けます。
 苦:卑怯なルール変更前に戻せと。それは国際スキー連盟にも言って欲しいな。
 微:古代の神々しいまでに美しく、暴力に溢れた神一般を人間は忘れてしまったことにニーチェは気づいていました。この四つ目の意味においても「神は死んだ」と宣告したのです。
 苦:でもそう宣告したニーチェは「自分こそがイエスを心から愛している」と思っていただろうな。
 微:また西洋哲学についても、ソクラテスとプラトン以来、その考察の対象は徳(アレテー)や真・美・善のイデアなど存在しないものでした。つまりニーチェにとって哲学そのものもニヒリズムでした。
 苦:無いものについて考えることは、不可能である以上に無駄だと。オレがお金を考えるようなものか。
 微:哲学的「超人」概念を提出したのが戯曲『ツァラトゥストラはかく語りき』でした。ニーチェとほぼ同時代に同じ「ブタのような大衆」への嫌悪を表明した哲学者にオルテガがいます。
 苦:成金趣味やブルジョワ趣味に走れる階層が増えた時代だもんな。
 微:ニーチェは自分自身の美意識も価値判断基準も持たず、受動的に他者と画一的な行動をとろうとする現代の一般大衆。彼らをニーチェは大衆を「畜群」と火を噴くように罵りました。
 苦:これをヒントに東海テレビは『ぼたんとばら』を製作したそうです。
 微:高校生は知らねえよ!! 醜い大衆を憎悪し、自らの価値を貫き、力で屈服させようとするニーチェの超人も不幸です。唾棄すべき大衆が存在しないと自らの高貴さを証明できないからです。
 苦:比較する汚物がないと自分の高貴さを示せないのも不幸だな。
 微:しかも超人は数の力の前に現実世界では敗北します。正しいが故に敗北し続けることを超人は運命付けられるのです。
 苦:ああっ、超人と日本○産党の区別が付かなくなってきたあ!!!!
 微:それでも、敗北続きの超人としての惨めな人生を肯定できてこそ、ニーチェの理想とする超人なのです。その生涯を全身で肯定できることが「運命愛」なのです。
 苦:強いのか弱いのか、美しいのか惨めなのか、頭がグルグル回るぅ・・・
 微:その人が本当に超人であり、運命愛を抱いているかを試す思考実験が「永劫回帰」です。
 苦:永井均さんの本に出てくるやつだな。
 微:何万回も同じ時間の流れで、同じ姿で、敗北しつづける人生、無実の罪で処刑される人生、大衆から見れば無意味な人生を繰り返す羽目になっても、その超人としての人生を全面的に肯定できるのか?  苦:大衆からしたら、ムダ以外の何ものでもない。
 微:自らの確立した意思でもって行動する「超人」であることを選び取りつづけることができるのか?
 苦:なら、毎週ヤッターマンに負けた上にお仕置きを受けても立ち上がるドロンジョ一味は超人だな。
 微:まあ、確かにそうです。それが永劫回帰の思想であり、ニーチェは『この人を見よ』で「およそ到達しうる最高の肯定の形式」と述べたのでした。
 苦:この人とはボヤッキーだったのか(愕然・・・)
 微:まあ、ニーチェ自身は永劫回帰の思想を仄めかすだけなんですけどね。(ドテッ)

作者の補足と言い訳
 自分の高貴さ・優秀性を証明するためには、相手にしたくないくらいバカで憎んでも憎み足りないブタたる大衆の存在が不可欠であるという根本矛盾がニーチェ思想にはあります。同じ構図は戦後日本の右翼と共産主義の間で成り立っていましたが、攻撃対象を失った瞬間、右翼の堕落と崩壊は始まりました。それを思うと、攻撃対象を自らが死ぬまで、そして死んでからも失うことのなかったニーチェ及びプチ・ニーチェ(勘違い連中)たちは幸せなのです。それを自覚してください。
 個人的には、ニーチェとマルクスの直接対決を見たかったのですが、もしあったなら、それをご存じの方、ぜひ教えてください。それと「文化資本」のピエール・ブルデューが、どうニーチェを評している(逆にどれだけハイデガーをこき下ろしている)のかも。
 1968年のキューブリック監督作『2001年 宇宙の旅』で、ニーチェ思想に再び脚光が当たったそうです(伝聞ですので)。テーマ曲の『ツァラトゥストラはかく語りき』がカッコイイですから。ですが1980年にサルトルが死去すると人々の関心は去りました。しかも1980年前後を境に、ニーチェ風のニヒリズムに憧れた大学生は「ネクラ」と嫌われました。逆に浅田彰に騙された新人類にとっては1980年代は「黒歴史」でしょうから、それよりはマシでしょう。
 そして漫才中で披露した「ドロンジョ一味=超人」説も、情けないことに日テレ系列でリメイクされた『ヤッターマン』をいい年をしたオッサンが見ていたから閃いた話です。一時は小沢一郎で「力への意志」を理解した気になりましたが、彼は政局がしたいだけだったので、私の間違いでした。こうして、しくじりを通して大人になっても人間は成長するときれいにまとめます。

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