見出し画像

3. トゥーレとヴリルの神話

トゥーレとは、地図によれば、トゥーレは遥か北、しばしばアイスランドの、恐らくはオークニー諸島、シェトランド諸島、スカンジナビアにあると、また中世後期やルネサンス期にはアイスランドやグリーンランドにあると考えられていた。またそれとは別に、バルト海のサーレマー島のことだという考え方もある。
トゥーレについての最初の記述は、ギリシアの探検家ピュテアスの『大洋』に見られる。紀元前330年から320年の間に彼が行った旅行の手記であるが、現在は失われている。彼は恐らくギリシアのマッサリア(現在のマルセイユ)により、取引の商品の由来を確かめるために派遣されたと思われる。彼の発見に関するいくつかの記述は残存するものの、その内容については疑わしいものも多い。
例えば、ポリュビオスによる紀元前140年の著書『歴史』の XXXIV 巻に、ピュテアスに言及する部分がある。「彼の記述は多くの人々を間違った方向に導いた。彼はブリテン全体を徒歩で横断したと述べ、その外周を4,000スタディアとした。また彼はトゥーレについても、その伝説の地には地面や海や空気の区別がなく、その3つが混然となった、歩くことも航行することもできない、全てが混ぜ合わさった、いわばクラゲのようなものだ」と述べている
ギリシアの地理学者で歴史家のストラボン(紀元前64年頃 - 紀元前23年頃)は著書の『地理書』(I 巻 第4章)でトゥーレに触れ、エラトステネスの「人が住んでいる世界の幅」の計算や、ピュテアスの「ブリテンから北へ帆航6日、凍った海の近く」の注釈について記述している。しかし彼はこの主張に疑問を呈し、「詳細な調査をすると、ピュテアスは大嘘つきだと分かった。ブリテンとイエルネ(アイルランド)を見たことのある人々は、他の小さな島々やブリテンについて話すことはあっても、トゥーレについて話すことはなかった。」と書いている。
歴史家プロコピオスの6世紀前半の著書によれば、トゥーレは大きな島で、25の種族が居住しているという。実際にはプロコピウスの述べたトゥーレは、スカンディナヴィアのことだと思われている。その理由は、いくつかの種族が簡単に特定され、その中にはゲータ人やサーミ人が含まれているのである。彼はまた、3世紀から5世紀に渡って活躍したヘルール族がランゴバルド人に敗れて帰還する際、ヴァルニ族やデーン人をやり過ごし、海をトゥーレに渡り、そこでイェーアト族の近くに住みついたと書いている。中世地誌におけるアルティマ・トゥーレは、「既知の世界の境界線」を越えた、世界の最果てを意味することもある。「アルティマ・トゥーレ」をグリーンランドの、「トゥーレ」をアイスランドのラテン名として使用する人もある。
ナチ神秘主義者は、トゥーレやヒュペルボレイオス(「北風(ボレアス)の彼方に住む人々」の意味で、ギリシア神話に登場する伝説上の民族。永遠の光に包まれ、幸福に満ち溢れた地で彼らは自由に空を飛び、平和に暮らしていたと伝えられている。)がアーリア人の古代起源だと信じていた。これは19世紀にコーネリアス・オーヴァー・ド・リンデンにより「発見」されたフリジア語の原稿『オエラ・リンダ・ブック』にまつわる噂から始まったものである。原稿は1933年にドイツ語に翻訳され、ハインリッヒ・ヒムラーに支持された。しかし、この原稿は、言語学的に見ても文化人類学的に見ても、間違いなくまがい物である。
一方、ヴリルとは、1871年にイギリスの作家ブルワー・リットンによって書かれたSF小説である『来るべき種族』に登場するある種の宇宙的流動体であり、中国でいう気のようなものである。ブルワー・リットンは、『来るべき種族』の中で、優れた種族は、地下世界に住んでおり、ヴリルと呼ばれるサイコエネルギーでヴリルヤという地底人が世界を征服する計画をしていると書いている。
ヴリルヤの起源に関する最古の伝説によれば、彼らはかつて地上に住んでおり、「アナ」と呼ばれる大部族の中で一部族を形成していた。当時の文明は、ちょうど近代の我々の文明とよく似ており、ガスや蒸気を用いた機械などが発達していた。ところが、その頃の地球は、まだ今のように固まっておらず、たえず変成しつつある柔らかい物質でできていた。このため、地殻変動のよる大洪水はじわじわと陸地を浸食し、多くの民族は水の中に滅び去っていった。だが、アナ族の少数の者たちは、山中の洞窟に避難し、地球内部に都市を建設し、以後、現在に至るまでここに住み着くようになったという。あくまでもこれはSF小説である。
フランスの作家ルイ・ジャコリヨは『神の息子』(1873)や『インド・ヨーロッパの伝統』(1876)でこの神話を助長した。これらの本で、ルイ・ジャコリヨはトゥーレの地底人とヴリルをリンクさせた。トゥーレ人は、ヴリルの力を活用して超人となり、世界を支配すると考えた。20世紀前半のドイツにおいて、このヴリルの概念に触発されて作られたのがオカルト秘密結社のヴリル協会である。
後に述べるが、1919年にカール·ハウスホーファーは教え子としてルドルフ・ヘスと知り合い、1921年にはヒトラーと出会った。1923年のミュンヘン一揆の際には逃亡するヘスを一時匿い、ランツベルク刑務所に収監されていたヒトラーと面会した。ヒトラーはハウスホーファーの生存圏の理論に興味を覚え、「生存圏を有しない民族であるドイツ人は、生存するために軍事的な拡張政策を進めねばならない」として、ナチスの政策に取り入れた。しかしハウスホーファーは「(ヒトラーが)それら(地政学)の概念を理解していないし、理解するための正しい展望も持ち合わせていないという印象を受けたし、そう確信した」と見てとり、フリードリヒ・ラッツェルなどの地政学基礎の講義をしようとしたが、ヒトラーは拒絶した。ハウスホーファーはこれをヒトラーが「正規の教育を受けた者に対して、半独学者特有の不信感を抱いている」事によるものであるとみていた。
それ以後、ナチスとオカルティズムの関係を述べた多くの記事や書籍において、ナチズムのルーツのひとつとしてヴリル協会の名が言及されるようになったが、『魔術師の朝』の記述はどこまでが事実でどこまでが想像ないしフィクションであるか定かではなく、ヴリル協会が実際にナチズムにつながるような要素を有していたという確証はない。
ナチスのオカルト信仰の最初の要素はハイパーボリア-トゥーレの神話の土地であった。ハイパーボリアとはクトゥルフ神話に登場する架空の地名である。ハイパーボリアの首都であるコモリオムは、かつてこの地に住む人間により築かれた、もっとも栄えた都市で、大きな外壁や純白の尖塔が立ち並び、「大理石と御影石の王冠」とも形容され、その繁栄をほしいままにしていた。アトランティスやムー大陸から貢物が献上され、北方の半島ムー・トゥーランから南方のツチョ・ヴァルパノミにまで至る広い地域から多くの交易商人たちが訪れていたという。しかし、これはあくまでも伝説である。
プラトンがアトランティスの沈んだ島をエジプトの伝説を引用したように、ヘロドトスははるか北のハイパーボリア大陸をエジプトの伝説で言及した。氷がこの古代の土地を破壊すると、その人々は南に移動した。スウェーデンの作家オラフ・ルードベックは1679年の著書の中で、ハイパーボリア人はアトランティスを同定し、北極は後者に位置すると書いている。複数の記録によると、ハイパーボリアは一部の人々にはトゥーレがアイスランド、ウルティマトゥーレがグリーンランドのことらしい。
ナチスのオカルト信仰の2番目の要素は、中空の地球のアイデアだった。17世紀の終わりに、イギリスの天文学者サー・エドモンド・ハレーは、最初の4つの同心球で構成され、地球が中空であることを示唆した。地球空洞説は、特にフランスの作家ジュール・ヴェルヌが1864年に出版した地球の中心への航海に代表されるように多くの人々の想像力に火をつけた。間もなく、ヴリルの概念が登場した。
ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェ(1844‐1900)もUbermensch(超人)の概念を強調した。彼の作品、『反キリスト』(1888)の詩句を始め、「私たちが何であるかのために自分自身を見てみよ。 我々はハイパーボリア人である。我々は彼らの末裔であることを十分に知っている」。ニーチェの思想は『超人思想』と呼ばれることがあるように、既存の価値や社会・宗教のフレームワークに囚われずニヒリズムを超克できる『超人』を志向する思想である。この思想は後に歪曲されてナチに利用されることになった。
しかしながらニーチェは決してヴリルに言及しなかった。彼の思想の中では、出版された格言集『力への意志』で超人が開発するための内在的力の役割を強調した。ニーチェは『力への意志』を著すために多くの草稿を残したが、本人の手による完成には至らなかった。ニーチェの死後、これらの草稿が妹のエリザベートによって編纂され、同名の著書として出版されたのである。
ニーチェは「群れ」は一般的な人を意味すると書いた。ここで言う、超人とは、群れを越えて移動する駆動機内部の生命力を持っている。そして、道徳や規則の作成を通じて自らを律している存在である。超人は力を必要とし、それらを「群集心理」から独立し、自由を維持するために群れに嘘を叩き込む。
1889年1月6日ヤーコフ・ブルクハルト宛てのおよそ気が確かだと思われる最後の書簡は、「ヴィルヘルムとビスマルク、全ての反ユダヤ主義者は罷免されよ!」で結んである。主著『善悪の彼岸』の「民族と祖国」ではドイツ的なるものを揶揄して、「善悪を超越した無限性」を持つユダヤ人にヨーロッパは感謝せねばならず、「全ての疑いを超えてユダヤ人こそがヨーロッパで最強で、最も強靭、最も純粋な民族である」などと絶賛し、さらには「反ユダヤ主義にも効能はある。民族主義国家の熱に浮かされることの愚劣さをユダヤ人に知らしめ、彼らをさらなる高みへと駆り立てられることだ」とまで書いている。にもかかわらずナチスに悪用されたことには、ナチスへ取り入ろうとした妹エリザベートが、自分に都合のよい兄の虚像を広めるために非事実に基づいた伝記の執筆や書簡を偽造して、遺稿『力への意志』が(ニーチェが標題に用いた「力」とは違う意味で)政治権力志向を肯定する著書であるかのような改竄をおこなって刊行したことなどが大きく影響している。
『ヴェーダの北極の家』(1903)の中で、初期のインドの民族主義者、教師、社会改革者、そして、最初期のインド独立運動で活躍した政治指導者であるバール・ガンガダール・ティラクは、アーリア人種の起源は、トゥーレ人が南方へ移動したことを同定することによって識別を付け加えた。したがって、20世紀初頭の多くのドイツ人は、ハイパーボリア、トゥーレからヴリルの力で超人の優越人種になることを運命づけられていたため、南に移住したアーリア人の子孫であると信じていた。ヒトラーも彼らの仲間であった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?