睦月

しばらく休みまぁす

睦月

しばらく休みまぁす

マガジン

  • 随筆

    日記・考察・思考実験等をまとめておきます。

  • 作品集

    ちょっと長めの作品を置いておきます。

  • 短い物語

    自分の書いた短めの物語をまとめて置いておきます

  • 吐き気シリーズ(エチケット袋)

    気分が悪い時に書いたものが多いので、暗い内容のものが多いです。お気をつけください。

  • りっちゃんとそのお友達

    うぉおおおおお りっちゃん うぉおおおおお

最近の記事

ありがとうございました

 noteやめます。  やるべきことが見つかったわけではないですが、心境にはっきりとした変化が訪れました。  noteを始める前よりも、より詳しく、深く、自分自身のことが分かるようになりました。自分の長所も、短所も。特異性も、凡庸さも。  今の私が自分自身に対して何を思っているかは、ここでは語りません。大したことは思っていませんし、心配されるようなことも思っていません。  ただ、ある種の見切りをつけたという、それだけです。  こういう人との関わり方は、新鮮で、楽しいと

    • 否定するしかないこと

       実際の誰かの人生をフィクションにしてしまうことには、いつも抵抗があった。私自身の経験や、見てきたものをもとに小説を書くことは抵抗がなかったが、実際に存在した誰かの日記をもとに、その人の人生を一から別の物語にするのは、思いつくことすらないほどに、私自身の中で「やってはいけないこと」のひとつだった。  私は何度も「あの人のことは別にそんな大切に思っていなかった」と言った。実際そう思っていた。今だってそう思ってる。あの人が死んだときに思ったのは「これはいいきっかけだ」ということ

      • 自分は特別ではないと気づいたとき

         子供のころはみんなが自分中心。だからか、小学校の先生はみんなそろって「世界の中心はあなたではありません。だから、他の人のことを思い遣って、助け合っていきましょう。ひとりはみんなのために、みんなひとりのために、ですよ?」なんてことを言う。  今の少し勉強した私は、その言葉に対して「共産主義かよ」と感じてしまうけれど、当時の私は、それが本当に正しいことだと思い込んでいた。  みんなのために価値あることをすることが、個人の最大の存在理由であり、逆にみんなに悪いことをしたり、迷惑を

        • たいしたことじゃない

          たいしたことじゃない ただの肉体的反応だ 自分にそう言い聞かせて 絶え間なく襲い続けてくる不安にただ耐える たくさんの都合の悪い現実が 私の心臓をドンドンと叩いている 私を否定する言葉 私を狂わせる言葉 たくさんの間違いとたくさんの正しさが 私を内側から引き裂いて 何かが生まれようとしている? たいしたことじゃない ただの肉体的反応だ 体中からこみあげてくる吐き気と 小さな腹痛が 私の眉間にしわを寄せ 見るものすべてに敵意を感じさせる 争いのない世界が欲し

        ありがとうございました

        マガジン

        • 随筆
          731本
        • 作品集
          46本
        • 短い物語
          118本
        • 吐き気シリーズ(エチケット袋)
          49本
        • りっちゃんとそのお友達
          23本
        • 24本

        記事

          今の私とその願い

          対話形式の思考 「なぁ――ちゃん。この文章はどう思う?」 「んー? まぁ、そういう人もいるんだろうなぁと思う」 「――ちゃんはあんまりそうは思わないタイプ?」 「まったくそうは思わないタイプ」 「どの辺が?」 「いや、そもそも理解できない。何を言っているのかよく分からないし、何を求めているのかもよく分からない」 「でも私の他の文章を読めば、だいたい言わんとしてることは分かるでしょ?」 「ようはあなたが、他の人とは違うことを言ったり、あるいは物語として表現したものを、誰かが別

          今の私とその願い

          盗まれたい言葉

           昔から私にはある種の願望がある。それは、私の発想や思想が、誰かに模倣されたい、盗まれたい、という願望だ。  私は自分自身の損得にあまりに興味がないため、自分のやったことや考えたことの成果を人に認めてもらうよう努力することがあまりに少ない。やる気が起きないのだ。  だが、人に影響を及ぼすことは好きだし、私ではなく、私の生み出したものが褒められるのも、嬉しく思う。(私自身のことは、私自身で十分褒めることができるので、他の人に褒められても、礼儀としては喜ぶが、自分自身としては、

          盗まれたい言葉

          単純化しようとする頭

           自分が書いたものを、ふと何もないときに思い出すことがある。  散歩をしている時でもそうだし、誰かともっとくだらない話で盛り上がっている時でもいい。テレビを仕方なく見ている時でもいいし、ゲームに夢中になっている時でもいい。  昨日書いたものを思い出すこともあれば、今日書いたものを思い出すこともある。三か月前に書いたものを思い出すこともある。  そして思い出したとき、急に不安になる。 「ん? もしかして私は途方もなく愚かな、間違ったことを述べてしまったのではないか? とても恥ず

          単純化しようとする頭

          悲惨な平和について

           武力での戦争はくだらないが、しかし人間は愚かな生き物であるから、そういう方向に進んで行きがちではある。  この国の人たちは一度敗戦国になった経験があるから「戦争はダメだ」と皆が言っている。だが我々の同盟国であるアメリカは、冷戦下のおいしくない戦争を経験するまでは、戦争が大好きだったし、私たち日本はそういうアメリカの気質のおかげで、豊かになることができた。  戦争を悲惨だと考えるのは、実のところ、私たちにとっての平和が悲惨ではないからなのだ。ある国、ある階級の人々にとって

          悲惨な平和について

          適応と固い人格

           環境に合わせて生き方や性格を変える人と、そうでない人がいる。おそらくは、子供のうちはみな周囲の影響を受けやすく、生き方や性格を変えていくものだが、大人になってくると、そうでない人間も生じてくる。  たとえそれが己の不利になると分かっていたとしても、性格や生き方、態度を変えない人間というのがいる。はじめからそういう性格であった、というより、成長の結果必然的にそうなった、と思われるような人間がいる。  ただ、大多数の人間はそういう「固い人格」「固い生き方」というものを持って

          適応と固い人格

          「もし」から入る思考法

           世の中には色々な考え方の癖がある人がいる。バイアス云々言って、ある特定の癖を悪く扱う場合もあるけれど、そんなことを言い始めたら「論理性バイアス(論理的でないものごとに対して極端に否定的な認知を行う)」とかって考えることもできるし、元々どうあがいても人間の認知は程度の差はあれど偏ってしまうものだから、あまり気にしても仕方がない。  おそらく「誤った考え」や「誤った認識」というものが何かあるのではなく、単に「不足した考え」「表面的な認識」があるだけだと思われる。だから、ものご

          「もし」から入る思考法

          海に浮かぶ破れたビニール袋

          「ねぇママ。私とパパ、どっちが大事?」  困ったように笑って、少し唸った後、私の頭を撫でながら優しく語る。 「どっちも大事だけど、多分パパは私がいなくてもなんとかやっていけるだろうから、今はあなたの方が大事だよ」 「じゃあ私がもっと大きくなったら?」 「そのときは、本当に比べられなくなっちゃうだろうなぁ」 「じゃあ、ずっと子供のままでいる!」 「ふふふ。ずっと一番大事にされていたいもんね?」 「うん」 「でもね、誰かから大事にされることよりも、誰かを大事にしている時の方が、人

          海に浮かぶ破れたビニール袋

          ご機嫌であることが大事だ

           人の機嫌というのはびっくりするくらい態度や言葉遣いにあらわれる。不機嫌な人は、どれだけそれを隠していても、不機嫌であるというだけで一部の人間の気分を害してしまう。  人のいい功利主義者の皆さんは口をそろえて「幸福であることは隣人への義務である」と語る。不機嫌というものは、それだけで周りの人間を不幸にしてしまうという事実を重く捉えているのだ。  私は功利主義者ではないし、むしろ不幸というものに大きな価値を置く人間ではあるが、通常の社会生活においては、功利主義者の意見に同意

          ご機嫌であることが大事だ

          生の自己肯定システム

           自己肯定感うんぬんの話をするつもりはない。  ほとんどの人間に備わった自己肯定的なシステムについて分析していきたい。  人は己を肯定する生き物である。自己否定的になっている人間ですら、自己否定的になっている自分を肯定している。「自分の否定すべきところを否定出来ている自分」というものを、否定しながら褒めているのだ。  実際人間が何かに対して不当に(不当に、とはそういうする必要も道理もないのに、という意味で捉えて欲しい)否定する場合、その人間は通常、否定している自分の洞察力

          生の自己肯定システム

          規則を守ることについて

           規則というのは、その集団がうまく生きていくのに役立つための実際的なシステムであり、全てのシステムがそうであるように、実験的なものであると思っている。  規則そのものには意味があることもあれば意味がないこともあり、それは基本的に時とともに変化し、ときに改善され、ときに改悪されていくものである。  一個人が規則を守るべきか否か、という点において、私は意見を持たない。実験が好きな人間と実験が好きでない人間がいるのと同じで、規則を守るのが好きな人間と、そうでない人間がいるというだ

          規則を守ることについて

          数の力と自由

           数というのは分かりやすい。百人のグループと十人のグループが対立していたとき、その構成員の質に差がない場合、百人の方がはっきりとした「強さ」を持っている。  それは何も暴力だけに限った話ではなく、言論においても同じである。より大きな音を立てるには、より多くの人が音を立てるのがいい、というのと同じだ。  通常言論は、正しいことが力を持っているのではなく、正しく思われるものに人が集まり、人が集まるから力を持つのである。だから、もし大衆が難しいことを正しいという場合、それは、その難

          数の力と自由

          明るい精神・暗い精神

           運動をしている時は、精神というものがなくなっている。運動に限らず、複雑な計算をしている時や人と話をしている時もそうだ。私たちは活動をしている間は、迷妄に陥ったり、過去のつらい出来事に囚われていることはない。  日中、やるべきことがある人の多くは、それによってものを考えなくなっているが、それは決して悪いことではない。人間というのは精神的な部分が全てではないので(むしろ、精神をおまけだと考える方が実態に即していると言えそうだ)そのように、肉体的、実際的な存在として時間を過ごすの

          明るい精神・暗い精神