結局、母の死に対峙して泪ひとつ零していない己の冷徹さに戦慄する。 恐らく永の別れをしている自覚がなく、じゃあ、またなという、傾いた心情が根っこにあるんだろう。別れという心情を持っていなければ、只一人、泣かぬ者が場にいても不思議はなく、こういう異端を心から残念だと己を責める也けり。
私には昔から「受動的な感性」というものが欠如している。 つい・うっかり・猛烈に・情動的に・衝動でということがない。 情緒はあるにはある。 しかしそれは氷床の底を流れるトロトロとした川のようなもので、 サラサラとした灼熱のマグマのような手も付けられない代物ではない。 冷徹なマントル
私を酷い奴だと思いますか? 私は思考においては制約を設けません何処までも自由です そして現実を直視し仮説を立て検証します そこでは私情をはさみません それは曇りの一種です そこにおいてはできる限り排除します 行動においては理性、規則、情と言ったものを考慮します 但し思考は違います
他人と気になる言葉が違う。「中立」なんてまさにそうよ。中立って「両方一応敵ですよ宣言」だからね。両方の味方、優しい態度って意味じゃないよね。 中立のふりなんて駄目よ。 中立は難しいのよ。気軽に口にはできないわ。言ったことない。 なのでまずは偏るとこから。 偏って、はや幾年。
悠久連綿たる夏の風物詩、地蔵盆。コドモン時、楽しさ最高位の思い出!…をば、今や手渡す側に。日がな一日、ゴザの上で遊び倒す町内の悪魔ど…もとい、人懐っこい天使どもを眺めつつ。“オレ、ヒトにゃ一切懐かなかったっけ”──自身対他者。冷徹に過ぎる一線の内で、親族含め冷やかに視るコだった。