トモ@noteクリエイター2年目

毒親育ちの発達障害 長く続いた生きづらさから解放された現在、人生を変えるサクセスストー…

トモ@noteクリエイター2年目

毒親育ちの発達障害 長く続いた生きづらさから解放された現在、人生を変えるサクセスストーリー作りの真っ最中☆

最近の記事

「これが無償の愛なのか」と感じたこと

先日、あるフォロワーさんとお別れをしました。別れのきっかけとなったその方の記事を読んで衝撃を受けたと同時に、歪ながらもどこか美しさも感じました。 その方は親から精神的虐待を受け続け、 生き地獄を味わっているよう。 でも既に大人だし、離れるという選択ができるのに、自らの意思でそれを手放した。 「なぜ?」と思いました。 ただ、時間が過ぎると、「もしかしてこれがあの人の生きる目的なのか?」と思うようになります。 苦しいに違いないだろうけど、幸せでもあるんだろう。 親から離れる

    • ただそこにいるだけの自分

      溜まったストレスを解消する手段を複数持つ中で、「何もしない」は特に気持ちが良いもの。 仕事のお昼休憩や、筋トレを終えての仮眠も良いですが、何もせずただそこにいるいる自分になると、存在そのものを許される感覚になれる。(さすがに毎回ではないですが) ボーッと仰向けになったり、横になったりとした完全無防備のわたし。 いつものインプットとアウトプットを回す エネルギーチャージになるし、それ以上に、 生きることの尊さをも最近は感じています。 それはやはり、必要なこととやりたいこと

      • 過度な期待は薬物中毒のよう

        であろうと思います。 一部のクリエイターさんの記事には、いつも同じ対象に向けて愚痴を並べています。 過去のこと、自分とは違う他人。 コントロール不能なものを対象にフラストレーションを溜めています。 そこまでできるエネルギーを「自分改革」に使えないものか? わたしは環境移動をきっかけに切り替えができるようになりましたが、 できるまでにだいぶ時間がかかりました。 期待とは言い換えれば精神安定剤です。 この安定剤となるものを手間なく得られるのがメリット。 これが働いた証拠

        • ワクワクの中身を掘り下げてみた

          現実を忘れるほど見たいものに夢中。 ひとつ挙げると、ここnoteです。 自分で経験したことを自分の声に従い整理して、自分の言葉で書き残す。 クリエイターひとりひとりの生きた証をほとんど無料で毎日見れる。 書くも読むもワクワクを量産する。 こう体感している人は多くいると思います。 最初に書いた「見たいものに夢中」 掘り下げると、忙しい日常生活を送る中で見つけた束の間の小さな幸せ。 束の間だから終わりが早い。 だから儚くもある。 でも、これもセットでできるのがワクワク。わ

        「これが無償の愛なのか」と感じたこと

          未来を生きやすくするために過去を肯定する

          両親から心を育ててもらえなかったことで起きた様々な困難。 生きづらさの根源がそこだと知ったときは、時間を奪われたという激しい怒りで満ちた。 しかし心理学を学んでいくと、 背景にあるものは、人間の本能と社会的要因が絡まったため・・わたしはそういう仕組みの上で生きてたんだと知ったことで、自己理解が進みました。 そして、許さない気持ちは変わらないけど、そんな愚かな両親に対して概ね理解できるようになります。 なぜなら、向こうも仕組みの中で決められた行いを繰り返したのだから。 理

          未来を生きやすくするために過去を肯定する

          ノウハウ系記事との相性(noteにおいての人選び⑪)

          書いてることはだいたい理解できるけど共感はほぼできない。 個人的にはそんな感覚です。 何というか、その人が見えない。 物事の大半は思考以上に感情で動きます。 すんなり運ぶこともあるけど、多くは紆余曲折という過酷なプロセスを通るもの。 わたし自身の経験もそうですが、ここにいる各クリエイターさんの記事からも、そのような泥臭い一面が文章から滲み出ています。 そこにはその人にしか知らない・わからない何かがある。 文章を読んで、想像して、見える世界を広げていく。他人事だけど、何

          ノウハウ系記事との相性(noteにおいての人選び⑪)

          理解の範疇を超えたスキ

          それは、「死にたい」「自分はクズ」などに対するスキ。 どういう意図を持ってのリアクションか? わたしにはとても理解できません。 (守ってあげたい気持ちが湧くという可能性もあるんでしょうが) ただ、見るうちに、 不幸なあなたが好きという意図なのか? という気がします。 幸せになってもこれまで通り好きでいてくれるのか?そうであれば、純粋に人として好きということになります。 不幸にいる最中は、そのような人たちが集まりやすいです。 例えば、何の保証もできないのに「そのままでい

          理解の範疇を超えたスキ

          noteで受け取り、ノートに残す

          自分がフォローしている各クリエイターさんが届ける記事の一部を紙のノートに書き移していく。 すべてを記憶するのは難しいから、せめて記録として残す。 もちろん誰に見せるわけではありません。 自分のために自分の手で書く。 いまの自分の心にも、さらに未来の自分の心にも残したい言葉を拾い集めるのは楽しいです。 ノートは気づけば文字だらけになってしまうかも。 だとしたら、それだけ学びと感動体験の機会をいただいているということ。 これは贅沢な悩みになりそうです。 書き移したノートを

          noteで受け取り、ノートに残す

          言葉は頼れるパートナー

          本のアウトプット記事⑧ 今回はこちら。 フォロワーさん数名もこの本についての感想を書かれており、以前から気になってはいました。 実際に読んでみて、ずっと前から欲しかった言葉の数々が一冊に詰まっていた。 普段は本を読み切るまでに数日、長くて数週間かかりますが、今回は1日で読み切るほどのワクワクを味わいました。 わたしが特に響いたのはメモ書きについて。 メモ書きと言っても、ただ書き写すだけでは中身を理解できない。 著書ではこの問題を2つに分けてます。 ①人の話をまともに聞

          言葉は頼れるパートナー

          他人との信頼関係は自己理解をしてから

          わたしの場合、そのように考えています。 以前は自分のことをわかっているつもりが、他人の思考にどっぷり浸かっていた。 このような盲目的な目が、誤った判断を繰り返し、関わる人たちを不快にさせ続けた。 随分前に友人から「思い込みが激しい」 「傲慢」と言われました。 言われた当時は、「思い込みが激しいのはそっちの方」と思いましたが、冷静に考えるとその友人の言葉通りでした。 カウンセリングや心理学をはじめ、環境移動をきっかけにインプットとアウトプットを回し続ける日々。 その結果、

          他人との信頼関係は自己理解をしてから

          利用される優しさ

          生きづらい、愚痴が止まらない。 このような人に対して「そのままでいいよ」 「十分頑張ってるよ」は、機嫌取りの道具として利用されやすくなります。 感情の掃き溜め 一時のストレスをぶつけるたび寄り添うと、相手は快楽状態となり、気づけば何度も同じ要求をします。 つまり、寄ってくれるだろうと計算しているからできるのです。 本当に回復したいなら、既に何らかの計画を立てて行動を起こします。 だけど、動かないということは回復を望んでいないということ。 そうしたら、優しくされる機会を

          本にも出逢うタイミングがある

          人と同じように、本にもあると実感中です。 いまは、時々アウトプット記事にするくらい本に馴染んでますが、以前のわたしは読むもののほとんどが流し読み。 他の人が心動くであろう言葉を拾えず、 (その人独自の)正解に飛び付く。 あとは他人事として「へ~」止まり。 もったいない時間の過ごし方でした。 結局は「そのとき」の相性なんですよね。 出逢うタイミングがズレたんだと思います。 いま揃えている本は、インプットもアウトプットも楽しめるものばかりです。 このタイミングだからこそ

          本にも出逢うタイミングがある

          HSPが利用されている?

          ブームゆえに、利用価値が高まっている気がします。そうでもないのに自称する一部の人が現れるくらい。 ここnoteにもHSPのクリエイターさんが多くいますし、本屋さんに行ってもそれ関連のタイトルが多くあります。 生きづらさを抱えている人々の「声なき声」がようやく一般社会に届きやすくなったのかなと、個人的にはそう思います。 ずっと陰に隠れた?隠された? そんな立場だったHSPの人が見つけてもらえるようになったことはもちろん、理解が少しずつ広まっていくのは嬉しいことです。 ただ

          HSPが利用されている?

          自分の顔は好きか?(過去記事の振り返り⑤)

          いまは好きです。 痩せたのもそうですが、何より自分への信頼の高さが目に表れているから。 最近撮った写真を見ましたが、 去年までの顔とは違う印象でした。 コンプレックス自体がなくなったわけではありません。 ただ、大幅に緩めることができた。 わたしはそれで十分です。 恐らく、強すぎる承認欲求が顔に表れたんだと思います。 怯えながらも依存対象を探していた。 無意識という潜在意識下のわたしは、そんな幼い欲望をコントロールできずにいました。 いまは、自分という人間の存在を自分で

          自分の顔は好きか?(過去記事の振り返り⑤)

          本の断捨離祭り

          ここ数日間、30冊近くの本を手放しました。 多くはノウハウ本です。 話し方や傾聴に文章術などのノウハウ本を、 このたび卒業という形で手放しました。 インプットとアウトプット生活が当たり前となったわたしにとって、手元になくても7~8割ほど体で記憶している。 こう確信したため、「もうお別れだな」と 決断できました。 手放しても、これまでの努力という過去は体が存在する限り残ります。 目に見えないけど、努力に時間とお金を投資した価値は体に残るのです。 ノウハウも大事ですが、

          ひとり時間は清流のよう

          仕事・家のタスクが片付いたひとり時間。 まるでゆっくり流れる川を眺めるのと同じように、心身ともにリラックスできる時間。 さらに、丁寧な暮らしなどのご自愛系動画に映る映像美と静かな音。 心の琴線に触れるという言葉がありますが、 正しくこのことだなと実感します。 あと、読書も。 文字を追うだけではストレスだけど、 誰の目も意図も一切入らない世界に移動した瞬間は至福そのものです。 人によってはつまらない過ごし方に思えるかもしれないけど、そんなのはどうでもいい。 わたしはこれで

          ひとり時間は清流のよう