#19 音楽史⑭ 【第一次世界大戦~第二次世界大戦】実験と混沌「戦間期の音楽」
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#19 音楽史⑭ 【第一次世界大戦~第二次世界大戦】実験と混沌「戦間期の音楽」

クラシック音楽史とポピュラー音楽史を並列で綴る試みです。このシリーズはこちらにまとめてありますので是非フォローしてください。 これまでの記事↓ (序章) #01「良い音楽」とは? #02 音楽のジャンルってなに? #03 ここまでのまとめと補足(歴史とはなにか) #04 これから「音楽史」をじっくり書いていきます。 #05 クラシック音楽史のあらすじと、ポピュラー史につなげるヒント (音楽史) #06 音楽史① 古代 #07 音楽史② 中世1 #08 音楽史③ 中世2

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【百年ニュース】1921(大正10)5月11日(水) のちヒトラー内閣で外務大臣を務めるヨアヒム・フォン・リッベントロップに長男ルドルフが誕生。ヨアヒムは前年ヴィースバーデンの裕福なシャンパン醸造家の娘アンナ・ヘンケルと結婚し5人の子供をもうけた。長男ルドルフはのち親衛隊で騎士鉄十字章の叙勲。
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【百年ニュース】1921(大正10)5月11日(水) のちヒトラー内閣で外務大臣を務めるヨアヒム・フォン・リッベントロップに長男ルドルフが誕生。ヨアヒムは前年ヴィースバーデンの裕福なシャンパン醸造家の娘アンナ・ヘンケルと結婚し5人の子供をもうけた。長男ルドルフはのち親衛隊で騎士鉄十字章の叙勲。

のちヒトラー内閣で外務大臣を務めるヨアヒム・フォン・リッベントロップに長男ルドルフが誕生しました。ヨアヒムは前年ヴィースバーデンの裕福なシャンパン醸造家の娘アンナ・エリーザベト・ヘンケルと結婚、ルドルフを筆頭に5人の子供をもうけました。長男ルドルフはのち親衛隊で戦車部隊で戦功をあげ騎士鉄十字章の叙勲されます。 長男のルドルフ・フォン・リッベントロップは、父ヨアヒムが駐英大使であった1937年、ロンドンのウェストミンスター・スクールで学びました。クラスメートだった俳優のピータ

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煽動家ヒトラー氏曰く「馬鹿は本書に乗せられる」

煽動家ヒトラー氏曰く「馬鹿は本書に乗せられる」

書評:ヒトラー『わが闘争』(角川文庫) 本書を「反面教師とするために読むべき」という意味で高く評価するのならともかく、本書やその著者であるヒトラーを本気で賛嘆する者は、じつはその9割が、本書を読んでいない。 本書(上下巻)を最後まで読んでおれば、そしてその内容の50分の1でも理解できた日本人ならば、本書やヒトラーを賛嘆するなどという、いかにも愚かで自虐的行為など、できる道理は無いからである。 彼らは、読まずに知ったかぶりをしているだけの「厨二病」で、その証拠は、彼らが他にど

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アドルフ・ヒトラー Adolf Hitler
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アドルフ・ヒトラー Adolf Hitler

Diktator<(・ω・。)>エヘン Ausgewählt von der Demokratie Ich habe mich als mein Anführer entschieden Unsere größte Niederlage Und die Geschichte wiederholt sich

他人の正体はソースエネルギー。

他人の正体はソースエネルギー。

波動が上がって、パラレルワールドを大幅に移行して、 マンデラエフェクトが起きて、 以前から交流のある他人が、それまでの自分の記憶とは全くの別人になったとする。 過去の記憶も異なるし、性格も振る舞いも大きく異なる。 では、自分の波動が変わる度に、他人は別人になるのか? では、他人とは何なのか?同一の意識を持ち共に時間を共有する存在では無いのか? ただの虚像なのか? その人の魂はどこにいるのか? 正解はただひとつ。 他人=ソースそのもの なのだ。 ソースエネ

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ヒットラー日記|アドルフ・ヒットラー【文藝春秋アーカイブス】

ヒットラー日記|アドルフ・ヒットラー【文藝春秋アーカイブス】

ヒトラーは第二次世界大戦の緒戦当時から、気を許した側近だけを集め、食事をともにしながら大いに語るならわしだった。1941年7月、マルチン・ボルマンの検閲を受けるという条件を付け、党の職員に速記をとらせることを許可した。ボルマンは最も信任の厚かった副官で、1945年4月30日にヒットラーの命令で総統を銃殺したともいわれる人物である。この記録は降伏の約半年前の1944年11月まで取り続けられたが、最後には、4人の女秘書ばかりになった。その様子を、秘書の一人クリスタ・シュレーダーは

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【ポーランド侵攻③】映像と解説 / グライヴィッツ事件からポーランド侵攻を開始するドイツ - 第二次世界大戦の幕開け
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【ポーランド侵攻③】映像と解説 / グライヴィッツ事件からポーランド侵攻を開始するドイツ - 第二次世界大戦の幕開け

1939年8月31 - グライヴィッツ事件 1939年9月1日 - ポーランド侵攻 1939年8月31日 ドイツ親衛隊工作員による自作自演のラジオ局襲撃(グライヴィッツ事件)がおこなわれた。 この出来事を口実に、1939年9月1日ドイツはポーランド国内への侵攻作戦を開始した。 これを受けイギリスとフランスがドイツへ宣戦し、ついに第二次世界大戦の幕は明けた。 防衛に後れをとったポーランドは、広域にわたるドイツとの国境を守り切ることができず、さらには近代的かつ組織的に戦うドイツに圧倒され、戦線の後退を余儀なくされた。

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【ポーランド侵攻②】映像と解説 / 独ソ不可侵条約と秘密議定書 - ポーランド・イギリス相互援助条約
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【ポーランド侵攻②】映像と解説 / 独ソ不可侵条約と秘密議定書 - ポーランド・イギリス相互援助条約

1939年8月23日 - 独ソ不可侵条約 1939年8月31 - グライヴィッツ事件 1939年9月1日 - ポーランド侵攻 緊迫する情勢の中、ドイツとイギリスは、ソ連を自陣営に取り込む駆け引きを続けていた。 ソ連はドイツとの連携を決断し、1939年8月23日、独ソ不可侵条約が結ばれた。 この条約の秘密議定書には、ポーランド分割占領などの極秘合意がなされていた。 危機感を抱いたイギリスとフランスは、1939年8月25日 ポーランドとの軍事同盟を結びドイツをけん制したが...

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【ポーランド侵攻①】映像と解説 / ミュンヘン会談 - 強硬姿勢のヒトラーと英チェンバレンの宥和政策
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【ポーランド侵攻①】映像と解説 / ミュンヘン会談 - 強硬姿勢のヒトラーと英チェンバレンの宥和政策

1939年8月31 - グライヴィッツ事件 1939年9月1日 - ポーランド侵攻 ドイツは1934年にポーランドと不可侵条約を結んだ。 その後急速に勢いを増すドイツに対しイギリスとフランスは宥和政策を続けていた。 強硬的な姿勢を続けるドイツは、1938年にオーストリアを併合すると、翌年にはチェコスロバキアを解体させた。 さらに勢いづくドイツの標的はいよいよポーランドへと移り、ついにドイツはポーランドへ要求を突き付けた。

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【日独伊三国同盟】映像と解説 / 枢軸国の形成 - 世界が二つに分断された日
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【日独伊三国同盟】映像と解説 / 枢軸国の形成 - 世界が二つに分断された日

1940年9月27日 - 日独伊三国同盟。 1930年代後半、日本はアメリカとの対立を深めていた。 そしてナチス政権下のドイツもまたヨーロッパ戦線へのアメリカ介入に懸念を抱いていた。 さらには国際連盟を脱退するなど孤立を深めていたイタリアも軍事協力先を模索していた。 利害が一致した日本、ドイツ、イタリアの3国は1940年9月27日ドイツの首都ベルリンにて日独伊三国同盟を調印し、アメリカを中心とする連合国に対抗した。

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