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【驚愕】ヒトラーはなぜ意志を重視したのか?予言者ヒトラーにだけ見えた世界の真相

今回は私がヒトラーを研究するにあたり、発見したことがありますので、それを紹介することにします。ぜひ最後までお付き合いいただけると幸いです。
※引用している言葉は全てヒトラーの言葉です。

<参照・引用>
『ヒトラー神話の誕生』J・P・スターン(社会思想社)
『不思議な世界(山田太一)筑摩書房』
『黒魔術の帝国』マイケル・フィッツジェラルド(徳間書店)
『1999年以後ヒトラーだけに見えた恐怖の未来図』五島勉(証伝社)
『神秘学大全』ルイ・ポーウェル、ジャック・ベルジェ(サイマル出版会)
『ヒトラーは語る』カリック(中央公論社)
『ヒトラー神話の復活』別冊歴史読本(新人物往来社)
『ヒトラーの世界観』エバーハルト・イエッケル(南窓社)

ヒトラーと意志の関係 なぜヒトラーは意志を重視したか?

ヒトラーやナチスを研究していると必ず出てくる言葉、それは意志。意志とは一般に「困難や反対があっても、最後までやり抜こうという、積極的な心の持ち方」を意味しますが、ヒトラーにとって意志とは彼自身の柱となり、それは彼の演説や『わが闘争』の中でも多く見られました。ヒトラーにとって不変だったものは、不動の断固たる意志であり、自身の意志を疑うことなく信じていたのです。ナチス党大会の記録映画のタイトルは『意志の勝利(Triumph des Willens)』でしたが、これはヒトラーが直々にオファーしその全てを映画監督レニ・リーフェンシュタールに任せていたのに、唯一それだけは自分で決めたことも例に挙げられます。1931年5月ミュンヘンにおけるヒトラーと会談したリヒャルト・ブライティングはヒトラーが何度も「私は…を望む」ということを繰り返し使っていること、ヒトラーは彼自身のエネルギーを一個の鉄の意志の中へと投入しているという強い印象を受けたと語りました。ヒトラーがベルリン陥落前まで戦うことに固執したのは、彼が最期までドイツの勝利を望んでいたからです。そして彼だけでなく当時の圧倒的大多数のドイツ人はこの鉄の意志を共にしていました。

五年前から余は、他の世界から切り離されている。劇場にも行かず、コンサートも聞かず、映画さえ見ていない。余は、この戦い抜くというただ一つの任務のために生きている。鉄の意志がその背後になければ、この戦いに勝つことはできないからだ。

諸君、もう一つ強調しておかねばならないことがある。余は十一年前から、この仕事にたずさわっているが、この十一年の間、この仕事が完了したという報告をいまだに聞いていない。我々の状況は1941年から1942年のロシアの状況と異ならないからである。問題はただ、ドイツが存続する意志をもっているのか、それとも破滅するかだけである。余にとっては、我々の今日のこの状態は、決して新しいものではない。余にとっては、かつて、状況は全く違ったはるかにひどいものであった。余がこうしたことを言うのは、なぜ余がかくも狂信的に余の目的を追うのか、なぜ何物も余の戦意を失わせることがないのか、それを諸氏に理解してもらいたい、ただそれだけのためである。

ヘルマン・ゲーリング師団をシチリア島から本土へ移動させる案が練られた時、将軍がこれを実行不可能と言ったのにヒトラーは激昂して「船艇の不足などは決定的なことではない。決定的なのは『意志』だ!」と言いました。目的を達成するために絶対に必要な手段を自己の力の限り求める意志を持つこと、意志こそが成功の勝利への鍵である、意志は道の一部である、意志が全てを実現させるとヒトラーは疑わなかったのです。

ヒトラーというと公式イメージとして「禁欲主義の総統」「修道士のような生活」「無私・無欲の人」と大いに宣伝されました。ヒトラーは、もともと吸っていたタバコをやめ、酒も飲まない、肉も食べない、女遊びもしない、賭け事もしなかったというのは有名な話です。ヒトラーが肉類を初め、アルコール、喫煙などを強く拒否しているのは、健康上だけでなく心の信念によるものだとヘルマン・ラウシュニングに告白しました。

「いや、意志などというものは存在しない、意志の力を信じていたヒトラーは愚か者だ」という人がいます。果たしてそうでしょうか?ヒトラーにとって意志とは何だったのか?なぜそこまで意志について並ならぬこだわりがあったのか?とあるヒトラーの発言の中に出た一つの言葉から私は閃きました。全ての鍵となるキーワードは、

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