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元ヒトラー親衛隊 魂の叫び「しかし、ドイツは屈しない!」

私はこれまでナチス関連の様々な本を読んできました。中には絶版でもう手に入らないもの、元の値段の数十、数百倍につり上がったものなどもありました。その重要な中身からしても、私にとってはそれらの本は決して本屋の棚に並ぶようなものと全く異なる価値がありました。

私がひどく感動したのは、敗戦後、元ヒトラー親衛隊の言葉の数々です。ドイツ人は非常に頭がよく、自分たちを客観的に見られる内省力と分析力がありました。いつも彼らの言葉は本質を捉えていました。しかしながら残念なことは、ほとんどの日本人がそれを知らない、知る機会がないということです。(図書館でも、真実に近いナチスの本ははぼ9割貸出不可で、読むのも職員に声かけする必要がありました)

だから私は元ヒトラー親衛隊が敗戦後に、どんなことを考え、苦悩していたのか多くの日本人に知らせるべく、今回記事にまとめることにしました。これらはほんの一部になりますが、彼らの言葉に触れ、ぜひ一度考える機会を持ってほしいと思います。内容はナチスドイツ時代にドイツに留学していた日本人学生が戦後に文通をしていたもののやり取りと、日本人ジャーナリストによるインタビュー記事になります。

<参照>
『僕らはごめんだ』篠原正瑛
『敗戦の彼岸にあるもの』篠原正瑛
『現代ドイツ』篠原正瑛
『20世紀最後の真実』落合信彦

※以下、読みやすいように漢字を少しこちらで調整しましたが、ほとんどが原文のままです。


ドイツ人はアメリカやソ連の番犬ではない

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日本の場合と全く同じように、我々ドイツ人にも道徳的な良心というものがあるのです。自分たちに都合の悪い時にはドイツに軍備を禁じ、自分達に都合が良くなれば再軍備させるというのでは、いったい、我々ドイツ人の良心というものはどうなるのでしょうか?ドイツと日本が無条件降伏をして、この二つの国から軍備と名のつくものが完全に奪われてしまって以来、そして、この二つの国が、敗戦国として戦勝国の意志のもとに屈服を強いられてしまって以来、この二つの国民は、国際情勢のどのような変化に対しても、なんらの責任を負う能力も義務もなくなってしまっているのです。どういう正当な理由があって、我々両国が、国際情勢の変化に対して、他の戦勝国と一緒に責任を負わされなければならないのでしょうか?戦勝国たちの、お互いに虫のいいことばかり考えていた当然の報いとしての軋轢や、いさかいのいわば尻拭いを、ドイツと日本がしろというのでしょうか?(略)我々ドイツ人は、アメリカやイギリスやフランスやソ連の番犬ではないのです。主人の命令であれば、どんなことでも、喜んで尻尾を振るとでも考えているとしたら、とんでもない認識不足です。
クルト・フライシャー SS下士官

自由と平等を精神とするデモクラシーはどこにあると言うのか?

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君の国の政府も無能だということですが、我々西ドイツを代表する政府も愚劣極まるもので、本当に真のある強力な政策と言ってよいものは、対内的にも対外的にも全く見られないのです。今日のドイツでは、各人各自、てんでんばらばらに勝手なことをしています。政党は政党同志互いに、階級は階級同志互いに、血で血を洗うような醜い権力争いに、うき身をやっしています。彼らにとっては、私利私欲の他には、何事もいわんや、同胞や祖国の運命などということは念頭にはないのです。君も知っている、およそ共同社会の生活を営む者にとって忘れることの許されぬ理念、"公益は私益に先んず"は、ただそれがナチスの理念であったというだけの理由で、追放されてしまったのです。そして、その代わりに、年が年中、明けても暮れても、バカの一つ覚えのように、デモクラシーさまさまです。だが、我々ドイツ人が親しくお目にかかった限りでは、それこそ見ると聞くとの大違いで、デモクラシーというものは、恐ろしくインチキなものですね。およそドイツ的なドイツ人ならば、誰でもデモクラシーという言葉を聞くと、フン、デモクラシーか、と鼻であしらってしまうのです。我々ドイツ人は、ドイツで行われているデモクラシーを称して、"ベザッツングス・デモクラティー"(占領のためのデモクラシー)と呼んでいます。こんなデモクラシーなんか、我々ドイツ人にとって、およそ考えられる限りでの、もっとも不都合な政治形態であるといっても良いでしょう。爆撃で半ば破壊された、不健康な地下室のせまい片隅に、幾家族もが重なり合って、希望のない毎日を送っている時、汗と体臭で空気のにごりきった電車やバスにすし詰めにされながら、栄養失調と過労で疲れ切った勤労大衆(彼らこそ、デモクラシーの真の主体ではないでしょうか?)が、屠殺場へ連れてゆかれるブタのように職場へ送られて行く時、"勝利者"たちは、ドイツ人を追い出して掠奪した豪華な住宅を、一人で幾部屋も独占し、贅沢な乗用車にふんぞりかえって、我々を尻目にかけているのです。いったいどこに、彼らが口癖にいうデモクラシーが、自由と平等を精神とするデモクラシーが、あるというのでしょうか。
ゴットフリート・マイヤー 元SS中尉

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