昭和23年(1948年)、家庭劇と万太郎一座が合流して鶴亀新喜劇が生まれます。
失敗できへん!
しかし、稽古場Aに千之助はいない。思えば戦前は千之助が暴れ放題だったのに。どうしたのか。千代に主役を譲って、みつえの岡福で昼間から飲んでます。ほんで千代が押しかけて「なんでセリフがど狸なのか?」と聞いてくる。しかも酒まで飲んでごぉーっと声をあげるわ。大暴れですわ。
千代は自宅に戻っても悩んで
昭和23年(1948年)、満洲から戻った寛治は、あのビー玉を千代に渡すのでした。
満州・新京にいたその店長
ジャーンと銅鑼の音が鳴り、満洲国という地図が映ります。昭和日本人の中国を感じる音って、この銅鑼ですわな。横光三国志のジャーンジャーンでおなじみの。
満洲・新京とテロップは出ますが、たぶん大阪で撮影しているわけですよね。それでもSE、音楽、衣装で満洲を再現しようと頑張ってはります。2
昭和23年(1948年)、万太郎の死を受けて道頓堀演劇界が動きます。一平は鶴亀のためでなく、喜劇のために引き受けたのです。そして新座員も加わります。
万歳と千兵衛は納得できない
大山社長の筋書きはたいしたもんや。道頓堀を賑やかした万太郎一座と、家庭劇が、万太郎の死で結びつく。うーん、昨日の感動も社長の営業戦略かと思うと水差されますよね。でも、世の中そういうもんよ。
旗揚げは 昭和24年(
『咲き定まりて 市川雷蔵を旅する』
清野 恵里子 (著)
Amazon内容紹介
市川雷蔵(一九三一‐一九六九)。日本映画の黄金期に燦然と輝く足跡をしるし、早世した美貌の映画俳優。今もなお多くの人々を魅了する雷蔵その人と雷蔵映画を丹念に読み解いた新しい雷蔵論。豊富な場面写真とともに読む『眠狂四郎』『華岡青洲の妻』『ある殺し屋』『大菩薩峠』『ひとり狼』など全28本。
ここから僕の感想
自
昭和20年(1945年)の敗戦から3年、大山社長は一平に鶴亀新喜劇を立ち上げるように依頼してきます。その頃、喜劇王・万太郎は喉の病気で声を失っていました。
寛治はまだ満洲におる
万太郎は最後の一日だけ公園をするっちゅうことで稽古中。棺桶に入ってます。一座は天海家で食事しつつ、万太郎の執念やと話し合う。千之助は「しょうもな」と呆れています。一時は天下一だった万太郎一座も、大打撃を受けています