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【自己紹介】 note「人生、晴れたりくもったり」をスタートします

みなさん、はじめまして。ななと申します。

40代女性、中途半端な田舎で夫と娘2人で暮らしています。普段はライターとして活動しています。

思い立って、note「人生、晴れたりくもったり」をはじめることにしました。私が経験した数多くの“泣き笑いのエピソード”を包み隠さず、紡いでいこうと思います。

毎日が生きづらいなと感じている方といっしょに、前を向いてガハハっと笑って日々を歩んでいけたらいいなと願って更新していきます。

10代は兄妹間虐待、20代は恋愛依存に苦しむ

はじめに、私の経歴を書いてきますね。主に人生経験です。

私には、2つ上の兄がいます。家庭で一緒に過ごした約12年の間、心身ともに虐待を受けました。おそらくこの頃のトラウマ経験が原因で自分肯定感を保てず苦労しています。現在まったく連絡をとっていませんが、両親から聞くところによるといい歳した今でも「他人のせいにして罵声を浴びせる」性格はまったく変わっていないようです。マジキチの困ったチャンやで、まったく。

同時に、兄による家庭内虐待を両親に詳細に言えなかったため、家庭内では常に“いい子”で居続けようと努めてきました。親には精神的に頼られて育ったため、親元を離れると歪んだ愛情を求めてしまう“恋愛依存”の20代を過ごすことに。今思い返しても相当イタいです。

(もしドラえもんと出会ったら「どら焼き一生分の食べ放題チケット」を進呈して、タイムマシンを使って青春時代をやり直したいと交渉したい)

そして、30歳を前に学生時代の後輩と再会し遠距離恋愛がスタート、半年間の付き合いを経て結婚しました。縁もゆかりもない日本海側の豪雪地帯に引っ越してはじまった結婚生活。死産の苦しみを乗り越えて、1年後に娘を出産。程なくして古民家を購入しリノベーション。山の麓でののどかな暮らしがはじまりました。

32歳で離婚して1年後に、ストーカー被害に遭う

しかし当時の夫に「愛情がなくなった」と言われ、娘が3歳のときに離婚。「養育費は払うから」と親権は当然のように私でした。この瞬間から私は夫にとっての都合の良い“いい妻”を一切辞めました。ドクターX大門未知子のごとく、理路整然とお金の交渉をし条件は公正証書に残し、作成費用はもちろん夫負担を貫きました。自ら離婚を突きつけてきたんだから当然のことでしょ?と当時の私は鬼と化しましたよ。そして、そのまま豪雪地帯で母子生活をスタートさせました。

楽しい母子生活を送っていたものの、“一方的に振られた”側の私は子育てと仕事に励みつつも精神的に明らかに疲弊していました。ときに父親を求めて泣き叫ぶ当時3歳の子どもに申し訳ない気持ちもいっぱいで離婚は正解だったのだろうかと悩む日々。

気持ちに余裕がなく“お父さん探し”をせねばと行政主催の婚活パーティーに参加してみました。今ならば当時の私に「子どものために焦るな」と総ツッコミを入れるし、家中を全ガードして出かけられなくしてやりますね、はい。それがきっかけで知り合った人が、超スーパーがつくほどにヤバい束縛野郎でした。「俺が『おはよう』とLINEしたら、『おはよう』って返すだろ普通」とかあんたは女子か。こっちは朝戦争状態の3歳児の母親じゃ。

付き合いをきっぱりと断とうとすると見事にストーカー化し、警察に相談しても執拗に付きまとわれ、終いには夜明けに窓ガラスを割って不法侵入されました。

このときばかりは神様がそばにいてくださったのだと思う。朝4時頃ざわざわした胸騒ぎのままタイミングよく警察に連絡していたので、数時間後様子を見に来てくれた刑事さんが来て逮捕。その後休む間もなく現場検証、警察の聞き取り、起訴後は検察とのやり取りで、心身ともに限界を越えていました。

こんな状況でも子どもの前では笑顔でいるように努めたんですよ。やっぱり自分のせいでこわいことに巻き込んでしまったことに申し訳なくて。そして、縁もゆかりもない地域でしたが、縁ある人たちと交流を重ねるにつれ大好きな地域になっていたのです。にも関わらず事件きっかけに離れなければならないショックが想像以上に大きく、私は心にがっちりと重いフタをしてしまいました。

あのときの体験は今思い返しても恐怖と後悔でしかないです。本当に少しですがかさぶたになってきたので、同じ境遇の人が苦しい結果にならないように、自身の反省点も含めて発信していきたいです。

再婚するも、夫が昭和の価値観を持ち感情的になると怒鳴る人で、しばらく苦しかった

こうしんどいことばかり書いていますが、シングルマザー時代はとても充実した暮らしを送っていて、仕事も私生活もとても楽しかったんです。

ストーカー事件後はこれまでと同じような住みよい田舎に仕事を見つけて、引っ越しました。いわゆる“ちょうどいい田舎暮らし”を自分で選択したので「ああ、私生きているな」と実感する毎日でした。自分軸で活き活きと過ごしていた時間でした。

娘は5歳になり、引っ越した田舎の保育園に通っていました。お友達のお父さんがお迎えにくると「なんでお父さんがいないんだろう」という発言がまたも出始めて。婚活も私の中では相当怖かったのですが一歩踏み出してもいいのかも?と思い、大学時代の先輩から紹介を受けました。

それが今の夫です。正義感が強くまじめです。趣味や好きなものは全然違うし不器用だけど、誠実な人でした。この人だったら最低限の安心した生活ができるのでは?と一緒に過ごすうちに思うようになり、娘との相性もよかったので小学校に上がるタイミングで再婚しました。

一緒に住むようになると、やはり色々と見えてきます(夫婦お互いに)。特に責任感の強い夫は、“いいお父さん”になるようにがんばってくれるわけです。そこで娘がかんしゃくを起こしたとき、かっ!となるんですね。夫は「怒鳴る」ことでわからせようとする人でした。不機嫌な状態が元に戻るまでは2日かかることも多く、そんな日々が続くと娘は恐怖で萎縮してしまって夫の顔色を伺うようになってしまいました。

それが3年ほど続きました。離婚すべきでは?と悩むほど本当につらかった。辛抱強く伝え続けて自分の接し方を反省してくれて少し落ち着いてきたけれど。やっぱりいつ怒りのスイッチが入るかわからないから、娘は一緒にいるのがこわいと言っています。

人生、晴れたりくもったり

こう振り返ってみると、私の人生は自分に覚悟がなくてめちゃくちゃ情けないし、誰の参考にもならないものばかりです。

自分で書いていてもイタイタしくて恥ずかしいし、人生やり直したいし、これを知ったらみんなドン引きするかもなとも思います。

でも、“人間としての痛み”をこれでもかというほど知っています。

たくさん傷ついたおかげで、うまく自他の境界線も引けるようになりました。例えば、危険を察知したら「必殺!私関係ないので」をお見舞い。鋼のような鎧をサっと身に付けて逃げられるようになったり。

ななさんの人生って波乱万丈だね。一冊の本が書けるよ。

ある人にこんなことを言われたことがあります。これまで上記に挙げた経験談を一部ブログなどに書いたこともありましたが、心の底から堂々と発信することができませんでした。

これを書いたらあの人を傷つけるんじゃないか。暗い人間だと思われるんじゃないか。エラそうと思われるんじゃないか。迷いがでるたびに発信が止まったり、下書きに戻したり、書こうとしてストップしたり。すべてにおいて中途半端でした。

そう、私になかったものは、100%自己開示する覚悟だったのです。

いきなりすぎてごめんなさいなんですが、2021年5月14日に最終回を迎えたNHK朝の連続ドラマ小説『おちょやん』が今の私に足りないものを教えてくれました。

あんたと別れへんかったら、大切な人たちと出会うこともできへんかった。あんさんも私も、“愛する我が子”と出会うこともできへんかった。あんたと出会うて、つらい思いもぎょうさんしましたけど
生きるっちゅうのは、ほんまにしんどうて、おもろいなぁ

人生の苦楽すべてを受け入れて、女優として再出発する主人公・千代のセリフです。見事なまでにセリフに体現していました。

すべて丸裸で表現して、こっぱずかしい自分を見てもらって。

こんなしょうもない人生を送ってても、私はなんとか前向きに生きてるよ、と。読んでくださった方に「ちょっと嫌なことがあったけど、こんな1日でもよかったな」と思ってもらえたらうれしいなと。

大阪出身なので、自分の経験を全力でツッコみいれながら書いていきます。

note「人生、晴れたりくもったり」を、どうぞよろしくお願いします。

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