ビル山崎

自由業。ネット番組やネットラジオの構成。野良人間。世捨て人。

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最近の記事

お年寄りの思い出話を聞く仕事

先日、とある公民館でこんな仕事をしてきた。 『芸能・時事で近代史を振り返る~わたしの歩んだ道を回想する~』講師・山﨑慎太朗氏。正式な「﨑」表記を久しぶりに見た。自分ですら面倒臭いので「崎」にしているのに、さすが公民館はちゃんとしている。立派なタイトルが付いているので、たいそう有意義な講義をしてきたのかと思われるかもしれないがさにあらず。事の経緯は以下である。 私は元々、芸能やテレビ番組について調べるのが好きで、日夜、古書店をうろつき面白そうな本を探している。またそれに加え

    • 【最近読んだ本】三木のり平・小松政夫・伊東四朗・三谷幸喜

      以前、「演芸に関する本は全然読んでいない。というのも、古書店を出入りしていても、気になる演芸本と出会うことが少なくなってきた。」とカッコつけて書いていたが、本棚を見渡すと情けないことに買ったものの読んでいない演芸本がたくさんあった。ということで、最近はそれらをちょこちょこ読み進めている。(敬称略) まず、『のり平のパーッといきましょう』。いわずと知れた名喜劇俳優であるが、正直僕らの世代(平成元年生まれ)にとっての三木のり平は、「『ごはんですよ!』の人」という印象で、三木のり

      • 近況〜いろんな仕事〜

        仕事のことこの仕事を始めてからおそらく今年で10年目になるのだが、6〜7月はその10年間で出会ってこなかった仕事をたくさんやらせてもらった。 まず、自分が構成を担当しているゲーム紹介配信『村上奈津実・小澤麗那のGamer放送局』の放送後記。イラストと共に放送内で起きた出来事や裏話などを自分のたっての希望で書かせてもらうようになった。というのも、台本ではない文章を定期的に発表できる場を持ちたいと予てより思っていたからである。連載しているという感覚で楽しく書いている。サクッと読

        • 元祖『一人コント』は誰?

          昨年、イッセー尾形さんの『イッセー尾形 The best of best collection 』というDVDボックスシリーズを購入し、深夜にちょこちょこ見ています。といっても、全部でDVD24枚分あるので全部見終えるのはまだまだ先になりそうなのですが。 イッセー尾形さんといえば、一人コントの第一人者という印象がありますが、家にある『ニッポンの爆笑王100 エノケンから爆笑問題まで』という本をパラパラめくっていたら、初めてネタが『一人コント』と称された人のことが書かれていまし

        お年寄りの思い出話を聞く仕事

          上岡龍太郎さんがいなくなってしまってすごく寂しい

          5月19日に上岡龍太郎さんが逝去していたと報じられた。2000年に引退してしまっていたとはいえ、心底憧れた芸人さんが亡くなったのは初めてかもしれない。この1週間は様々なラジオパーソナリティが振り返る上岡さんの思い出を聴いて過ごした。 僕は大阪出身だが、芸人・上岡龍太郎はほぼ間に合っていない。リアルタイムの記憶は、夜ふかしした時に見た『探偵!ナイトスクープ』と、土曜の昼間に父が欠かさず見ていた『ノックは無用!』程度である。しかし、後にお笑いに興味を持ち、上岡さんがやってきたこ

          上岡龍太郎さんがいなくなってしまってすごく寂しい

          神保町古書店街散策のススメ

          スケジュール帳で自分の行動を見ていると、私のプライベートは荻窪・阿佐ヶ谷・中野・神保町のどこかにいることが分かった。もし私が逃亡しても、この4ヶ所を張り込んだらすぐに捕まるだろう。 荻窪・阿佐ヶ谷は居住地の周辺、中野も自転車で行ける距離だが、神保町だけは電車で30分ほどかけて向かう。御茶ノ水・秋葉原など、神保町の近くで仕事がある場合は、2時間ほど早く家を出て神保町を散策する。目的はただ一つ。世界最大級の古書店街『神田神保町古書店街』を歩きたいからだ。今回は、そんな私の愛する神

          神保町古書店街散策のススメ

          最近の私-ドリフ・ラジオ・甲子園

          とりとめもない文章を書きたいなあと思いつつ、職業柄いろんな締め切りがあり「仕事でもない文章を書くヒマがあるなら早く台本送れ!」との声があちこちから飛んできそうなので、なかなか手を出すことができずにいました。が、ちょっと落ち着いたので近況を3つ。いつか連載を持ち、仕事として文章を書くのが夢です。 ①ザ・ドリフターズ ここ2ヶ月ぐらいは、ザ・ドリフターズに関する本を多く読んでいました。きっかけは7月23日に開催されたイベント『寺島惇太の朗読コント倶楽部』。ネット番組『寺島惇太の

          最近の私-ドリフ・ラジオ・甲子園

          楽屋言葉〜香盤・幕間・場当たり〜

          「お笑いライブでよく使われる言葉を3つ選べ」と言われたら、『香盤』『幕間』『場当たり』を選ぶ。今回は、この3つについて調べてみました。 【香盤】 読み方は『こうばん』。出演者の出順が書かれたもので、主に『香盤表』という言葉で使われる。香盤は、香木をたき、立ち上る香気の異同によって古典的な詩歌や故事、情景を鑑賞する芸道『香道』で使われる道具で、四角い升に線香を立てるための丸い穴が開いたものである。中田昌秀『笑解 現代楽屋ことば』という事典を引くと、以下のように書かれている。

          楽屋言葉〜香盤・幕間・場当たり〜

          コンビ名を最初に付けた漫才師は誰?

          我が家には、昭和30年代にラジオ放送された漫才の音源を集めた『上方漫才黄金時代(実況録音)』というCDがあるのだが、出演者を見ると、横山エンタツ・花菱アチャコ、初代ミスワカナ・玉松一郎、砂川捨丸・中村春代、芦乃屋雁玉・林田十郎など、芸名を並べたものが基本でコンビ名を付けている人がいない。思えば、横山やすし・西川きよしぐらいまでは、『姓名+姓名』もしくは『屋号+名・名』のコンビが多かったような気もする。 そこで、初めてコンビ名を名乗りはじめたのは誰だったのか調べてみたところ、

          コンビ名を最初に付けた漫才師は誰?

          水島新司先生

          (東京の家にある水島新司先生関連の私物) 僕がよく話すエピソードの1つに「『ジャンプ』『サンデー』などの少年週刊誌を買ったことがなく、中学生の頃から『ビッグコミック』を読む老けた子どもだった」というものがある。きっかけは、水島新司先生の『あぶさん』が連載されていたからだ。10代の頃、友人たちの会話が『ONE PIECE』『NARUTO』『BLEACH』などの作品に移っていく中、別に人と話を合わせようという気がなかった僕は、手塚治虫・水島新司漫画をひたすら集めることに没頭

          水島新司先生

          大阪弁はいつ東京に広まったのか(2)

          以前、大阪弁が全国的に普及したのはいつなのかということについて書いた。 (https://note.com/bill_yamazaki/n/nbd5234ce701b) まとめると、 ・今では標準語と同じぐらい市民権を得ている大阪弁(関西弁)だが、昔は大阪弁も一方言であり、東京の人には伝わらなかった。 ・尾上圭介著『大阪ことば学』によると、『鶴瓶・上岡 パペポTV』の頃をきっかけに東京の人にも大阪弁が認知され始めたんじゃないか、とのこと。 ・1987年、TBSとフジテレビが

          大阪弁はいつ東京に広まったのか(2)

          『緊張の緩和』に関するメモ

          笑いが起こる法則として、『緊張の緩和』という言葉がよく使われる(『緊張“と”緩和』ではない)。これは、桂枝雀師匠が提唱した理論であり、この『緊張の緩和理論』『緊緩の法則』については、ちくま文庫から発売されている『らくごでDE枝雀』に詳しく解説されている。 枝雀 (中略)すなわち「緊張の緩和」がすべての根本なんですわ。はじめグーっと息を詰めてパーッとはき出す。グーッが「緊張」でパーッが「緩和」です。「笑い」の元祖ちゅうことンなると、我々の祖先が大昔にマンモスと戦うてそれを仕留

          『緊張の緩和』に関するメモ

          藤山寛美さんと父

          連続テレビ小説『おちょやん』を見逃してしまい大変後悔していたのだが、先日前後編の総集編が放送されていたので視聴した。『おちょやん』は松竹新喜劇に所属していた浪花千栄子さんがモデルで、昭和に活躍していた関西芸人をモデルにした登場人物が多数出演している。のちに松竹新喜劇の顔であり、日本を代表する喜劇役者となる藤山寛美さん役を兄弟漫才師『まえだまえだ』の前田旺志郎さんが演じていたことも話題になった。 私が子供の頃、新喜劇といえば毎週土曜のお昼に放送されている吉本新喜劇であった。松

          藤山寛美さんと父

          『一文笛』

          2021年6月13日に行われた三遊亭圓楽師匠と伊集院光さんの二人会。チケット発売日には、私もスマホ・iPad・パソコンを準備して待機していたが、多くの人と同じく、秒殺で即完してしまったチケットを手に入れることはもちろんできなかった。 ということで、伊集院さんの感想を楽しみにしていた6月14日の『伊集院光 深夜の馬鹿力』の中で、圓楽師匠が演じた演目『一文笛』について話しているときに「はっ!」と気付かされることがあった。 『一文笛』という演目は、桂米朝師匠の創作落語である(『一

          『一文笛』

          話術と"手"

          漫才師を目指して上京、初めて公園で漫才の練習をしたときのこと。最初に感じたのは、手の置き所に困るということだった。なんとなくふわふわとして所在ない。これは、腹の前で手を重ねたり、手を後ろで組んだり、他の漫才師の身振りを真似ることで落ち着いた。 そんなある日、とあるライブに出演したときのこと。ライブ後、作家さんに「漫才師みたいな手つきはするな」とダメ出しを受けた。当時、もっとも血気盛んだったころの私は、無言で首は縦に動かしながらも「漫才やっとんねん、わけわからんこと言うなや」

          話術と"手"

          大阪弁はいつ東京に広まったのか

          よく「大阪の人は上京しても方言を直さない」と言われる。私も直していない。ただ、私が大阪出身だとあまり思われていないのは、昔から敬語では標準語に近い言葉遣いをしていたので、仕事の付き合いの人しかほとんどいない東京では、大阪弁で話せるような相手がいないというだけのことである。大阪弁で話す人が目立つだけで、私のような大阪出身者の人も多いと思う。 今ではすっかり知られた方言となった大阪弁だが、桂米朝師匠の『上方落語ノート』内に、かつては大阪弁もその他の方言と同様、東京では何を言って

          大阪弁はいつ東京に広まったのか