水島新司先生

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(東京の家にある水島新司先生関連の私物)

僕がよく話すエピソードの1つに「『ジャンプ』『サンデー』などの少年週刊誌を買ったことがなく、中学生の頃から『ビッグコミック』を読む老けた子どもだった」というものがある。きっかけは、水島新司先生の『あぶさん』が連載されていたからだ。10代の頃、友人たちの会話が『ONE PIECE』『NARUTO』『BLEACH』などの作品に移っていく中、別に人と話を合わせようという気がなかった僕は、手塚治虫・水島新司漫画をひたすら集めることに没頭していた。

唯一、ファンレターを出したことがある人は水島新司先生である。中学3年生の時のクリスマスプレゼントは『球道くん』全巻セットだった。どうしても古本屋では見つけることができず、初めて利用したヤフーオークションで購入したのは『野球狂の詩』17巻だった。Amazonで文庫版の『光の小次郎』の最終巻を注文したら、なぜかひうらさとる先生の『ホタルノヒカリ』が届いたなど、思い出を挙げたらキリがない。以前、実家に帰ったとき、子どもの頃の僕が水島新司先生のキャラクターを模写した絵や姉に描いてもらった絵が出てきた。

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上京して住み始めた6畳一間の家に、大量の水島野球漫画を置く余裕はもちろんなく、ほとんどは実家にあるが、東京でもたびたび水島新司漫画に触れる機会があった。
普段、お手伝いとして出入りしているタイタンには『水島新司漫談』を持ちネタにしている松尾アトム前派出所さんがおり、僕の家で「『ドカベン』のあのシーンがいい」「『男どアホウ甲子園』のココが面白い」といった話を本当によくしていた(というか、今でもする)。『ドカベン』の最終回が掲載された『週刊少年チャンピオン』を、新宿の紀伊國屋に一緒に買いに行ったのも懐かしい。

また、爆笑問題の太田さん書き下ろしの絵本『アマガエル』のお手伝いをしていた頃。その日は、太田さんと日本エレキテル連合の中野さんと橋本さん、僕の4人が事務所にいて、どういう話の流れからか、太田さんと僕が『ドカベン』の名シーンをエレキテルさんに話し続けるという日があった。太田さんに「お前、詳しいな」と言ってもらい、この時ほど「『ドカベン』読んでてよかったー」と思った日はない。太田さんが水島先生から「太田さんは芸能界の岩鬼ですよ!」と言ってもらった時の話も直接聞かせてもらった。

松尾さんは10個上、太田さんはちょうど2回り上の24個上。しかし、水島先生の漫画が持つ普遍的な面白さによって、僕は大人になってからも助けられている。

前置きが長くなってしまったが、次からは自分が持っている水島先生の漫画について、ちょっとしたあらすじと思い出を書いていこうと思う。

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