藤山寛美さんと父

連続テレビ小説『おちょやん』を見逃してしまい大変後悔していたのだが、先日前後編の総集編が放送されていたので視聴した。『おちょやん』は松竹新喜劇に所属していた浪花千栄子さんがモデルで、昭和に活躍していた関西芸人をモデルにした登場人物が多数出演している。のちに松竹新喜劇の顔であり、日本を代表する喜劇役者となる藤山寛美さん役を兄弟漫才師『まえだまえだ』の前田旺志郎さんが演じていたことも話題になった。

私が子供の頃、新喜劇といえば毎週土曜のお昼に放送されている吉本新喜劇であった。松竹新喜劇がテレビ放送されていた印象はなく、初めて映像で見たのは、この仕事を始めてからである。一方で、私の父は松竹新喜劇が大好きで、土曜日の授業が終わり、走って帰宅し吉本新喜劇を見ていると、父が「新喜劇は松竹や」「松竹新喜劇には情があんねん」「阪神の岡田(彰布)ってほんま藤山寛美に似てんな」などと横から話しかけてくるので、「静かにしてぇな」などと文句を言っていた。

私の父は、外では非常に社交的な人間らしいのだが、家ではあまりしゃべらない。酒好きのスポーツマンという感じで、私だったらいろんな人に話しまくるようなエピソードを面白いことだと思っていない節がある。大学時代、ソフトボールで全日本(インカレ)準優勝した時の4番打者で、大学日本代表の候補としてキャンプに参加していたことも私は知らなかった(家に置いてあったソフトボールの雑誌に書かれているのを見て知った)。

そんな父は、15歳のころ、藤山寛美さんに弟子入りしに行ったことがあるらしい。これも当人から聞いたわけではなく、おそらく母から聞いた。当時の私は藤山寛美さんの凄さをよく分かっていなかったが、父に「藤山寛美に弟子入りしにいったん?」と聞くと、一言「そうや」と当然のように言い、話は終わった。父は中学3年の頃、受験勉強が心底嫌になり、松竹新喜劇の楽屋を訪れ弟子入りの志願に行ったらしく、そのとき、藤山寛美さんに「高校出てからにし」といったことを言われたらしい(結局、再び藤山寛美さんのもとを訪れることはなく、普通に高校・大学に行き、サラリーマンになった)。芸能やお笑いに興味を持ち出してからは、事あるごとに藤山寛美さんの話を聞き出そうとするのだが、以上の情報しかしゃべらない。『爆笑問題カーボーイ』や『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』で語られる『おちょやん』の話を聞いていて、久しぶりに父のこの話を思い出した。松竹新喜劇や藤山寛美さんについては、まだあまり知らないので、今後松竹新喜劇を映像や舞台で見たり、本を調べてみたりしたいと思っている。


<余談>
父は今も現役で草ソフトボールをプレイしているのだが、かつて愛用していたグローブは、何か文字がうっすらとペンで書かれている。父によると「昔、ソフトボールの実業団のチームからスカウトされた時にもらったグローブで、それは小林繁(かつての阪神タイガースのエース)のサインで、これは誰やったかな…」とのこと。保管しときゃいいのに。今は私が高校時代に使っていたグローブを使っている。
また、父と甲子園に行くと、「働き始めた頃、甲子園の近くに住んでたから、ようここの中華料理屋で木戸とか平田(85年、阪神が日本一になったときの主力選手)におごってもらった」とか、居酒屋で隣になったオール巨人師匠に焼き鳥をおごってもらったとか、「それ、もっと前に言うタイミングあったんちゃう?」みたいなエピソードを話すことがある。不思議な人である。

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