大阪弁はいつ東京に広まったのか

よく「大阪の人は上京しても方言を直さない」と言われる。私も直していない。ただ、私が大阪出身だとあまり思われていないのは、昔から敬語では標準語に近い言葉遣いをしていたので、仕事の付き合いの人しかほとんどいない東京では、大阪弁で話せるような相手がいないというだけのことである。大阪弁で話す人が目立つだけで、私のような大阪出身者の人も多いと思う。

今ではすっかり知られた方言となった大阪弁だが、桂米朝師匠の『上方落語ノート』内に、かつては大阪弁もその他の方言と同様、東京では何を言っているのか分からず通じなかったといったことが書かれていた(どこのページに書かれているかすっかり忘れてしまったが)。大阪弁はいつ市民権を得たのだろうか。

先日、大阪弁に着目して大阪の文化について書かれた『大阪ことば学』という本を読んでいたら、興味深い記述があった。著者の尾上圭介さんは、大阪出身の東京大学名誉教授。1999年に出版された本である。下記に引用する。

最近、この大阪弁のイメージが大きく変わってきた。異郷の人、特に東京の若い人の間で、大阪弁に対して従来とはまったくちがった好感を持つ人がものすごい勢いでふえているのである。
NHKのある番組の調査によれば、「大阪弁が好きだ」という東京の若者は七五パーセントを数えるという。そこまで多いかどうかは別としても、確かにその傾向は実感できる。
大阪弁に対する感覚のこの変化は、私の観察では、昭和六十年前後からのことであって、テレビで言えば「パペポTV」という関西弁のトーク番組が東京でもウケ始めたのが、そのわかりやすい目印と言える。コテコテのお笑いでもなく、どぎつい根性ドラマでもなく、特にどうという筋もないただの関西弁のやりとりが東京でこれほどウケたというのはかつて無かったことで、大阪・京都の会話の本当のおもしろさが東京の人にも分かりかけてきた証しと言える事件であった。

『パペポTV』とは、もちろん笑福亭鶴瓶さんと上岡龍太郎さんのトーク番組『鶴瓶・上岡 パペポTV』のことである。方言論の文中に自分の好きな番組が出てきて驚いた。たしかに、これ以前までにドラマや漫才・落語などで大阪弁の口調が放送されることはあっても、大阪弁の日常会話が全国で放送されたのは、『パペポ』の頃からなのかもしれない。

…と思った一方、正直、大阪弁での会話が広く認知されたのはそんな最近のことなのかと疑わしく思ってしまったので、関東育ちの先輩・タイタンの高崎さんに聞いてみた。

・確かに、昔はこんなに日常的に関西弁を耳にすることはなかった。
・ネタやコント以外のトークで関西弁を耳にするのは明石家さんまさんぐらいだったかも。紳助さんも『ひょうきん族』ではそこまで関西弁が強いという印象ではなかった。
・80年代末〜90年代、日テレが『パペポTV』や『EXテレビ』『たかじんnoばぁ〜』など深夜に大阪制作の番組をよく放送するようになった(ちなみに、『パペポ』は1988年、『EXテレビ』は1990年、『たかじんnoばぁ〜』は1992年に東京での放送がスタートしている)。
・その頃に、上岡龍太郎さんや桂ざこばさんといった人たちを認識した。その後、ダウンタウンやナインティナインなどが登場し、大阪弁をよく耳にするようになった。

とのこと。

なぜ、大阪制作のテレビ番組が東京で放送されるようになったのか。調べてみると、1987年10月からTBS・フジテレビが24時間放送がスタート(昔は深夜帯や早朝は、放送休止となっていた)し、その後、他の民放も付随して24時間放送をするようになった。放送時間が拡大されたことに伴い、各局その時間を埋める番組が必要となったわけだが、日本テレビは大阪制作の深夜番組を放送することで対応した。高崎さんが挙げた3番組は、すべて日本テレビで放送された読売テレビ制作の番組である。『パペポ』はそこから人気が出た番組の代表格で、1988年10月に東京での放送がスタートした。日本テレビが大阪の番組を多く放送していたのは、深夜の帯番組『11PM』を日本テレビと読売テレビが曜日を分けて制作していたことなども関係しているのかもしれない(『EXテレビ』も同様の形態で制作されている)。ざっとまとめると、落語や漫才など大阪弁のしゃべりは演芸の中には存在していたが、1980年代後半から90年代の初頭にかけて、大阪制作のトーク番組が放送され始めたたことから、大阪弁の文法や単語が広まり、大阪弁が広まったという感じになるのであろうか。知らんけど。

一方、「ぎょうさん」「おおきに」「ごっつい」「えらい」といった、昔からよく使われてきた大阪弁・関西弁が、日常会話から失われてきたなあと感じる。いろいろ調べてみると、単語は標準語だがイントネーションが関西弁という『ネオ関西弁』で話す人が増えているという。ちなみに、ネオ関西弁では、「ぎょうさん」は「めっちゃ」や「めちゃめちゃ」、「おおきに」は『と』にアクセントを置いて「ありがとう」、「えらい」は「疲れた」と言う。一見、大阪弁のように思われる会話や漫才でも、文字に起こしてみると、細かい言い回し以外は、意外と標準語のような文章になり、意味が分からないということはないだろう。自分もそこまで強い大阪弁を使う地域ではなかったとはいえ、馴染んだ言葉が日常から失われていくのは少し寂しいような気もする。


(参考文献)

尾上圭介『大阪ことば学』岩波現代文庫

『1987年テレビ回顧録』
https://www.videor.co.jp/digestplus/tv/2017/06/2007.html


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