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報復性夜更かし

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日々感じた感覚をできる限り言語化、烏滸がましいけどどうか誰かを救えますように。 夜更かしのお供にどうぞ。
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#思考

遠回りと朝の海

遠回りと朝の海

不眠症になってから朝への憧れは止まらない。

今朝は珍しく睡眠剤をうまく使いこなす事で早起きに成功した。

夜に思い出す人よりも、朝に思い浮かぶ人と生きていくのが正しいとさえ思えてきた。

ここ数年はいわゆる停滞が退屈な日常をさらに加速させていて、気付けばもう2024年も終わりかけている。

こんな時は積み上げられた悩みも思考も全部投げ出して仕舞えばいい。

何となく過去に書いた記事を読み返してみ

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瞬間にしか宿らない永遠を幸せと呼ぶ

瞬間にしか宿らない永遠を幸せと呼ぶ

今年の秋は映画が豊作だ。

映画も好きだけどそれ以上に映画館が好き。

スクリーンの中にいる間は、夢と現実の狭間を悠然と彷徨っているようで、まるでノアの方舟に乗った気分になる。

そうやって僕は毎週末せっせと映画館に足を運び続けている。

「めくらやなぎと眠る女」
「HAPPY END」
「SUPER HAPPY FOREVER」

最近はこの三作を観た。
HAPPYに対して終わりと永遠が対になっ

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思慮深さを素因数分解したら秋だった

思慮深さを素因数分解したら秋だった

※ヘッダーは昨年の紅葉

昨日、用事があって久々に三軒茶屋へ行った。

秋のムードが街を包む中、世田谷線の隅っこで蝉が寂しそうに鳴いていた。
たぶん泣いていた。

生命の力強さには魂を揺さぶる"何か"がある。
その何かをいつの日か言語化出来たらいいな。

電車の冷房が適温という人間に会ったことがない。
寒いと暑いの二択しかない世界は逆に稀だ。

万人にとっての最善が如何に難しいか、毎年この秋の入り

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意味や成長への信仰を捨てると世界のねじは回り始める

意味や成長への信仰を捨てると世界のねじは回り始める

ここ数ヶ月、村上春樹を読み倒している。
勘の良い人は「ねじを巻く」という単語ですぐ分かってしまうね。

登場人物にやたら女性が多かったり、ロマンチストを全面的に肯定しきった物言いを除いて、世界や感覚の表現能力の秀でた文章に目から鱗が落ちる連続だ。

世界のねじを巻くのは一体誰なのか。

少なくとも僕は自分の手でねじを巻かないといけない気がした。

そんな折、相も変わらず脳内は正解の無い問いを勝手に

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期待して裏切られてそうやってすべからく生活は続くべき

期待して裏切られてそうやってすべからく生活は続くべき

生活という曲はこの世にいくつも溢れている。

生活という形は人の数だけ溢れている。

「生活」「暮らし」

英語では"life"の一文字で済まされるのに、日本人は感性が豊かなのか煩雑なのかはたまたただの面倒くさがりなのか。

一般的には衣食住を纏って、それを一括りにして「生活」と呼ぶ。

けれどここで一般的な話をしたって仕方が無い。

最近、僕にとっての生活について考える時間があからさまに増えた。

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深い諦めに支えられている

深い諦めに支えられている

今必要な事は、何もしないでいられる能力だと思う。

スマホを触ったり音楽を聴いたり、求められてないにも関わらず僕らはいつも多忙そうだ。

日々、"何かさせられている感覚"から逃れられない。

それは心に余裕がないからだよって言われるかもしれないけど、だとすれば大多数の人々が心を病んでいる事なのだろうか。

年齢を重ねるにつれて、何かを成し遂げる事がありたい姿なのかという問いが風船のように膨らみ続け

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表層的なものだけ掬い取って大切な事は何一つわからない

表層的なものだけ掬い取って大切な事は何一つわからない

情報に擬態した嘘は日常に山積してる。

これを問題視しない事自体が問題であると、警鐘を鳴らし続けたい。

早速、話は逸れるけど2023年に公開された「怪物」(監督:是枝裕和)の話を少しだけ。

映画の概要としては、それぞれ立場の異なる人間の食い違う主張が物語を拡張していく。

各人物の主観パートが徐々に重なっていくにつれて、同じ事象を見ているはずなのにその正しい色が文字通り不透明に感じる錯覚に陥っ

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一貫性というのは想像力を欠いた人間の最後の拠り所である

一貫性というのは想像力を欠いた人間の最後の拠り所である

振り返ると普通の学校に進学して普通のサラリーマンになっていた。

非凡とは無縁な人生を歩んできた。

何かに特化してそれを武器に戦える人を羨んだ時間はかなりの割合を占めている。

自己紹介で「特技」を書く時、必ず一度ペンが止まる。

何かに特化した強みがない。
胸を張れない自分が悔しい。

でもその塩梅を含めてこその自分だと胸を張って言えるだけ大人にはなれている。

タイトルはアイルランドの作家オ

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本当の美は、未完成なものを完成させようとする心の動きにある

本当の美は、未完成なものを完成させようとする心の動きにある

結果論と過程論、どちらを重視するか。

仕事に限っては結果論として、ある程度の成果物や数字が価値の尺度となる。

けれど人生は仕事じゃない。

生きる事は何かを完成させることが目的じゃない。

他者と人生を歩む場合、残念ながらお互いの事を100%理解し合うのは絶対に無理だ。

同じ人間は存在しない、してはいけない。

理解し合えないのに社会的な生き物だなんて、随分と酷な矛盾を押し付けられたものだと

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自意識は過剰であれ

自意識は過剰であれ

発信するという事は誰かを傷付ける行為だ。

殊に僕は"相手に何かを押し付ける行為"がひどく嫌いだ。

それは押し付けられて嫌だった記憶や、されてる人を見て落ち込んだ経験が沢山あるから。

「自分がされて嫌な事をしない」

バカみたいに簡潔なロジックであると同時にあまりにも自己中心的な展開に、本当はどうしたら良いか分からなくなる時がある。

けれど想像の範囲内で相手を傷つけてしまうと理解できていたな

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与えられたもので勝負するしかない

与えられたもので勝負するしかない

トレンドの波に乗って新しい音楽がどんどん出てくる。

仲の良い友人がここ数年ずっと言ってる。

「最近の音楽で良いと思えるものが何もない。結局過去の自分のお気に入りばかり繰り返し擦って、最終的にそれに満足しきってる。」

変化に弱くなる、ある種これが"老い"なのかもしれない。

日々、音楽に限らず処理しきれない膨大な情報が押し寄せてくる。

むしろこちらから取りに行ってることの方が多いかもしれない

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余白の哲が支える

余白の哲が支える

例えば好きだったバンドは解散するし、初恋の人は結婚してる。

可能性の話を出し続けても、結果は常に残酷であり運命と片付けてしまって良かったりもする。

たぶんこの記事は意味不明だと思うし、独りよがりの乱文になるね、ご承知おきを。

大学生の頃は社会に反抗する行為自体に酔いしれて、自分を認めない社会全体がおかしいって信じてやまなかった。
全身にyohjiyamamotoを纏って全力で中指立てる時期が

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優しさは想像力と知識からできている

優しさは想像力と知識からできている

先日、会話の途中で友人から唐突に座右の銘を聞かれた。

僕はこのように答えたし、これは本心だった。
物心ついた頃から、「正しさ」「強さ」「優しさ」って一体何者なんだろうと考えていた。
そんな時、Youtubeで流れてきたある曲が一気に自分を変えた。
今まで自分が考えていたモヤモヤが一気に消え、突然視界が良好になった気分だった。

My Hair is Badというバンドの「宿り」というこの曲は、会

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