優しさは想像力と知識からできている
先日、会話の途中で友人から唐突に座右の銘を聞かれた。
僕はこのように答えたし、これは本心だった。
物心ついた頃から、「正しさ」「強さ」「優しさ」って一体何者なんだろうと考えていた。
そんな時、Youtubeで流れてきたある曲が一気に自分を変えた。
今まで自分が考えていたモヤモヤが一気に消え、突然視界が良好になった気分だった。
My Hair is Badというバンドの「宿り」というこの曲は、会場限定シングルとしてリリースされた曲で、ボーカルの椎木知仁(しいきともみ)が作詞作曲した曲である。いまこの瞬間の等身大の感情がサウンドと歌詞にのってストレートに入ってくる。
僕は以下の冒頭の歌詞でやられてしまった。
ハッとした、「そうだこれでいいんだ」と。
今まで様々な映画や小説、音楽などをこの身体に吸収してきた。その中で自分なりに解釈してきたモノもあるし、咀嚼しきれず流れていってしまった言葉がいくつも存在する。また生きていた時代や年齢、社会的地位によって自分の価値観は刻一刻と変化するし、もちろん社会の全てを睨みつけ、尖り切っていた時期も自分にはあった。
27歳となった今、「優しさ」こそが自分の求めるものだと確信した。
優しさをもって大切なものを守っていきたいし、時には悪にもなって優しさをもって世界と接していきたい。
・正しさ
この世界に、"万人にとっての正しさ"なんて存在しないと思ってる。
果たして正す事だけが正しい事なのか?
正義をふりかざすという事は、同時に誰かにとっての悪となる事を意味している。だから正義を謳う人が苦手だし、正義を謳う資格は誰にもないと感じてしまう。
とはいえ、正義を叫ばないと守れない何かがあるのは事実で、その中にある白くて清らかな優しさには敏感でありたいし、何かを敵に回してでも貫きたい覚悟は尊重すべきだとも思う。
正義は悪であり、悪は正義である。
普遍的なこの真実を誰しも分かっているにも関わらず、正義を叫ぶ事を諦めないのは、やはりそこに守りたい覚悟と強い意志があるからだ。
それ以上でもそれ以下でもない。
・強さ
そもそも強くなる目的は様々あって、それは何かを達成する為であったり、大切なものを守る為であったりもする。ただし、「強さ」の使い道を間違えると、それは善にも悪にもなりうるし、マーベル映画を観てもらえれば一目瞭然だよねなんてすかしている自分もいる。
「強さ」は必要だけど、必要不可欠ではないというのが僕の結論である。
・優しさ
正しくなくてもいい、強くなくてもいい、優しい方がいい理由は、
優しさは、強さや正しさを超える力をもっているから。
例え強くても、優しさをもってその強さを行使しなければならない。
例え正しくても、優しさをもった正しさでなければならない。
ふと聴いていたあるラジオ番組でパーソナリティがこんな事を話していた。
確かに、「優しさ」には想像力が必要だと思っていたけれど、それ自体は知識からくるものだとはあまり深く考えていなかった。自分の経験できていない世界を知識として吸収する事によって、結果的にそれが自分の想像力を働かせる事になるんだと納得した。
このパーソナリティと同様に、自分も死ぬまで、想像力をつける為の知識のインプットはやめたくないし、やめられないと感じた。
まだまだ「優しさ」を十分もって生きてはいないけど、いつか大切な人や大事なモノに対しても、その優しさが伝わるくらいの人間になりたいと思う。
それが自分の中の"誠実"にも繋がるから。
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