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リバティシャツ屋となって言われる第4位
これは秋口から言われるようになったんですけどね
年明けてシャツの上にジャケットを着て新年会とか
人の集まるところへ行く機会がちょいちょいあるのですが
ボクが住んでいる岐阜は車社会なので車で行く場合は
コートは着ませんが(お酒が入る場は着ますよ)
車の場合ですが「山崎さん寒くないですか〜?」
って聞かれます笑笑
ボクから言わせて頂きますと、スーツの場合も
スーツの下はインナーの上に基本的には白シャツ
リバティシャツ屋となって言われる第3位
はい、本日はリバティシャツ屋になって言われる第3位
こちらです!「スーツには着られないから」とか
「スーツに柄物のシャツ着たら失礼だから」
というような事を言われる事がまあまああります(汗)
ってボクから言わせて頂くと〜それはリバティに対して
失礼なんじゃないんですか〜っていう気がしますが・・・
伝統も 日本的に言えば暖簾が充分あると思っています
サムネイルに使った画像も敢えてネクタイを締めたのに
本日着物デビューしてみて
厳密には元旦家族に挨拶する時に少しだけ着たのですが
まぁ〜本日がデビューと言っても良いでしょう〜
昨年3月より茶道(裏千家)を習うようになったのですが
そもそもお茶に興味があったという訳でもなかったんです
禅を学んでいるのですが、深い関わりがあるという事と
その門下の方が習っているそうで、しかも着物を着ている
姿に「あ〜カッコイイな〜 着てみたいな〜」
と思ったのがきっかけでした笑笑
始めた頃はも
本日長男の「成人の日」に思ったこと
今日は我が家の長男が成人式でした
訳があって息子とジョジョ立ちのリクエストがあり
こういう写真を撮りました
全然ジョジョ立ちじゃないってご批判もあるかもですが
その辺はご勘弁を〜
ボクは現在50歳なのでそうか30歳の時の子なんだな〜
って改めて思いました
先日いきなり長男が会社に来てくれて
成人式のスーツの下にオヤジとこのシャツを着る
との事でやって来たのです
一方では「この生意気な〜っ‼️」
手挽きでコーヒーを飲もうと思ったわけ
ひと月前くらいまでコーヒーは基本的にコンビニコーヒー
出張などで出掛けた時はスタバかドトールという生活が2年ほど
続いていました。
それまでは粉を買ってきて朝は新聞を読みながら
必ず2杯は飲んでから仕事に行ったりしていました
なんだろう?新聞読みながら飲むってなんとなく
社会人の習慣と言うか〜 そうなんとなくだったんですよね
社会人として新聞を読むものとか、コーヒーは付き物みたいな
ある時このブ
リバティシャツ屋となって言われる第2位
昨日に続いてリバティプリントのシャツを販売していて
よく耳にする事の第2位について書いてみたいと思います
男性は(アラフィフの中年男性という設定です)
平日ホワイトカラーの方はスーツにネクタイが多いですし
ブルーカラーの方は作業着などが多かったりしますよね
週末はというと、どこかへお出かけとかじゃない限りは
ラフな格好でお過ごしのかたの割合が多いのではないでしょうか?
色んな知人と話していると、
リバティシャツ屋となって言われる第1位
ボクがリバティシャツ屋となってよく言われる、聞かれること
いくつかあるんですが、今日は第1位について書いてみます
「えっメンズだけなんですか?レディースは無いの?」
です
前置きが長くなりますが〜
2020年までは母親世代7〜80代の女性向け服を
量販店などに卸していたので、判断基準はお値段の
折り合いが付く出来る限り卸値の低い物で
その次に高回転で売れるものとなります
2010年くらいまではそ
前後際断(ぜんごさいだん)
年が明けて既に5日となります
ふと、父から継いだ事業を閉めて
ほぼ1人で仕事をするようになって
丸一年経過したんだな〜と
以前の事が走馬灯のように頭の中を巡っていきました
数年前に在庫の山を抱えたりと色々失敗した時のボクは
完全に自信を喪失し、従業員の目を見て話すことも出来ないし
朝礼で話をしてもどう思われるだろうかとブルブル震え
そんな経営者の言うことなんて耳に入らないですよね
なのでどんどん
2022年歳を越して感じたこと
コロナ前という表現は個人的にはあまり好きではないのですが〜
一昨年までは毎年元旦の午後 妻の実家でお酒を飲みながら
ほどほどに酔っ払ってから子供たちと麻雀をするというのが
お正月のお決まりでした
我が家は男の子ばかり3人いて、長男は一浪の大学一年生
次男高校一年生、三男小学5年生とまあまあ間が離れているのですが
流石に昨年はコロナの影響もあって自粛しましたけど
ここへ来ると三男がなぜか麻雀をやり
2021年刺激的な一年を振り返って
2021年50歳の大台に乗りましたが、
この50年の中で最も刺激的な一年だったのではないか?
と思っております。
昨年の9月にリバティプリントを使ったシャツ屋になると決めて
2月に製品が上がってきたものの、
どうやって売っていこうかという中で飯塚保人師匠から
「商売の原点だから引き売りをして売りなさい
引き売りしながら東京まで来なさい
それで売れるようになればどこでも売れるようになる」
と言われて