記事一覧
坂道のディスクール・断章 『僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46』は「恋愛」と「告発」の映画だと思った一人の「残酷な観客」の感想
ところで、不在は他者についてのみ言えることなのだ。出発するのは相手の方であり、わたしはとどまる。あの人はたえず出発し、旅立とうとしている。本来が移動するもの、逃げ去るものなのだ。これとは逆に、わたしは、恋をしているわたしは、本来が引きこもりがちで、不動で、受身で、待ちつづけ、その場に押しひしがれ、取り残されている。
ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』「不在」の章より抜粋
-----
乃
読まれない文章には投資や副業やマルチからしかリアクションがない話
読まれない文章を書くのはさほど苦ではない。ある程度書きたいことが書ければ、ベースとしてはそれでいいわけで、たとえば目の眩むような賞賛とかが欲しいかというと、まあ試しにそういう状態になったら面白いかもしれないけど、基本的には欲しくない。
何か書いたりする時に、全く反響がないよりも厭な気分になるのは、恐らく自動的か半自動的にリアクションをしてくるbot的な投資、副業、マルチ、みたいなものたち。
反
noteに惹かれて(黄砂に吹かれてと同じメロディで)
何か書くならノートに書けば良い。
僕らが生まれた頃から大学生になるくらいまではそうだった。物理的な紙に書けば良い。小学生の頃に一時期流行る(たいていどこの学校でも流行ると思う)、文字通りしょうもないマンガを紙の切れ端に書くとか、そういう使い方。
大学生から社会人になったりならなかったりする時期、まあ数年ならなかった方にいたことがあるけど、その頃にはインターネットが普及しており、ダイヤルアップも