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すぐに一年経つ

冒頭の写真は17年前のロンドン。新婚旅行の時のもので、親の代から使っていたオリンパスのPEN EE-2で撮った、と記憶している。 今見返すと、悪くない、というより、良いんじゃないか?と自己満足できる感じはある。 さて、何かうすぼんやり書こうと思う日はたまにあるけれど、そういう時は手元にスマートフォンはあれどPCなんかはなくて、そりゃ、書こうと思えば書けるのかもしれないけれど、スマートフォンで文字を打つのは億劫だから、やっぱり書くのはPCカタカタやってるほうがやり良かったな

    • Twitterをアンインストールした

      かれこれ2回目ではあるのですが、Twitterアプリをアンインストールしてみました。 Twitterは出始めの頃から比べると、だんだん、だんだん、目に入らないように努力していても、どうにもひどい場所になっていて、毎日のように、けっこうな数の人が、言葉の皮を被った悪意でもってだれかを傷つけているし、またそれを恥じるでもなく、しれっととってつけた理由をかざし、むしろ誇らしげに、弱い立場の人たちのあげる痛みの声をどうにかなかったことにするように揶揄して、向き合うこともなく、なにか

      • 坂道のディスクール・断章 『僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46』は「恋愛」と「告発」の映画だと思った一人の「残酷な観客」の感想

        ところで、不在は他者についてのみ言えることなのだ。出発するのは相手の方であり、わたしはとどまる。あの人はたえず出発し、旅立とうとしている。本来が移動するもの、逃げ去るものなのだ。これとは逆に、わたしは、恋をしているわたしは、本来が引きこもりがちで、不動で、受身で、待ちつづけ、その場に押しひしがれ、取り残されている。 ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』「不在」の章より抜粋 ----- 乃木坂も日向坂も欅坂も好きなのです。 ただ、一番面倒臭いことをあれこれ考えたくな

        • 実録:いかにしてわたしは坂道的なアイドルへ転んで行ったか

          わたしは元々、女性アイドルに対する興味はさほどなく、好きな曲とかそういうのはあったかもしれないけれど、アイドルの番組をせっせと録画したりとか、そういうハマり方をしたことが20代までありませんでした。 そんなわたしは、20代の中後半でハマったモーニング娘。にはじまり、次いでAKB、そして乃木坂46を代表とする坂道なアイドルへと傾倒することになるのですが、なぜその流れだったのかな、を振り返ってみたいと思います。以前別のところに書いた文章の編集再掲版です。 文章が長いだけで得る

        すぐに一年経つ

        • Twitterをアンインストールした

        • 坂道のディスクール・断章 『僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46』は「恋愛」と「告発」の映画だと思った一人の「残酷な観客」の感想

        • 実録:いかにしてわたしは坂道的なアイドルへ転んで行ったか

          15年くらい前に書いた(語源的な意味での)やおい文章を見つけたので苦いスマイルを浮かべながら載せていくスタイル

          15年くらい前にほぼ誰にも見せないし見られない、という隠しサイト的な立ち位置で、世界三大他人にとっては興味ない話らしい夢日記もしくは夢を基にした短文などを書いていたことがあって、なんとサイトがまだ残っていたので文章をピックアップして載せていこうと思いました。 これはいわゆる山なし落ちなし意味なし文章であるため、語源的な文脈でのやおい文章だと言えますが、基となった夢は高校の頃の友人(男性)になぜか口づけされる、という内容だったので、実際やおい文章と呼べるかもしれません。そう考

          15年くらい前に書いた(語源的な意味での)やおい文章を見つけたので苦いスマイルを浮かべながら載せていくスタイル

          読まれない文章には投資や副業やマルチからしかリアクションがない話

          読まれない文章を書くのはさほど苦ではない。ある程度書きたいことが書ければ、ベースとしてはそれでいいわけで、たとえば目の眩むような賞賛とかが欲しいかというと、まあ試しにそういう状態になったら面白いかもしれないけど、基本的には欲しくない。 何か書いたりする時に、全く反響がないよりも厭な気分になるのは、恐らく自動的か半自動的にリアクションをしてくるbot的な投資、副業、マルチ、みたいなものたち。 反響が大きかろうが小さかろうがどんな記事や書き込みにもそれらはついて回ってくるとは

          読まれない文章には投資や副業やマルチからしかリアクションがない話

          ReadMe! RememberMe? (テキストサイト昔話の第一回)

          この写真、アルミサエルみたいでしょう? ほらアルミサエル、第十六使徒の。 なんて、エヴァの話をするつもりじゃなかった。海へ行くつもりじゃなかった。何を書くかというと、思いつくままにテキストサイトのことを書くのです。ということは、ほとんどの人に伝わらない話を書くということです。つまり、先住民族の老人の口伝、神代の頃の物語、大地を敬え的な話を今は亡き言語で語り、語っている当の本人もその言語の使い方は知らない、みたいな話です。 なぜって、noteをテキストサイトって単語で検索し

          ReadMe! RememberMe? (テキストサイト昔話の第一回)

          見られるための有用性より書くことの無用性が好きな話

          読んだ本の感想をnoteに書きませんか?とnoteのシステムに勧められたけれど、書きたくないので書かない。 ネット上にものを書く人は飛躍的に増えた。1990年代終盤や2000年代初頭あたりからWebサイトに何かを書く人はいたけど、その頃のプラットフォームはWebサイトというかホームページで、人が、仲間内だけではない人が、見ているのだか見ていないのだかわからない中で誰かに見て欲しいがために書く、なんて行為は、同好の士以外には正直大っぴらにはしたくないことだった。少なくとも、日

          見られるための有用性より書くことの無用性が好きな話

          「記憶にございません」から「記録にございません」へのパラダイムシフト

          政治家って、肝心なところでよく記憶喪失になる人たちなんだなと幼心に思った昭和の御代。 勿論、記憶喪失になんてそうそう都合よくならないことは子供でも知っていて、だからこそ、記憶喪失になった後に超常的な能力を得る話とかマンガで読んで憧れたりしてたわけで、果たして僕はどうやったら問題なく記憶喪失になれたうえに問題なく超能力を得うるか、といった、わずか数ページもかけず棚ボタ的に性交に成功する島耕作級に都合の良い展開にならんかなと想いを馳せるのだけど、まあやっぱりそんな棚ボタ超能力ゲ

          「記憶にございません」から「記録にございません」へのパラダイムシフト

          noteに惹かれて(黄砂に吹かれてと同じメロディで)

          何か書くならノートに書けば良い。 僕らが生まれた頃から大学生になるくらいまではそうだった。物理的な紙に書けば良い。小学生の頃に一時期流行る(たいていどこの学校でも流行ると思う)、文字通りしょうもないマンガを紙の切れ端に書くとか、そういう使い方。 大学生から社会人になったりならなかったりする時期、まあ数年ならなかった方にいたことがあるけど、その頃にはインターネットが普及しており、ダイヤルアップもADSLに代わろうとする時分で、僕らは個人サイトというかテキストサイトをやってい

          noteに惹かれて(黄砂に吹かれてと同じメロディで)