見出し画像

「記憶にございません」から「記録にございません」へのパラダイムシフト

政治家って、肝心なところでよく記憶喪失になる人たちなんだなと幼心に思った昭和の御代。

勿論、記憶喪失になんてそうそう都合よくならないことは子供でも知っていて、だからこそ、記憶喪失になった後に超常的な能力を得る話とかマンガで読んで憧れたりしてたわけで、果たして僕はどうやったら問題なく記憶喪失になれたうえに問題なく超能力を得うるか、といった、わずか数ページもかけず棚ボタ的に性交に成功する島耕作級に都合の良い展開にならんかなと想いを馳せるのだけど、まあやっぱりそんな棚ボタ超能力ゲットチャンスは現実的に起こらないので、だから、突然記憶喪失になるような大人の発言には、そんなバカな、と思っていた。


そしてそれはたぶん、誰もが、バカなと思うんだろうとも思っていた。言った当人ですらそんなバカなと思っているに違いない、と思っていた。


ただまあ、記憶はなくても、なんとなく、それっぽい記録が出てきたりして、ニュースとかが騒いで、いつのまにか記憶喪失になった人は辞めてたりするものだったような気がする。まあ仕方ないかもね、最近の記憶が保てないなら、ちょっと職責的にね。無理かもね。みたいな。


でも、そんな光景は最早いにしえのものとなっていて、最近は、記憶だけ失くしてもダメだってんで、記録もないよってことになってるらしい。

それに、これは日記なので日々感じたことを書くんですが、偉い人が一度集まると、言葉の定義まで変えられるらしいことに昨日驚いた。よく知らないけど反社は予め定義できないから反射的に反射できなくなるらしい。確かそんな話だった。言葉の定義を変えられるなんてまるで魔法みたいだと思ったし、たしか80年くらい前にも同じような魔法が詠唱されてた気がするなと思った。撤退って言葉が転進に変わったりとか、そういうの。


そんなこんなで、大人になった今も、同じ大人の言葉に、そんなバカな、と思っている。


ここ10年ほどで起こったのは、記憶喪失から記録喪失へのパラダイムシフトなんだと思う。定義した記録なんて上書いてしまえば良い。なんならファイル自体消去したって構わない。消しちゃいましたって言えば、そのうち、じゃあしょうがねえなってなるし、消したことやファイルの中身にくどくど言う奴がいたら、まだ言ってんの?ってバカにしとけば良い。むしろ、国益を損なうとか言って非難すれば良い。そういう、喪失のパラダイムシフト。


でまあ、こういうことを書くと、なんか知らないけど、日に反するとか、バックにいる何か(魍魎のような存在?)の走狗と化しているのでは、とか、色々なことを言う人も増えたように見える。そういうとこもパラダイムがシフトしたんだろう。何か陰謀論みたいなのが普通の前提になってたりして、噂が現実となることを要求されるからある人々の間でやがて現実になる、みたいな。ペルソナ2的な。まあ僕は普段こういうこと書かないし、何か書いたところで社会的な影響力が一切無いから、幸い、今まで絡まれたことはない。


それにしても、何かあるごとに、コイツらはお日様の本に反しているのだとかその他やっちまいな的エトセトラを書いてまわる人たち。あれらは一体どういう人たちなんだろう?中には時々、プロフィールに普通の日本人って書いてあるようだけど、まあ実際そうなのかもしれない。


こないだ、喫煙所で自分と同じ中年カテゴリにいるどっかのサラリーマンのおじさんが、俺はネットで叩いたりしてて俺に煽られると相手が論理的な反論をしてこなくなるから俺の勝ち、みたいな、お胸がきゅうって締め付けられるような恥ずかしいことを後輩らしき人にとうとうと自慢話してるのを見た。後輩氏は興味なさげだった。本当の話だ。本当に見た。トトロを見たよりは信憑性があると思ってほしい。僕はいまのところ、記憶を喪失していない。


でもきっと、あのおじさんは、「普通」の範疇に棲息している。普通の範疇にいる。普通に、いるんだと思う。たぶん、普通の日本人として。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?