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実録:いかにしてわたしは坂道的なアイドルへ転んで行ったか

わたしは元々、女性アイドルに対する興味はさほどなく、好きな曲とかそういうのはあったかもしれないけれど、アイドルの番組をせっせと録画したりとか、そういうハマり方をしたことが20代までありませんでした。


そんなわたしは、20代の中後半でハマったモーニング娘。にはじまり、次いでAKB、そして乃木坂46を代表とする坂道なアイドルへと傾倒することになるのですが、なぜその流れだったのかな、を振り返ってみたいと思います。以前別のところに書いた文章の編集再掲版です。


文章が長いだけで得るものはありませんが、ハロプロからAKB、そして坂道へ転んだよくあるタイプのサンプルとして見ていただくことは、ギリギリ可能かもしれません。


では、始めましょう。


なんでそんな変遷だったか。
基本、わたしはミーハーだからです。以上。

と言ってしまうとそこで終わりなので、続けます。

結局、自分の半生にリンクしている話ではあり、超絶主観しかない話になりますが、続けます。

【1】ハロプロ期

だいたい2001年から2003年、いや2005年くらいまではハロプロというかモーニング娘。の4期生である石川梨華さんをわたしは「推して」おり、2001年から2003年あたりはライブにもそれなりに足を運ぶ、当時ちょっとだけ流行した「隠しサイト(個人サイトの一形態、本家サイトを持つ個人サイト運営者が名を明かすことなく別人として別サイトを開設運営すること)」と言う形式で石川さんのファンサイト(といってもテキストサイトですが)を作り運営、と、その当時の言葉で言えばモーヲタ及びモーヲタテキストサイト運営者の片隅くらいにいました。

これはまあ、楽しかった。元々モーニング娘。と関係ないテキストサイト(ネット勃興期の暇人の遊び)でつるんでいた連中とメンツはほぼ一緒なのですが同じような仲間もいて、だいたいそいつらも暇と無駄なエネルギーだけはあったので、一緒に騒ぐ的な楽しみ方ができました。


振り返るとわたし、学生時代とか今にして思えばそっくり改変したいかなってくらい中身がなくずるずる過ごしていて。就職すんのもしんどいし何やっていいかよくわかんないし、案の定、超氷河期なんて言われたロストなジェネレーションに属していたこともあり、まあ、色々なことがうまくいかず、たぶん欠落した人生の穴埋めのようにネットの個人サイト活動にのめり込んだ時期がありました。


そして、その時の仲間の間で、同時多発的にモーニング娘。が「来だした」時期があって、それが2001年くらいだったかな?と。


あれ、あなたもハマったの?じゃあみんなでハマっちゃう?みたいな。ヲタという表記は未だに好きじゃないし今では当時の仲間との交流というのもほぼ無いのですが、当時のモーニング娘。は、メインでもサブでもカルチャーとして様々な事象に接合して語れる、というのが大きかったように思います。


なんでしょうね、大袈裟に言うと、生きてく力を得たと言うか。そういう類の衝撃だったというか。


閉塞感の打破。おそらく、人が偶像やロールモデルを求めるのは、そういう時なんだろうと、その頃の経験から思います。


そして、これは後にも通ずる話なのですが、当時わたしは石川梨華さんのことが相当に好きでしたし、女性としての魅力もとてもとても感じていましたし、ガチ恋的な感情が一切理解できないとも言いません。が、根本的には、「彼女のような存在になりたかった」んだと思います。この、潜在的に彼女たちのようになりたい、というアイドルに対するスタンスは、今も変わっていません。


石川梨華さんでいうと、当初のネガティブなキャラから抜けようともがく葛藤、そこからセンターポジションを務めるなど上昇してゆくさまをみて、ネガティブな性格のわたしは、彼女に共感や投影をしていました。


そしてたぶん、オタク的な活動を一番していたのが、モーニング娘。やハロプロが好きだった時期です。活動というか、みな一斉に狂騒する、という感じ。


その後、またし個人的には就職、すぐやめる、転職、結婚と続き、だいたい2004〜5年くらいに一度モーニング娘。離れがおきます。


出す曲もそこそこ悪くないしなんだったらファンの間では評価も高いしメディアにも出ているんだけど何か違う、ストライクじゃない、って感覚がどんどん大きくなることでこっちも離れてくというか。まあ、わたしの場合は石川さんが卒業するので、やはりそれが大きいってのもあります。


で、しばらく℃-uteに流れたりして過ごしていたんですが、さらにアイドル自体から離れる時期がありました。


離れてる時期って仕事が結構面白かったっていうか、ようやく自分が基本何すればお金がもらえて何すれば人が喜んでくれて何すれば怒ってとかがぼんやりだけど見えてきたかなという時期だったので、忙しかったり愚痴ってたりしたけど夢中ではありました。


元々自分の欠落した社会性や社会への参画感の穴埋めとしてのテキストサイトだったりアイドルだったりしたのが、それこそ機能としてあまり必要としていない時期だったのかもしれません。


【2】ありがちにAKBとかSKEにいく


んでも、またその後にRIVERとかのあたりからヘビロテあたりでなんとなくAKBとかSKEとかに流れ始めるっていうある意味わかりやすい遍歴があるんですが、実はそこにも実生活とリンクしたポイントがあると思ってます。


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●サラリーマンよりサラリーマンっぽいAKB48という組織
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確証は無いのですがなんとなく、当時テキストサイトやハロプロおたくで繋がっていた方々のうち、フリーランスになったとかメディア系の仕事寄りに就いた人は割と継続的にハロプロファンのままって人が多く、いわゆるサラリーマンになった人って秋元康傘下に流れてる傾向にあるかなと思ってました。たぶん、秋元康Gの方が悪趣味で握手(売上)ばかり見て非常にサラリーマン的、ってのが大きいかなあと、そんなことを思っていました。


わたしも時期的に、子どもが産まれて以降、会社組織内でマネージャーだのグループリーダーだのといった中間管理職になっていったのが大きく、このあたりでいきなりそれまでの業務を拡大しつつ小組織での売上利益も計画し上げていって、かつ所属者のモチベーションなどの人的管理、もっと言えば会社都合で嫌な事だろうとやるしやらせなければいけないといった事態に直面します。


そんな中で、かつてハロプロにハマった時ほどのハマり方ではないものの、わたしの中ではAKBGがその位置を拡大していきました。


当時世間的にAKBの盛り上がり方は狂騒的なものがありましたが、狂騒はハロプロで経験していたため、自分の中だけで盛り上がる感覚、でした。かつては仲間と共に盛り上がったものですが、AKBの頃にはもう、わたしは仲間を必要としませんでした。


ただ、AKBって実にサラリーマン的でした。


総選挙、だったり、総監督だった高橋みなみのパワーワードなどに代表された、ともすればブラック企業的な追い込みなどがサラリーマン的と想起されるわけです。


そして、むしろそういった追い込みにコミットしていかなければいけない、そんな組織的な要請を自己内面化せざるを得なくなる自分の現実とリンクしたのです。


端的に、AKBでは総選挙に代表されるシステムで業績が可視化されていました。そこには「夢」や「自己実現」を表層として擬態した情念が渦巻き、政治もあり、箱庭内のポジションから逃れられなくなる現象が見られるのですが、それはまさにべッタベタなサラリーマンの世界。箱庭を自明なものとして、その中で懸命に生きる少女たち。そんな構造を隠してもいなかったし、むしろ前面に出していました。


たとえばAKBのドキュメンタリーがそういった苛烈な世界像と向き合い、傷つき、それでも歩みを止めない少女たち、といった基本ストーリーなのも、漫画『AKB49』がスポ根として成立していたのも、意識高いビジネスマンの世界観に近いのです。


つまりわたしにとってAKB48は、かわいいアイドルではなく、自分の状況を鼓舞するような存在でありました。


だって、同じようなことしないといけない、と求められていたし、自分でも、そういうことも出来ないといかんよね、というのがあったから。


でも、だんだん、だんだん、そういう世界観に疲れていったのです。


以下は指原さんがてっぺん取ってしばらくあたりのAKB総選挙を受けてどこぞに書いた感想ですが、書いた本人の疲れがだいぶ反映されてるなー、と思います。
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そもそも、定性と定量の曖昧なミックスでしかないアイドルの価値評価を定量寄りにシフトすることで、営業マンの成績表掲示のような見える化を敢行した事が総選挙の立て付けであり、そこには「所詮太客を捕まえたら勝ちなんでしょ(大型案件獲得ないしアサインされたために評価が上がる)」という諦念と「しかし太客を捕まえるということは価値がある証拠だよね(大型案件を獲得する、アサインされるのは実力ある証拠)」という扇動、といったタマゴが先か鶏が先か構造があり、その矛盾にはまり込む「社員」も多い。

そういった、新興宗教的、ブラック企業的な総括の場での追い込み、そしてその追い込まれ方にぐっとくるという悪趣味さは確実にあり、そのうえで彼女たちが置かれた立場への共感、かつそれを創り出す構造への反発も覚えますが、そういったアンビバレントな反復こそがが狙いであり構造を強化する装置として機能する矛盾もまたありますね。

そして、その構造を抜けるには、AKB商法、と、あえて書きますが、そのルール(本質的にはその組織内でしか理解できない商習慣や評価基準)に則りその波に乗って総選挙1位を狙うか、ルール自体を変えて外部評価を得るか、両方を狙うか、諦めるかの4択という現実世同様の世知辛さがあります。

で、その世知辛さにファンを巻き込み夢なのか何なのかを仮託させて、ひとつの市場経済圏を作り上げる、そしてその歪さが「現実」を転写しているようであるため「共感」や「興味喚起」が発生し、見込み顧客が拡大、さらなるクロージング(ファン化)につなげる、という、提案書に落とし込んだら横展開で案件がどんどん獲れそうなスキーム。ブレイクスルー以後のAKBはそのようなものであったかと思います。


なお、高橋みなみがいみじくも「人生は矛盾と戦うこと」と言いましたが、その正しさと覚悟に人は心を動かされる反面、AKBではその矛盾自体が仕組まれているも事実でしょう。ゆえにそこに、仕組まれていてもなお足掻く美しさを感じるのか、冷笑的に見るのかという態度表明があって、徐々に世間が冷笑寄りというか食傷気味になっているのがここ数年かなあ、と。
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そう、当時わたしは疲れていました。複数案件のPMをこなしながら組織も曲りなりに見て。また、小さな組織であるにも関わらず、人間が集まればそこには「政治」が発生し、つまらないポジショントークが横行することにも驚きと疲れを感じていました。


東に辞めたいという人あれば行って話を聞き(結局辞めるので止められない無力さも感じ)、西に業務過多で苦しいという人あれば行って調整するか巻き取るかして、そして雨に負けたり風に負けたりするし上からは怒られるし下からは突き上げられるしの中でなんとかやっていたのが、東奔西走する中で段々生気と判断力を失って行った数年。


そんな中、自分がPMを務めるある大型案件の炎上が決定的になりました。その案件を続けていたわたしは心理面の不調も顕在化し、その案件の道筋をなんとか整えたところで自社の社長からしばしの休養を勧められ、それを受理しました。


それは同時に、管理職といった一応の成功レールらしきものからの脱落も意味していました。が、AKB的な概念がしんどい、高橋みなみに代表される「やるか、もしくはやるか」「前進のない組織、そして前進のない個はすなわち死である」的なマネージメントがしんどい、というのが強く、確かに、とにかくちょっと休みたかったのです。


だいたいここまでが、2014年くらいまでの出来事です。


【3】そして、坂道へ


そんな中で、心を病んだ休暇中。これまで楽曲単位である程度の興味しかなかった乃木坂46の番組を見るようになりました。

ちょっと空気を変えたかった、きっかけはそんなもんでしたが、静かな衝撃を受けました。


同じホールディングスに所属するグループ会社のような存在なのに、公式ライバル、といったエヴァのマルドゥック機関でもこんなマッチポンプしねーぞ、という怪しい出自であるにも関わらず、そして同じ秋元康Gで根本的には同じようなサラリーマン的構造にいるにも関わらず、少なくとも表層上はAKBとも違う世界が展開されていることにです。


音的にも、ハロプロの音楽通好みっぽい志向(だけどわたしにとっては既に何か違う状態)とも違うし、AKBに似て非なるで、下世話さは少ない感じ。同じ秋元康なのに、というところがまた複雑でしたが、この辺りも好みに近いことに気付きました。


かつてAKBには戦う美しさがあると思いましたが、どこか強迫観念的で組織の急速拡大に伴い政治的欺瞞も感じられ、戦いの目的自体が曖昧になってきた、ただその中で業績はきっちり昨対比で求められるさまがすっごく単線的なサラリーマン社会って感じられてその辺りがしんどくなったのですが、対する乃木坂46も上昇、前進は求められているものの何かが違っていました。


たとえば当時のTV番組等で乃木坂の子たちはあまりうまく喋れない様子だったりしましたが、それってゼロ年代初頭のハロプロやその後のAKB的な価値観からするとアウトなはずのアクトでした。


ただ、なんかそこに主眼を置いてない感じが新鮮で。消費されることを注意深く回避してるのか、サラリーマンで言い換えると、TVでうまく喋って認知される、なんてのは、なんていうか出世街道の上がりパターンだったりするのですが、そこに絶対的価値を置いてない気がしました。


それはたぶん、戦場が同じようで違う、適した解はひとつではないという姿勢からなのかなと感じたことを憶えています。


それを後発ゆえの差別化戦略が功を奏した、という言い方はできますが、どうも単線的な「あれか、これか」の世界ではなさそうだったのが、さらに興味をひいたポイントでした。


「苛烈な世界像と向き合い、傷つき、それでも歩みを止めない少女たち(≒わたしたち)」という構造自体は変わらない。変わらないのですが、そこに向き合うための多様な価値軸を持たせて、かつ強迫観念性を持たせず静かな意思をもって諦めず対峙する、という乃木坂ちゃんたちの感じが、多分自分にはあっていたのだろうなと、そんなことを思いました。勝手な共感に近いかもしれません。

そして時は流れ、5年ちょい乃木坂や欅坂、日向坂といった坂道を好いている状態が続いています。気がつくと「推してる」期間が一番長くなりました。


欅とか日向坂も語るとまたちょっと話は違ってきますが、とはいえここまでの変遷で一番好きになったアイドルが乃木坂だなあ、と思っています。


狂騒に身を委ね、まだ長い長い人生を少し駆け出したばかりだと思い込んでたモーニング娘。好き期。


サラリーマン的な、自分を追い込むと同時に常に成功が求められる苛烈な世界観を内面化しようと足掻いてたAKB好き期。


そして、狂騒や苛烈さから離れた後の、寄り添い感が乃木坂だったのかな、というのがこの変遷の結論です。


恐らくわたしは現実の仕事や人生でこの先圧倒的成長だの爆発的成功だのは不意に訪れないであろうことを自覚しています。かといって現実を諦めてはしまいません。


わたしが乃木坂46に感じているのは、そんな自分の意思とか行動とかに影響する、自分への寄り添い感、のように、思います。

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