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読んだ本についてあれこれ語るマガジン

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#レビュー

「デューン砂の惑星 下巻」(1965年)

「デューン砂の惑星 下巻」(1965年)

シリーズはまだまだ続くが、「砂の惑星」としては最終巻。

デヴィッド・リンチ版、ヴィルヌーヴ版の映画で散々観ているので、プロットに関してはすでに知っている。

この巻でハルコンネン男爵の甥であるフェイド=ラウサが登場する。
一方ポールは、フレメンの宗教的指導者となっていく。その過程で以前の部下であったガーニーと再会する。
力をつけたポールは、皇帝との最終決戦へと突き進む。

有名な作品なのですでに

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ハイデガー「存在と時間8」(1927年)

ハイデガー「存在と時間8」(1927年)

ようやく全8巻を読み終えた。
ハイデガーの構想としては第2部まで続く予定だったらしい。
いずれにせよ、ここで一区切りということにはなる。

本書では引き続き時間のことを中心に考察が続く。
訳者の中山元による詳細な解説を頼りに読み進めてきたが、それでも理解できたとは言い難い。ただ、それでも自分の頭であれこれ考える時間を持つというのは大切なことだ。

自分が理解できた(もしくはこうだと思った)範囲で書

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ハイデガー「存在と時間 7」(1927年)

ハイデガー「存在と時間 7」(1927年)

時間をメインとした考察が続いている。

用語も含めて難解な部分が多い。それでも自分なりに考えながら読み進めてきた。
哲学に詳しい人や賢い人がどのようなコメントをするかはわからないが、今になってようやくわかりかけてきたのは、本書は人間が本来の姿に気がつくために、今までで常識としてとらえられてきた事柄を事細かに考察し、それが本当なのか主に存在と時間と言う対象について分析し、定義しなおしてきたということ

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テンプル・グランディン「ビジュアル・シンカーの脳: 「絵」で考える人々の世界」(2022年)

テンプル・グランディン「ビジュアル・シンカーの脳: 「絵」で考える人々の世界」(2022年)

これはなかなかおもしろかった。

人は頭の中で考えるときに、文字で考えたり音声で考えたりするが、「ビジュアル・シンカー」は、絵で考える人のこと。
自分も頭の中に映像が浮かんで、それがどんどん連想していくということがよくあるので、以前から「人はどうやって思考するのか」というのは興味があった。

小説家の森 博嗣がエッセイで「映像で考える」と書いており、自分に似た人がいるのだと思った。自分の場合は、彼

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呉明益「自転車泥棒」(2018年)

呉明益「自転車泥棒」(2018年)

台湾の小説。
二十年前に失踪した父親。彼が乗っていた自転車が、息子である「ぼく」のもとに戻ってきた。「ぼく」は、その自転車が戻ってくるまでの物語を集めはじめる。
その旅は、ビンテージの自転車の、足りないパーツを集めるようなものだ。いくら修理し続けても、完璧な状態にはならない。

この小説は大量の断片によって語られる。
自転車のパーツ、父の自転車の所有者たち、彼らの物語。
そして主人公の人生。
こう

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谷崎潤一郎「陰翳礼讃」(1939年)

谷崎潤一郎「陰翳礼讃」(1939年)

なかなかおもしろい。

エッセイ集であり、表題にある「陰翳礼賛」をきっかけに「適切」とはなにかを探るエッセイが並ぶ。

「陰翳礼讃」は文字通り「暗さ」についてのエッセイ。
日本の建物は以前は暗くて、それがよかったのだという。
古い料亭で、電気を使わずに、薄暗い灯りの中で食事をするのがよいという。
日本の場合、器や、食べ物そのものが、手元もよく見えないような明るさの中で楽しむようにできているだそうだ

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フロイト「精神分析入門 下巻」(1917年)

フロイト「精神分析入門 下巻」(1917年)

上巻は夢判断に関する話題だった。
下巻は神経症に関する話題がメインとなる。

読んでいて思った。
夢判断も神経症の発作も、人間の内面にあるドロドロしたものが形を変えて表に出てきたものだ。
フロイトの講義は基本的に、他者とのかかわりあいにおいて出てきた症状について話している。
そう、他者の存在が前提になっている。
そのポイントをさらに踏み込むと、フロイトがこの本を書いたのも、誰かが読むから書いたので

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ハイデガー「存在と時間5」(1927年)

ハイデガー「存在と時間5」(1927年)

人間は普段、日常生活において現実世界に頽落してしまっている。つまり、人間本来の姿ではなくなってしまっている。
それが、不安によって、本来の自分が見えるというのがハイデガー( 1889年9月26日 - 1976年5月26日)の主張。
フロイト(1856年5月6日 - 1939年9月23日)も、不安という現象が人間の精神を深いところで刻印していると考えていた。同時代の人がこういうことを考えるのは面白い

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フロイト「精神分析入門 上巻」(1916年-1917年)

フロイト「精神分析入門 上巻」(1916年-1917年)

古典なだけあって面白いが、逆に疑問もわく。

当時と現代では当然時代が変化しているので、どの程度現代にも有効なのだろうか。
夢の解釈の話でかなりの分量をさいているが、あくまでもタイトル通り「精神分析」がテーマなので、「夢占いのハウツー」ではない。
といったあたりは留意点としたほうがよいだろう。

おもしろいと思ったのは、
・人が言い間違えたり、忘れたりするのは、深層心理でそれをガードしている。

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黒柳徹子「窓ぎわのトットちゃん」(1984年)

黒柳徹子「窓ぎわのトットちゃん」(1984年)

発売初年は一年間で450万部売れたという。
黒柳徹子が書いたというネームバリューはもちろんあったのだろう。
だからといって、「売れたタレント本」というジャンルではなく、現代的なテーマが描かれており、むしろ今読むべき本になっている。

ストーリーとしては、
自由過ぎるふるまいのおかげで何度も転校を繰り返していたトットちゃんこと黒柳徹子。トモエ学園という小学校は、そんな彼女のふるまいをそのまま受け入れ

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ハイデガー「存在と時間4」(1927年)

ハイデガー「存在と時間4」(1927年)

人間の根源について考察する本書について、根源よりも、哲学の基本がわかっていない自分が読む。
読んでいて、なんとなくわかった気になる部分もあるけれど、大半の部分は思い返そうすると、理解していなかったことに気づく。

「気分」「世間話」「好奇心」「まなざし」。慣れ親しんだ用語も、哲学において語られると敷居が高くなる。
それでも懇切丁寧な解説の助けを借りて、なんとなく、ざっくりと、理解した気になる。

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マーク・クーケルバーク「自己啓発の罠」(2022年)

マーク・クーケルバーク「自己啓発の罠」(2022年)

本書によると、人間は、ソクラテスの時代から自己啓発をしていたのだという。人類は、自己の完全化という概念を追い求めてきた。

過去の哲学をいろいろと取り上げて、自己啓発というものが新しい考え方ではないということを説明する。

読んでいて、引っかかったのは、自己の完全化という概念が、現在言われている自己啓発と同様のものなのだろうか、という疑問はある。
現在の自己啓発はとどのつまり幸福の追求であると思う

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「椿姫」(1848年)

「椿姫」(1848年)

デュマ・フィスの小説。
高級娼婦のマルグリットと、青年アルマンの恋物語。

本作のおもしろさは、物語のプロットよりも、語り口の構造にあると思う。いわゆるメタ・フィクションの一種なのかもしれない。

まず、作者デュマ・フィス(自身が登場して、ヒロインのマルグリットの死を告げる。その次に、デュマはアルマンという青年に出会う。アルマンはマルグリットとの恋を語る。このパートはアルマンの一人称になる。
その

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矢野利裕「学校するからだ」(2022年)

矢野利裕「学校するからだ」(2022年)

それなりの期間を生きてきた人は、自分というものを持っている。著者もそうなのだが、彼は批評家という立場でもあるのであって、そういう意味では感覚を言葉にする技術にはたけている。

そんな彼が教師という立場から、学校というものを批評する。教育論、というのとは違う気がする。いろいろと語られているが、おもしろいのは、そこにいる人たちについての描写だ。

この本の中で試みられているのは、やはり相手もそれなりの

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