マーク・クーケルバーク「自己啓発の罠」(2022年)
本書によると、人間は、ソクラテスの時代から自己啓発をしていたのだという。人類は、自己の完全化という概念を追い求めてきた。
過去の哲学をいろいろと取り上げて、自己啓発というものが新しい考え方ではないということを説明する。
読んでいて、引っかかったのは、自己の完全化という概念が、現在言われている自己啓発と同様のものなのだろうか、という疑問はある。
現在の自己啓発はとどのつまり幸福の追求であると思うが、哲学者たちが探求してきたのは、そういうものだったのだろうか。彼らは世界を自分なりに解釈して、自分の言葉で表現することに心血を注いでいたのではないだろうか、と思う。そういう意味では、世界のすべてをデジタル化して誰でもアクセスできるようにする、という目標を掲げているgoogleのほうが、古代の哲学者たちのスタンスに近い気がする。
本書でやり玉にあげられるのは、そういったテック企業だ。
SNSや自己啓発アプリは、他者との比較を意識させ、人々の不安をあおり、みんなで競って自分の情報を投稿、入力する。それはテック企業の収益につながる。ユーザーが情報提供して、テクノロジーは強化されていく。
他者との比較は、テック企業が介在しなくとも、文明社会に生きているかぎりは避けられないだろう。
本書も、自己啓発そのものを否定しているわけではない。
自分の弱さをツイートし、それをテック企業が情報収集する。という、罠にはまるのが問題だとしている。
人は環境や他者との関係において成長する。幸福を追い求めても幸福にはなれない。ただ、様々な経験をして、そういった物事を自分の中でつなげていくことによって、発見であったり、新しいことを思いついて、なにか作り上げたりする。それが自己啓発なのかもしれない。
この本では自己啓発というものが、テック企業によってビジネスの材料にされているという論点だが、昔からあるような自己啓発本や、セミナーについては触れられていない。著者がAI分野の人間だからかもしれないし、本書で取り上げているのが、あからさまな自己啓発ではなく、巧妙に偽装された(しかし本質的には自己啓発と同じ)テック企業が開発したサービスだからかもしれない。
いずれにせよ、自己啓発というジャンルは人の成長を助けるわけではなく、元締めが総取りするビジネスでしかないということなのかもしれない。
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