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【ドーピングとアスリート】~薬物は人体に何をもたらすのか~

スポーツ界と切っても切れない関係にあるものとして、ドーピングの問題があります。

ドーピングとは「スポーツにおいて禁止されている物質や方法によって競技能力を高め、意図的に自分だけが優位に立ち、勝利を得ようとする行為」のことです。(公益財団法人 日本アンチ・ドーピング機構より)

今回は、ドーピングをするとどうなるのか?、ドーピングはいつから始まったのか?、そしてドーピング検査に引っかかったアスリートや日本人について解説します。

【ドーピングは人体に何をもたらすのか?】

筋力を高める薬物として有名なものにアナボリックステロイドがあります。

アナボリックステロイド

筋肉を大きくするには、日々のトレーニングと摂取する栄養バランスが重要です。

ただ、年齢が若い方が筋肉がつきやすい傾向にあります。

例えば20代と60代が同じトレーニングをした場合、20代の方がたくましい筋肉となります。

これには男性ホルモンが影響しています。

男性ホルモンであるテストステロンの量は年齢を経るごとに減少し、それによって筋肉もつきにくくなっていきます。

アナボリックステロイドは体内でテストステロンと同じような働きをするため、タンパク質を活発にして筋組織を増大させる効果があります。

アナボリックステロイドの摂取と運動を組み合わせることで、筋力やスポーツパフォーマンスを飛躍的に向上させることができます。

一方で、それに伴う大きな副作用もあります。

アナボリックステロイドは身体への負担が大きく、血圧やコレステロール値の上昇を招きます。

肝臓がんを代表とする肝疾患や鬱症状、そして攻撃性や暴力衝動などを引き起こします。

男性の場合、睾丸の萎縮や無精子症などの性機能障害が現れ、女性の場合、声変わりや生理不順などが現れます。

そして、もっとも恐い症状の一つに依存があります。

筋肉増強剤を使うと手っ取り早く効果が現れるため、使用量が増えていきます。

この即効性の落とし穴にはまった結果、依存性が強まってどんどん抜け出せなくなり、著しく健康リスクを害しても使い続けるようになります。

特に薬物の効果によって勝利を獲得したアスリートの場合は、むしろ薬物を使わないと不安になり、ド壺にはまっていきます。

ここで述べたアナボリックステロイドは筋力を高める効果があるため、筋力が重要な役割を持つ競技でドーピングとして使用される例が見られます。

次にエリスロポエチンについて解説します。

エリスロポエチン

エリスロポエチンは血中にある赤血球を増加させる効果があります。

酸素を運ぶ働きを持つ赤血球を増加させることで組織への酸素供給効率が上がり、スタミナを高めることができます。

一方で、副作用として高血圧症や血栓塞栓症などのリスク因子となります。

ここで述べたエリスロポエチンはスタミナを向上させる効果があるため、持久力がカギを握る競技でドーピングとして使用される例が見られます。

他にもコカインやアンフェタミンなどの「興奮剤」、骨や筋肉の成長を促す「ヒト成長ホルモン」などが主要な禁止薬物となっています。

ヒト成長ホルモン

【ドーピングの歴史】

そもそも、ドーピングはいつから始まったのでしょうか?

スポーツの世界では、1865年に行われたアムステルダム運河の水泳競技が最も古い記録とされています。

トップレベルの競技では、1904年のセントルイスオリンピックと1908年のロンドンオリンピックで、マラソン選手が興奮薬のストリキニーネを用いたのが初期の記録とされています。

ストリキニーネ

この頃のスポーツ界では、ドーピングが大きな問題とはなっていませんでした。

1925年にイギリスのプロサッカーチーム「アーセナル」の監督が選手に興奮剤を与えたと後に打ち明け、当時の選手たちの様子についてこう述べています。

「突然超能力を発揮した巨人のように見えた。敵からボールを奪い取り、雷のようなシュートを打った」
「ロケットのように高くジャンプし、あらゆる角度や距離からゴールめがけてボールを蹴り込んだ」

(『ドーピングの歴史 なぜ終わらないのか、どうすればなくせるのか』より)

ただ、当時はまだ精神刺激薬の使用について表立った規制の動きはなく、他のサッカーチームでも同様に使われていたのか、詳細な記録は残っていません。

1914年に始まった第一次世界大戦によってさまざまな薬物が開発され、それがスポーツ界でも使用されるようになります。

戦争では兵士の士気や戦闘能力の向上が重要な要素となります。

そのため、疲労感の防止や気力昂揚を目的に兵士に薬物が投与されました。

第二次世界大戦では、ナチスドイツやアメリカ、イギリスが覚醒剤(アンフェタミン)を使用し、兵士にドーピングを行いました。

日本においても夜戦の兵士を中心に使用された記録が残っており、特にメタンフェタミンの「ヒロポン」は戦後一般大衆に消費され、社会問題となりました。

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戦闘への恐怖や不安を和らげるため、覚醒剤は戦争の現場で重宝されました。

1928年、国際陸上競技連盟(現:ワールドアスレティックス)が興奮剤の使用を禁止し、正式にアンチ・ドーピングの動きが始まりました。

それから10年後の1938年、国際オリンピック委員会(IOC)がドーピングに反対する姿勢を正式に表明します。

その後も一部のアスリートが興奮剤を使っているといった噂が立つ中、1960年のローマオリンピックで自転車競技選手イェンセンがアンフェタミンによって死亡したと報じられ、ドーピング規制の動きが加速しました。

IOCや各・国際競技連盟がドーピングのコントロール方法を議論し、この時期にドーピングの定義が確立しました。

ちなみに、イェンセンの死には諸説あり、アンフェタミンではなく熱中症によって死亡したとの分析もあります。

死因は諸説ありますが、イェンセンが競技中に亡くなったことでアンチ・ドーピング活動が活発化し、1964年の東京オリンピックでアンフェタミン類の検査が実験的に行われることとなりました。

そして、1966年、サッカーと自転車競技の世界大会で初めてドーピング検査が行われ、1968年のグルノーブルオリンピックとメキシコオリンピックでは、近代オリンピックで初めてドーピング検査が正式導入されました。

1970年代になると筋肉を増強させる薬物であるアナボリックステロイドが大きな問題となりました。

それまでドーピングの主流だった精神刺激薬は、競技中に効果を発揮するため、検査では競技中の検体を入手すれば問題ありませんでした。

一方で、アナボリックステロイドはトレーニング期間中に使用されるため、競技中の検体を入手するだけでは不十分でした。

1970年代半ばにステロイドの検査が導入されますが、技術革新によってステロイド製品の幅が広がり、80年代後半になるとオリンピックの存続を揺るがすほど大きな問題となります。

1998年には自転車競技のツール・ド・フランスで大量のドーピングが発覚し、IOCや各国政府が議論を重ねた結果、翌99年に世界アンチ・ドーピング機構(WADA)が設立されました。

2000年のシドニーオリンピックからは尿検査だけでなく血液検査も行われるようになり、2001年には日本国内のドーピング検査を行う機関として日本アンチ・ドーピング機構(JADA)が設立されます。

こうして2003年に「世界ドーピング防止規程」(WADAコード)が採択され、現在に至ります。

【ドーピングが発覚したアスリート】

ここからはドーピングが発覚した著名なアスリートをご紹介します。

まず1人目はカナダの短距離走選手、ベン・ジョンソンです。

ジョンソンは1988年のソウルオリンピック100メートル走決勝で世界新記録となる9秒79を記録し、金メダルを獲得します。

しかし、その後の検査でステロイドの陽性反応が示されたため、金メダルを剥奪されて記録も抹消されました。

2人目はアルゼンチンが生んだサッカーの名選手、ディエゴ・マラドーナです。

マラドーナはFIFAワールドカップに1982年から4大会連続で出場し、1986年にはアルゼンチンを優勝に導くなど活躍しました。

1994年のワールドカップでエフェドリンなどの禁止薬物が検出され、出場停止処分が下されました。

3人目はアメリカの自転車ロードレース選手、ランス・アームストロングです。

ランス・アームストロング(出典:Wikimedia Commons)

アームストロングは1999年からツール・ド・フランスを7連覇するという偉業を達成するも、後にエリスロポエチンや血液ドーピング、ヒト成長ホルモンなどのドーピングが発覚し、全タイトル剥奪とともに自転車競技からの永久追放処分が下されました。

4人目はハンガリーのハンマー投選手、アドリアン・アヌシュです。

アヌシュは2003年の世界陸上で銀メダルを獲得し、2004年のアテネオリンピックでは金メダルを獲得しました。

しかし、ドーピング検査の検体をすり替えたうえに再検査を拒否したため、金メダルを剥奪されてブラックリストに登録されました。

これにより、銀メダルだった日本の室伏広治が繰り上げで金メダルを獲得しました。

5人目はアメリカの陸上競技選手、マリオン・ジョーンズです。

マリオン・ジョーンズ(出典:Wikimedia Commons)

ジョーンズは2000年のシドニーオリンピックで金メダル3個、銅メダル2個を獲得するも、後にステロイドなどの禁止薬物の使用を認め、メダルを全て返還して記録も抹消されました。

6人目はアメリカの短距離走選手、タイソン・ゲイです。

タイソン・ゲイ

2007年の世界陸上で100メートル走、200メートル走、400メートルリレーで金メダルを獲得し、世界陸上三冠という偉業を達成します。

2012年のロンドンオリンピックでは400メートルリレーで銀メダルを獲得しますが、後にドーピング検査で陽性反応が示され、メダル剥奪と1年間の出場停止処分が下されました。

この他にもさまざまなアスリートでドーピング違反が発覚しています。

加えて、ドーピング発覚まではいかなくても、メジャーリーガーなどを中心に疑惑が取り沙汰されたケースは数多くあります。

また、(これはアスリートも被害者ではありますが)1990年の東西ドイツ統一前に、東ドイツが国家ぐるみで組織的なドーピングが行っていたことが判明しています。

ロサンゼルス・タイム紙ではこのように報じられました。

「東ドイツのすべてのアスリートは、アナボリックステロイドなどの運動能力向上薬を無理やり投与されていた。フィギュアスケート、体操、水泳など一部のスポーツでは、わずか13歳から投与が始まっていた。…(略)…若いアスリートは最初のうち、薬物をビタミン剤だと説明されていた」

(1989年7月15日付)

国際大会で好成績を挙げるために、アスリートへの副作用を無視して国家ぐるみのドーピングを行った東ドイツの行為は、自由主義諸国から強く非難されました。

2015年にはロシアによる国家ぐるみの大規模なドーピングが明らかとなり、ロシアが国際大会から締め出される事態に発展しています。

【日本人とドーピング】

日本はクリーンなアスリートが多く、ドーピング違反者が世界平均より少ない状況です。

ただそれでも違反者がゼロではなく、例えば2016年に自転車競技で、2017年には競泳、レスリング、フェンシングで、2018年にはスピードスケートと競泳で、2022年には陸上競技でドーピング違反者が出ています。

ただし、ここで挙げた日本人アスリートのほとんどは故意ではなく過失であったことが判明しています。

禁止薬物リストは頻繁に更新されるうえにサプリメントや風邪薬の成分でも引っかかる場合があるため、選手個人のレベルでは把握しきれないといった事情があります。

一方で、2023年には日本の格闘技団体RIZINに出場した木村ミノル選手から「筋肉増強剤に該当する成分が複数確認された」として、罰金と出場停止処分が科される事態が発生しています。

RIZIN

ドーピングはスポーツのフェアプレー精神に反するのみならず、競技者の健康を害し社会的にも悪影響を与える行為です。

特に格闘技やラグビー、レスリングなどのコンタクトスポーツでは直接相手の身体と触れ合うため、ドーピングによって必要以上に相手にダメージを与える可能性があります。

フェアでクリーンなスポーツ界にするためにも、そして自分自身の健康のためにも、アスリートには禁止薬物から距離を置くことが求められます。

以上、今回は「ドーピングとアスリート」について解説しました。

YouTubeにも動画を投稿したのでぜひご覧ください🙇

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【参考文献】 『ドーピングの歴史 なぜ終わらないのか、どうすればなくせるのか』エイプリル・ヘニング,ポール・ディメオ,青土社,2023年

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