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歴史あれこれ

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歴史ウラ話集。表の歴史に隠れたような歴史のこぼれ話が大好物です。 妄想や独自の見解話などの収集帳。
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2022年9月の記事一覧

日野江城跡と有馬川殉教地 (2021/11/23訪問)

日野江城跡と有馬川殉教地 (2021/11/23訪問)

肥前有馬氏の本拠地である長崎県南島原市の日野江城跡を訪問しました。
城跡だけ見ても何のことかサッパリわからないと思い、地元のガイド団体にガイドを依頼。

*こちらの団体にガイドをお願いしました。

初めに、日野江城の麓にある有馬川殉教地を案内していただきました。

ここは1613年、棄教した有馬直純(晴信の嫡男)が領地に禁教令を出すも、拒否した家臣3名とその家族を火炙りの刑に処した場所。信者2万人

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歴史は続いているから面白い!

歴史は続いているから面白い!

noteを始めた頃にも書かせていただけましたが、私が歴史好きになったキッカケは小学校6年生の時に観た大河の「国盗り物語」です。

そこから3年後に司馬遼太郎による原作を読んで、あらためてツボにはまりました。

ですから、日本史は戦国時代から入り、人物的には織田信長のファンとして目覚めたのが最初です。

戦国、おもしろ~い!というのが最初なのです。

その後はたくさんの作家を読み漁り、そうする事で他

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奥羽越列藩同盟(5/5)

奥羽越列藩同盟(5/5)

東北朝廷ここで話が少し脱線しますが、この頃「東北朝廷」が成立したと言う説があります。
何人もの学者がこの説を支持していますが、それによると6月16日に輪王寺宮が還俗し、諱を陸運として「東武皇帝」に即位したというのです。
それに伴い改元も行われ、新元号は「大政」としました。
伊達慶邦の養女(一条関白の娘)を皇后にし、旧幕府側の大名や奥羽諸藩の大名を関白以下の諸職に任命して、京都の他に東北に朝廷を作り

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奥羽越列藩同盟(4/5)

奥羽越列藩同盟(4/5)

結成時間を少し前に戻します。
4月17日に嘆願書が拒否されましたが、翌18日仙台藩の但木土佐は薩長の横暴を非難し、「西軍とは名ばかりの偽官軍で、ただの反乱軍ではないか。とても天皇の意向を受けているとは思えない。こうなった以上は東方より勤王の旗を揚げ、薩長を追い払って真の王政復古を実現するつもりだ」と気炎を揚げました。
そして総督九条孝道に、世良修蔵の解任を迫りました。
そうした中で世良は暗殺され、

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奥羽越列藩同盟(3/5)

奥羽越列藩同盟(3/5)

世良修蔵下参謀として鎮撫軍に加わっていた長州藩の世良修蔵は、奥羽諸藩に対して傍若無人な振る舞いが目立っていました。
新選組に斬られた同志も多い事から、新撰組を配下に置いていた会津を目の敵にしていました。
会津を最初から許す気など毛頭無く、敵意剥き出しでした。

会津藩主松平容保と会見してきた玉虫左大夫がその状況を報告すると「貴様らは奥羽諸藩の中でも少しは話の分かる奴らだから使者にも選ばれたのだろう

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奥羽越列藩同盟(2/5)

奥羽越列藩同盟(2/5)

面従腹背やむを得ず仙台藩は鎮撫軍と合同で訓練するなどして、鎮撫軍側についているように見せかけつつ、米沢藩や二本松藩とともに、会津藩に降伏を進める説得を続けていました。
4月4日には、仙台藩主名で会津追討の準備命令が下されていますが、これも鎮撫軍を欺くためでした。

会津藩がなかなか説得に応じない中、4月10日に会津藩と庄内藩が会庄同盟を結びました。
庄内藩は前年に幕府の命で江戸の薩摩藩邸を焼き討ち

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奥羽越列藩同盟(1/5)

奥羽越列藩同盟(1/5)

はじめに「奥羽越列藩同盟」をご存じでしょうか。
幕末のほんの僅かな期間だけ存在した同盟です。
聞いた事があるという方でも、意外と成立の経緯などを勘違いされている場合も多く、僕自身も詳細を知らなかったのでまとめてみました。

このように、薩長と戦うために奥羽越諸藩が軍事同盟を結んだものと思われがちですが、違います。
結論から言うと実際はこのような流れです。

では奥羽越列藩同盟とはどのような同盟だっ

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■【より道‐103】戦乱の世に至るまでの日本史_時代を超えた因果応報「京極騒乱:後編」

■【より道‐103】戦乱の世に至るまでの日本史_時代を超えた因果応報「京極騒乱:後編」

「家系図」をみてみると、長谷部家連さんの娘に「女:京極氏室」と「女:小嶋氏室」と記載されています。そして、我が家の家訓として残っている「尼子の落人」という言葉から、このあたりの時代に京極氏と親戚関係になったのではないかと、妄想しています。

それは、「京極騒乱」の時代に、出雲の守護だった京極政経(まさつね)、そして、京極氏の同族で守護代だった尼子経久と大きくかかわりがあったのではないでしょうか。

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■【より道‐102】戦乱の世に至るまでの日本史_時代を超えた因果応報「京極騒乱:前編」

■【より道‐102】戦乱の世に至るまでの日本史_時代を超えた因果応報「京極騒乱:前編」

「応仁の乱」を語るには、京極家のお家騒動、「京極騒乱」についても書いてみようと思います。

なにせ、長谷部氏のご先祖様は、京極氏と婚姻関係を結んでいますし、我が家に残る「尼子の落人」と言い伝えを考えると、佐々木京極氏や佐々木六角氏のファミリーヒストリーと何かしらつながっていると思っています。

佐々木氏は、平安末期に源頼朝を支援した一族ですが、代々、近江国(滋賀県)や出雲国(島根県)などの守護を務

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#073架空の人物の歴史-身近な史跡、文化財の楽しみ方(14)

#073架空の人物の歴史-身近な史跡、文化財の楽しみ方(14)

 表題だけ見られると、例えば田中芳樹『銀河英雄伝説』のような、架空の物語の中での時間経過、大河ドラマ的小説や、アニメ「機動戦士ガンダム」のような歴史の長い、年代記的なものを想像されるかも知れませんが、今回のお話は物語の中の架空の人物が実際の現実とリンクしてしまうというお話です。

 架空の人物が実際の史跡と関係するもののうち、恐らく世間的に最も知られているのは『三国志演義』に登場する周倉ではないで

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「武士の鑑」の最期をどう演じるか

「武士の鑑」の最期をどう演じるか

さて「鎌倉殿…」では
3代将軍・源実朝が公家から妻を迎えるにあたり、上洛した御家人たちの歓迎の酒宴で、北条時政の娘婿である平賀朝雅と畠山重忠の嫡男・重保とが口論になりました。

その理由を大河では、同行していた北条時政・りく夫妻の長男・政範の突然死をめぐっての事で、言った言わない、やったやらないというものでした。

お互いに譲らず、朝雅のほうは遺恨を残して時政夫婦に畠山の事を讒言し、畠山没落に向け

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使えなかったエピソード

使えなかったエピソード

 数日前に、奥州では世良修蔵が嫌われ者だったというトピックを上げました。

 小説執筆に当たり、二本松藩史を始めとする各種歴史書の読解もしていたのですが(歴史小説の宿命でしょうね)、作中で使いたくても使えなかった、そんなエピソードもいくつかあるのです。
中でも印象に残ったのが、こちら。

頑固過ぎる会津人 こちらは、日付を確認したところ(4月29日)、二本松からの出席者がいないところでやりあってい

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■【より道‐101】戦乱の世に至るまでの日本史_時代を超えた因果応報「畠山騒乱」

■【より道‐101】戦乱の世に至るまでの日本史_時代を超えた因果応報「畠山騒乱」

◼️畠山氏のお家騒動

畠山氏のお家騒動は、畠山持国(もちくに)に子供がいなかったことからはじまります。そのため、家督は、弟の畠山持富(もちとみ)が継ぐ予定でしたが、畠山持国(もちくに)と遊女の間に息子がいたことが判明します。

自らの血筋を残したい畠山持国(もちくに)は、弟の家督相続を撤回して、じぶんの息子、畠山義就(よしなり)が正式な後継者にするよう、八代将軍・足利義政の裁可を得ました。

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偽りのマザーテレサ。マザーテレサは聖人⁉️それとも⁉️真実の探求。。🥺💘

偽りのマザーテレサ。マザーテレサは聖人⁉️それとも⁉️真実の探求。。🥺💘

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私がこんなことを書くと彼女を正に聖人と思っている方々から非難囂々ですね。ですが、マザーテレサは本当に聖人だったのでしょうか⁉️

生前からも彼女の死後も黒い噂が絶えません。

誰でも清廉潔白というより影の部分、二面性というものはあると思います。

まずは、みなさんもよくご存じのマザーテレサの簡単な経歴から~

マザーテレサことコル

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