#エッセイ
「違うレイヤーに立って話をしている」ことが理解できれば、人間関係はもっとシンプルになるのではないだろうか?
さて、ちょっと時間が空いてしまったけれど、前回の続き
前回の記事の最後に「そんなわけで定期的なメンテナンスのひとつとして、かかりつけ医に血液検査をしてもらっているのだけど、それがね、コミュニケーションについて考えさせられるおもしろい人体実験になっている」と書いた。
そう、先生とのコミュニケーションの話を書きたかったのだ。ということは、前回の記事、読まなくても大丈夫な気がする、たぶん。(じゃ、書く
「わからない」という余白
私は編集時代、そして今の仕事を通して「この人が本当にいいたいことは何か?」とか「この話の本質とは何か?」とか、そういうことを考える機会が多いほうだと思う。
だけれども、わからないことのほうが圧倒的に多い。たぶん1日の中の大半を「わからないなぁ」と思って生きている。この「わからないなぁ」には「知識や情報が足りなくてわからない」こともあれば、自分とは考え方や受け止め方が違いすぎていて「わからないなぁ
「脳内幽体離脱」というブログタイトル
アメブロで「とっちらかった道の先」というブログを書いている。
このブログはカウンセリングを学び始めていた2012年の頃に始めたブログなので、かれこれ10年ほど、ここであれやこれやと書いてきた。
主に心のことが中心だ。そして心を見つめるためには身体のメンテナンスも無視できないことから、時には身体のことなどもここで書いてきた。
2012年以前には、別なブログサービスで「脳内幽体離脱」というブログ