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痛み

心という見えないものは、時に肉体というものを使ってその状態を表すことがある。傷ついた心の痛みが肉体の痛みとなって本人を苦しめることがあるのだ。
24時間、全身に痛みが走っている。そういう人がいた。

常に全身が痛い。その痛みは明らかに心の痛みだった。
「心が痛いと身体まで痛くなるんだね」ぽつりと友人はそういった。

周りの人がどれほどに愛していようとも、本人もそれがわかっていても、それでも幼く無力だった頃に自分が負った孤独の傷口が塞がれることはなく、それはいつまでも傷のままだった。
その痛みは時間をかけて肉体の痛みとして具現化し、全身を覆い。そしてその肉体の痛みがさらに心を蝕んでいく。

本来ならば、傷は癒やされて傷跡となり、その傷跡は自身の内面への豊かさへと循環していく。けれど、そうならないこともある。痛みだけが循環してしまう。
そんなことが人には起きるのだ。

私にとっては想像するしかない、その人の人生の痛み。無力さ。無念さ。絶望。
永遠とも思えるほどに止まってしまった時間を想像する。胸と背中が痛くなる。私の中の悲しみが痛みとなる。けれども、想像することで与えられた私の痛みは、「人が人であること」の恩恵の一部だ。
だから、ただ、祈りと感謝を送る。



人の五感は不思議だ。
聴覚に障害がある人でも振動を感じることができれば、音楽を楽しむことができるように、音楽が風景となったり、匂いが情景となって立ち上ることもある。

いつだったか。すごい昔に宇宙の音を聞いたことがあった。何がきっかけだったかは忘れてしまったけれど、その「ゴォォォォォ」という「音」は「永遠に続く空間」そのものだった。目を閉じて「ゴォォォォォ」という音を聞いていると自分がポツンと暗闇に浮いてどこかへ運ばれていくような気分になった。それは孤独でもあり、安心でもある。相反するものが一つにただ存在する世界のようだった。

何年かしてこれもまたきっかけを忘れてしまったのだけど、血液が流れる音を聞いた時、この宇宙の音を思い出した。身体という永遠に続く空間。いや、肉体は永遠には続かないのだけれど、血液が流れる音には「永遠」と繋がる何かが、朽ちることなく続くものの微かな気配があった。心の痛みが肉体の痛みとなることも、また、それと相通じるものであるのだろうと思う。

肉としての体ではない。人間が持つ「身体」。
その意味を考え、感じ続けていきたいと思う。

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