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初めての大垣を下調べせず散策してみる

東海自然歩道の歩き旅翌日は
大垣市内をぶらり散策してみました🙌

三重県いなべ市から養老町までの
県越えコース歩いた記事はこちら👇

大垣は電車の乗換えは何度もあるが
ちゃんと街歩きしたのは今回が初✨
ただメインは前日の歩き旅で
全く下調べ無しでの散策でした😆

駅前のアパホテルに宿泊

前乗り宿は安さ重視ですが
歩き後宿はアクセス重視👍

大垣駅から歩いてみる


1人で初めての街を散策するとき
下調べしないことが多いが
調べるの面倒以外に一応理由はある😅

■あえて迷ってみたいから
無知の状態で地図も見ず歩いて
どこに何があるか分からないワクワク感を
抱きながら散策するのが楽しい

■のんびり巡りたいから
初めての街だと全て初スポットで
気になる場所が多く見つかってしまうが
時間の都合で全て行けないやろうし
行こうとして忙しくもしたくない

基本的にソロ散策の時だけやけど
共感してくれる人との散策もこんな感じ

今回は前日の疲れもあったので
現地の標識や地名を参考にしつつ
気になる場所に立寄り歩き回り
疲れたら帰るつもりで散策開始😁

東海道と中山道を結んだ美濃路

宿には10時まで滞在して
素泊り宿の朝恒例モーニングへ

喫茶店やモーニングについては
別記事で書いたので興味あれば👇
🔗note記事【旅先喫茶☕|ニューバロン】

喫茶ニューバロン
場所|岐阜県大垣市高屋町2丁目2-1-1
営業時間|7:00~18:00・定休日|月曜

喫茶から駅とは反対方向へ
歩くと灯篭を兼ねた標識を発見🙌
こういう系は大好物♪

この常夜灯は1822年、岐阜町から美濃路みのじへの南の出口に建立した。標面には美濃路を往来する旅人への道案内として、正面に右 きそ路左 京ミち、左面に北 たにくミ道とあるほか、道中の安全を願い梵字ぼんじが刻まれている。

現地の説明

ここで初めて知った美濃路
江戸時代に東海道の宮宿(熱田宿)と
中山道の垂井宿を結んだ脇街道
東西の移動では遠回りにはなるものの
水難事故の多かった宮宿~桑名宿の難所
七里の渡しを避け好まれることがあったそう

常夜灯の近くに案内板があり
色々ありそうな方向へ行ってみる♪

細い川に沿って歩く
水門川というらしい

広い道に合流したとこにあった
ここがさっき知った美濃路👍
美濃路を辿ってみようか迷うが
より気になった川沿い道歩きを継続♪

常夜灯から辿った川は南へ流れ
美濃路看板付近で直角に曲がり西へ
自然の川ではないんやろなと🤔
(ブラタモリ好きです♪)

水路川の橋

川沿いは遊歩道が整備されてて
一角にモザイクタイル画もあった

何の絵やろう…

右側の建物は大垣城っぽいけど
左側の塔状の建物は今もあるんかな…

そういえばマンホールの絵柄にも
似た建物と橋や船も描かれてたので
川沿いにあるんやないかと予想😙
(謎解きみたいな感覚も好き♪)

訪問日の9月末はまだ暑かった…
高岡橋

大垣市内の中心部を流れる
水門川には多くの橋が架かり
その欄干はどれも特徴的でした

龍の口橋
武者溜橋

欄干もやけど橋名も特徴的で
大垣城絡みなんやろなと思い出す🤔

大垣市総鎮守 八幡神社

水門川沿いの道に面してて
気になったので立寄ってみた

大井荘(現 大垣市)は749年より、奈良県東大寺の荘園しょうえんであった。これにより後醍醐天皇の御世みよ、1334年東大寺守護神である八幡神を手向山たむけやま八幡宮より大垣の地に勧請した。
※荘園とは、貴族や社寺の財力により開墾された大規模な領地。

境内の真新しい石碑は
370年余の伝統を誇る大垣祭の軕行事で
ユネスコ無形文化遺産登録を記念するもの

祭は5月に開催されるようなので
機会があれば見てみたいな😆
…既に再訪する気は満々♪

八幡神社から水路川は再び南へ…
不自然な流れの理由を
清水橋脇の案内板で知りました🤗

大垣市役所と清水橋

この付近に大垣城清水口門があり
水路川は城外側の堀跡だそうです

青線が水路川(地図は現地の看板)

大垣城は南と東を大手(城の正面)、北と西を搦手(城の裏)とする要害堅固な城郭であり、総郭には東口大手、南口大手、柳口、竹橋口、清水口、辰之口、小橋口の七つの門があり、大垣城七口之門と呼ばれる。

現地の説明より

先ほど通った龍の口橋は
辰之口門の場所なんやろなと
パズルがはまる感覚でした♪

船町港の住吉燈台

石垣を模したような護岸になり
街並みも洒落た雰囲気になってくる

チーズケーキプリンセス(スイーツ店)
一汁一菜あしたごはん(日本料理店)

雰囲気良い店は気になるが
朝食が遅かったので✅だけ♪

水路川

この付近で再び直角に曲がり
公園の池のような場所に流れつく

川ではあるみたい😆

水路川を渡り車道に出ると
別の川?を渡る洒落た橋を発見😙

橋の欄干には気になってたやつ!!
船町道標

この道標は文政年間に大垣城西総門(京口御門)の南、美濃路沿いに建立された。旅人の道案内のため、標面には右 京みち左 江戸道と記されている。

現地の説明
西総門跡の石碑

道標の橋を挟んだ北側が西総門で
橋を渡る道が美濃路だったようで
道沿いに歩いていくとあの建物が😁

美濃路から

ここは江戸から明治にかけて大垣城下と桑名を結ぶ運河「水門川」の川港、船町港があり物資や人の往来の中心であった。

現地の説明
水路川から

港の道標と夜間の目印として1840年に建てられたとされるのが住吉燈台。高さ約8mの寄棟造りで、往時は最上部の四方に油紙障子をはめ込み中央に燈火を入れた。

現地の説明

明治時代には大垣から桑名への
蒸気船も就航したが昭和になると
陸上輸送が発達し衰退したそうです

大垣城と郷土資料館

散策序盤からの目的を達成し
水路川も街の外れまで来たので
Uターンして大垣城へ行ってみる🙌

御菓子つちや 俵町本店

美濃路沿いで見つけたのは
インパクトが凄い外観の建物
博物館かなんかかと思ったら
現役営業するお菓子やさんでした✨

大垣城があるのは大垣公園の中
訪問日は何かの祭をしてました🍃

大垣城

大垣城は1535年、市内を流れる水門川を外堀に利用し築城された。1600年、関ヶ原の戦いでは西軍を率いた石田三成の本拠地となり、1635年に摂津尼ヶ崎より戸田氏鉄うじかねが入城し以後明治維新まで戸田家の居城となった。

現地の説明
戸田氏鉄公騎馬像

明治に入り廃城となるが天守等は破却を免れ昭和11年に国宝となった。しかし昭和20年の大垣空襲に焼失。昭和34年に外観復元された。

現地の説明
城内へ…

天守の入口まで来てみたが
復元天守やし入るか迷いだす💨

そんな気持ちに天が察したのか…
急に大粒の雨が降りだし建物内へ
入場料は200円で渋る金額ではない💦

最上階より…意外と大雨でした☔

雨宿りを兼ねてるとはいえ
せっかく入ったのでじっくり鑑賞

入るの渋ってたのが嘘のように
大満足な展示ばかりでした
特に感銘受けたことは後日書きます

安いと感じた大垣城入場券で
なんと郷土資料館も入れる🙌
頭はパンパン腹はペコペコやけど
せっかくなので行ってみる😆

東側から
南西側から

入ってすぐ目に入ってきたのは
幾重もの堀に囲まれた大垣城の模型✨

現在、大垣城とされてるのは
天守周辺の本丸だけなので
壮大すぎて想像ができない💦

諸々展示物も鑑賞したけど
模型以上に興奮せずあとにする💨
(空腹で頭働いてなかったかも…)


当初の予定通り疲れたので
散策を終えて大垣駅へ戻ることに🤗

その途中で腹ごしらえしたのは
入るのに躊躇しまくった喫茶

喫茶店やモーニングについては
別記事で書いたので興味あれば👇
🔗note記事【旅先喫茶☕|スタイン】

喫茶スタイン
場所|岐阜県大垣市高屋町1丁目48
営業時間|8:00~18:00・定休日|なし

電車乗継ぎ大阪へ🚃

今回巡った場所

緑線:巡った経路|●:立寄地

下調べせず歩いてみましたが
初散策で目に入る全てのものに
興味がわき立寄ると学びが多く…
同時に疑問がわき思考してみて
歩いてるうちに答えを見つける😅

知らないこと知るのが楽しいけど
思考を巡らすのもまた楽しくて
全ては無知やからこそのこと♪

先に知ってれば理解は早いけど
へぇ~と流してしまうので
記憶には残りにくい気がする…

あくまで持論でしかないけど
現地への行き方は調べたとしても
散策経路や場所は調べん方が良いなと
今回の散策で再認識しました😙

模型で知った壮大な大垣城の堀を
現代の地図に重ねてみました🙌
前半辿ってた水路川は外堀で
北から西にかけての門名称が
橋名称になっているようでした

途中立寄った住吉燈台、船町港は
川港でありながら堀とも直結し
重要な場所だったとも分かる

関連記事_旅先の城

思ったよりも行って書いてた…
お城記事をまとめてみました♪

国宝や現存天守のお城やったら
メインの目的になるけど
その他は街訪問ついでの立寄りで
記憶に残ってないのかもな…😁

■池田城(大阪府)

備中びっちゅう松山城(岡山県)

■松本城(長野県)

志波しわ(岩手県)

■米子城(鳥取県)

■高島城(長野県)、甲府城(山梨県)

■高知城(高知県)

■鳥取城(鳥取県)

■尼崎城(兵庫県)

■松坂城(三重県)


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