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輪をつなぐ

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平和に関する記事を集めます。主に、みんフォトつながりです。
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#広島

ビキニ環礁水爆実験から70年。「グローバル・ヒバクシャ」は世界各地に。

ビキニ環礁水爆実験から70年。「グローバル・ヒバクシャ」は世界各地に。

今日は3月11日、2011年の東日本大震災から13年です。
東京電力福島第一原発事故で12市町村に国から避難指示が出されました。
すべての市町村で避難指示は解除されましたが、放射線量が比較的高い「帰還困難区域」が7市町村に残され、居住率は平均で3割です。
県の発表だけでも約2万6千人が故郷に戻れていません。
放射能被害の影響は今も続いています。

70年前の1954年3月1日、アメリカは太平洋マー

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巡礼【エッセイ】一八〇〇字(本文)

巡礼【エッセイ】一八〇〇字(本文)

― 原爆の図 巡礼 ―

 「どうして、埼玉? しかも、東松山のはずれの田園地帯にあるのか。広島ではなく」と思いながら,市ヶ谷から車で向かった。(関越道)東松山IC降り、10分。田畑や工場を過ぎ、車一台がやっとの小道に入ると、「原爆の図 丸木美術館」があった。近くに都幾川。丸木位里の郷里(現・広島市安佐北区)には、爆心地近くまでを流れる太田川がある。その川を想いおこすことが、妻・俊との移住先、東松

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被爆者に寄り添うアメリカ人がいた!

被爆者に寄り添うアメリカ人がいた!

 終戦直後、原爆で家を失った人々のために広島と長崎に家を建てたアメリカ人がいたことを知った。平和活動家フロイド・シュモー氏。カンザス州出身の森林学者だ。知人に送った手紙にこう記した。
 「わが国が爆撃によって日本の罪のない人々に苦悩を与えたことを申し訳なく思う多くのアメリカ人の気持ちの証しになるものだ」
 
 原爆投下に衝撃を受け、1949年に広島を訪れて被爆者のための家を建てる「広島の家」プロジ

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原爆の日に思う

原爆の日に思う

今日は、世界で初めて広島に原爆が落とされて78年目の日。
広島市で行われた平和記念式典には、過去最多の111ヵ国の首脳や代表が参加した、とのこと。

しかし、毎年この日に思うことは、いくら大勢の首脳が平和記念式典に参加しても、世界では一向に戦争はなくならず、むしろ、戦禍はますます拡大しているように感じることである。

まして、原水爆禁止などは、世界各国の情勢や思惑から考えても、夢のまた夢のような状

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【修学旅行の取り組み】ヒロシマ:調べ学習編

【修学旅行の取り組み】ヒロシマ:調べ学習編

前回の記事 【絵本紹介】平和への祈りをこめて~ヒロシマに関する絵本~ で「修学旅行での取り組み」について少し書いたところ、「もう少し詳しく教えてほしい」というリクエストをいただきました。

前回の記事はコチラ

地域や学校によってそれぞれ事情は違うと思いますが、今回は私が勤務してきた何校かの取り組み、ということでご紹介しますね。

ちなみに、私が勤務していた市の小学校の修学旅行は、広島(平和記念公

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口下手な爺ちゃんが原爆について語った話

口下手な爺ちゃんが原爆について語った話

8/6は原爆の日でした。自分自身が忘れないために、
子供の頃爺ちゃんが話してくれた思い出をnoteに書き留めておきます。

当時現場でできた唯一のこと

うちの爺ちゃんは広島で原爆投下直後から被爆地の救援作業にあたり、数えきれないほどの多くの死に触れてきたそうです。

来る日も来る日も屍の山を積み上げては燃やし、
積み上げては燃やし。

救援といえば聞こえはいいですが、実際この時の広島で、それ以外

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「名言との対話」5月28日。浜井信三「こんな兵器ができた以上戦争は二度とやってはいけない」

「名言との対話」5月28日。浜井信三「こんな兵器ができた以上戦争は二度とやってはいけない」

浜井 信三(はまい しんぞう、1905年5月28日 - 1968年2月26日)は、日本の政治家、初代の公選広島市長。

広島市出身。東京帝大卒後、広島商工会議所を経て、1935年に広島市役所入り。1945年配給課長に時に原爆で被災。その年に助役。1947年公選による初の市長に就任。同年8月6日に第1回広島平和祭と慰霊祭を行い、平和宣言を発表。1949年、広島平和都市建設法を制定。1950年、平和記

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