久恒 啓一

ひさつね けいいち。

久恒 啓一

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マガジン

  • 久恒啓一の「図解塾」(梅棹文明学)

    図解塾塾長は、久恒啓一(多摩大学名誉教授)。 全体と部分、構造と関係を鳥瞰できる「図解」は文章地獄と箇条書き信仰で汚染された世界を一新する基本ソフト(OS)です。図解という新しい武器で理解力・企画力・伝達力を磨き、世界を軽やかに疾走しよう。入門編では、毎回、目からウロコの講義を展開します。

  • 久恒啓一の「幸福塾」

    「幸福論」の世界的名著を書いた「ヒルティ」「アラン」「ラッセル」。日本人では、「努力論」の幸田露伴、「九幸翁」の杉田玄白、「処世術」の本多静六などをはじめ、内外の3000人にのぼる幸福をめぐる名言とその人の生涯を解説、分析しながら、話し合う参加型の塾です。

  • 久恒啓一の「名言との対話」

    日本近現代の偉人たちのの生涯と絞り出した名言から学ぶマガジンです。 誕生日や命日を切り口に、2016年1月1日から毎朝書き続けています。 2500日を超えてきました。「日本の精神」がここにあります。 2021年は「大正から昭和へ」がテーマの誕生日編。2022年は「明治生まれ」。 2023年は「近代」としました。文化文政から幕末維新を中心に活躍した人物。

  • 深呼吸学部・参加型社会学科

    • 81本

    深呼吸学部・参加型社会学科 学科長 田原真人 ●日程 2022年1月5日から2月23日まで、毎週水曜日20時30分から22時まで。 第一期8回限定。 ●内容 毎週1回、田原講義(30分)議論(60分)の授業 *橘川は通常は参加しません。質問や背景説明など、ゲストとして呼ばれる日がある時に参加します。 ●参加費 1期8回(2ヶ月)で1万円。 *途中参加でも金額は変わりません。 *深呼吸学部の正規受講生は無料で受講出来ます。 ●開設趣旨 *参加型社会の実践と理論を追求してきた橘川幸夫の書籍を最初から読んで解説と議論を行う。

  • イコール「書評の書店」

    • 47本

    深呼吸書店は雑誌「イコール」の書評頁と連動しています。編集部に参加した人たちは自分で読んだ本の書評をアーカイブしてください。

最近の記事

「名言との対話」9月20日。加藤秀俊「時間的な持続力をもった人間が例外的な偉人として珍重される。、、もしも何十年かの人生を通じて、なにごとかについての持続力をもつことができるなら、それは、とりもなおさず、「生きがい」のある人生であった、ということである。」

加藤 秀俊(かとう ひでとし、1930年(昭和5年)4月26日 - 2023年(令和5年)9月20日)は、日本の社会学者。享年93。東京都出身。 1970年の大阪万博のプロデューサーだった小松左京の述懐「大阪万博奮闘記」を読んだことがある。日本万国博覧会に尽力し、林雄二郎(51歳、梅棹忠夫(47歳)、川添登(41歳)加藤秀俊(37歳)、小松左京(36歳)らは1968年に日本未来学会を創設した。親しかった梅棹忠夫について加藤秀俊は「梅棹さんは先々まで見通して手を打つ人だった。

    • 「名言との対話」9月19日。ゴーマン美智子「疲労を乗り越えて、ある日突然自分の身体が一段上にシフトされるのが感じられるのだ」

      ゴーマン美智子(ゴーマンみちこ、英名:Miki Suwa Gorman 、旧名:諏訪美智子、1935年8月14日 - 2015年9月19日)は日本出身でアメリカ在住の女子マラソン選手。享年80。 中国の青島(チンタオ)で生まれ、東京育ち。28歳で学生ビザで渡米という遅い出発だった。いくつかの家庭で過ごす。「自由と独立」が美智子の希望だった。いくつかの条件の良い申し出を断っている。「たった一度の人生ではないか。思う存分自分で開拓できないでどうする」。「最も退屈する男は人の造っ

      • 9月18日。図解塾

        • 「名言との対話」9月18日。山本徳郁「誰も「やれ」とは言わない。そのかわり、やらなければ誰にも相手にされない」

          山本“KID”徳郁(やまもと“キッド”のりふみ、1977年3月15日 - 2018年9月18日)は、男性総合格闘家。享年41。 父はミュンヘンオリンピックのレスリングの日本代表。母は結婚後に公認審判員の資格、健康運動指導士、鍼灸師の資格を取得。姉の美優は全日本選手権4連覇、史上最年少の17歳で世界選手権優勝。妹の聖子は3階級で世界制覇を4度果たしていて、後にダルビッシュ有と結婚。レスリング一家である。 オリンピック出場の夢が破れた山本徳郁は、姉・美憂の夫であったるエンセン

        「名言との対話」9月20日。加藤秀俊「時間的な持続力をもった人間が例外的な偉人として珍重される。、、もしも何十年かの人生を通じて、なにごとかについての持続力をもつことができるなら、それは、とりもなおさず、「生きがい」のある人生であった、ということである。」

        • 「名言との対話」9月19日。ゴーマン美智子「疲労を乗り越えて、ある日突然自分の身体が一段上にシフトされるのが感じられるのだ」

        • 9月18日。図解塾

        • 「名言との対話」9月18日。山本徳郁「誰も「やれ」とは言わない。そのかわり、やらなければ誰にも相手にされない」

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        • 久恒啓一の「図解塾」(梅棹文明学)
          ¥10,000 / 月
        • 久恒啓一の「幸福塾」
          初月無料 ¥1,000 / 月
        • 久恒啓一の「名言との対話」
          1,199本
        • 深呼吸学部・参加型社会学科
          81本
          ¥10,000
        • イコール「書評の書店」
          47本
        • 「アクティブ・シニア革命」編集長日記
          4本

        記事

          「名言との対話」9月17日。石井高「ヴァイオリンに生きる」

          石井高(1943年?-2015年9月17日)は、バイオリン製作者。 東京都出身。下町育ち。東京理科大学応用化学科中退。ヴァイオリン製作家の内弟子を経て、単身イタリアにわたる。1970年からヴァイオリンの故郷であるイタリアのクレモナに永住。クレモナは人口は7万人ほど。イタリア国立ヴァイオリン製作学校卒業。1975年、楽器つくりの名人を意味するマエストロの称号を受ける。1980年、クレモナ市民賞(ストラディヴァリ賞)受賞。 ヴァイオリンをはじめ弦楽器製作、講演会など、幅広く活

          「名言との対話」9月17日。石井高「ヴァイオリンに生きる」

          「名言との対話」9月16日。樋口廣太郎「前例がない。だからやる」

          樋口 廣太郎(ひぐち ひろたろう、1926年(大正15年)1月25日 - 2012年(平成24年)9月16日)は日本の実業家。アサヒビール中興の祖。享年86。 京都市出身。京大卒業後、住友銀行に入行。最年少記録を更新し、1982年に56歳で副頭取に昇進する。1986年、村井勉社長に招かれアサヒビール社長に就任し、「スーパードライ」の大ヒットで再建を果たし、キリンに次ぐ業界第2位に躍進させた。1992年から会長。経団連副会長など財界人としても活躍した。樋口は専門バカにならない

          「名言との対話」9月16日。樋口廣太郎「前例がない。だからやる」

          「名言との対話」9月15日。樹木希林「今なら自信を持ってこう言えます。今日までの人生、上出来でございました。これにて、おいとまいたします」

          樹木 希林(きき きりん、1943年1月15日- 2018年9月15日)は、日本の女優。享年75。 文学座研究所に入り、杉村春子にカンの良さを認められ付け人となる。18歳、悠木千帆の名で女優になる。「芸能界では“勇気”が必要」として父親が考案した芸名だ。後にこの芸名を競売にかけ、40万円で売っている。本格的な女優デビューは20歳、テレビドラマ「七人の孫」で主人公役の森繁久彌に才能を見出された。テレビドラマの「時間ですよ」、そして「寺内貫太郎一家」での主役の母親役など演技は人

          「名言との対話」9月15日。樹木希林「今なら自信を持ってこう言えます。今日までの人生、上出来でございました。これにて、おいとまいたします」

          「名言との対話」9月14日。高山辰雄「何をするのでも、100年や200年じゃ達成できない。未完成というのも正しい在り方かな」

          高山 辰雄(たかやま たつお、1912年(明治45年)6月26日 - 2007年(平成19年)9月14日)は、日本画家。享年95。 大分市出身。小学生で画家になろうと決心する。東京美術学校(東京芸大)の卒業制作「砂丘」ではセーラー服姿の女性がモデルとなった。この砂丘は房総半島の御宿の砂丘である。画家を目指していたモデルの女性やゑ(八重)と高山は結婚している。 若い頃、東京大空襲の惨状を体験する。「何もかもが焼き尽くされた風景を見て、心が奮い立った」。ゼロからやっていくとい

          「名言との対話」9月14日。高山辰雄「何をするのでも、100年や200年じゃ達成できない。未完成というのも正しい在り方かな」

          「名言との対話」9月13日。辻勲「ガブリと口一杯にほおばって、世のありとあらゆるものを食いちぎり、食べ散らかしーー飲み込み吐き散らす」

          辻勲(1923年7月15日ー2003年9月13日)は、料理研究家。享年80。 この人を、日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)では、次のように説明している。父・徳光の日本料理に逆らい西洋料理からスタート。1946年日本割烹学校栄養食品科専任教授、学科長及び月刊「家庭と料理」編集局長を兼務。1952年副校長、1959年日本調理師学校(現・辻学園日本調理師専門学校)を創立、校長に就任。のち学園長。1961年ニッポンフードサーヴィスを設立、代表。家庭料理教室であ

          「名言との対話」9月13日。辻勲「ガブリと口一杯にほおばって、世のありとあらゆるものを食いちぎり、食べ散らかしーー飲み込み吐き散らす」

          「名言との対話」9月12日。塩屋賢一「犬を道楽のために訓練するのではなく、人の役に立てるために訓練したい」

          塩屋 賢一(しおや けんいち、1921年12月1日 - 2010年9月12日)は、日本の実業家。犬の訓練師。財団法人アイメイト協会創設者、理事長を務める。 塩屋賢一は「盲導犬の父」と呼ばれる。目の不自由な人に役立つ犬をつくり出す仕事が盲導犬をつくる仕事である。 塩屋が出場していた警察犬訓練試験競技会の審査委員長は相馬安雄。芸術家、文化人が集まるサロンを開いていた東京・新宿にあるレストラン『中村屋』の二代目社長だ。相馬安雄の勧めで、塩屋は犬の訓練士となるが、盲導犬をつくり出

          「名言との対話」9月12日。塩屋賢一「犬を道楽のために訓練するのではなく、人の役に立てるために訓練したい」

          「名言との対話」9月11日。加藤九祚「人生に、もう遅いはありません。老いは免れませんが、好奇心は抑えられなかった」

          加藤 九祚(かとう きゅうそ、1922年5月18日 - 2016年9月11日)は、人類学者。享年94。 韓国生まれ。10歳で来日し韓国姓の李を加藤に改名する。工業学校を経て鉄工所に入社。上智大学予科を仮卒業し入隊に満州へ。1945年ソ連軍の捕虜となり、5年間を過ごす。上智大学に復学し卒業し、1951年平凡社に入社。1971年退社し念願のシルクロードの旅にでる。1975年に国立民族学博物館教授に就任し、ソ連とモンゴルの民族学標本収集と研究に従事する。1985年の定年退官後は相愛

          「名言との対話」9月11日。加藤九祚「人生に、もう遅いはありません。老いは免れませんが、好奇心は抑えられなかった」

          「名言との対話」9月11日。加藤九祚「人生に、もう遅いはありません。老いは免れませんが、好奇心は抑えられなかった」加藤 九祚(かとう きゅうそ、1922年5月18日 - 2016年9月11日)は、人類学者。享年94。

          韓国生まれ。10歳で来日し韓国姓の李を加藤に改名する。工業学校を経て鉄工所に入社。上智大学予科を仮卒業し入隊に満州へ。1945年ソ連軍の捕虜となり、5年間を過ごす。上智大学に復学し卒業し、1951年平凡社に入社。1971年退社し念願のシルクロードの旅にでる。1975年に国立民族学博物館教授に就任し、ソ連とモンゴルの民族学標本収集と研究に従事する。1985年の定年退官後は相愛大学、次いで創価大学教授としてシルクロード研究センター長をつとめる。退職後にウズベキスタンのテルメズ郊外

          「名言との対話」9月11日。加藤九祚「人生に、もう遅いはありません。老いは免れませんが、好奇心は抑えられなかった」加藤 九祚(かとう きゅうそ、1922年5月18日 - 2016年9月11日)は、人類学者。享年94。

          「名言との対話」9月10日。望月良晃「寅さんは、菩薩です」

          望月良晃(?- 2014年9月10日)は、柴又帝釈天題経寺住職。享年82。 東京都出身。大乗仏教経典の研究者で、『法華経を読みとく』『大乗涅槃経入門ーーブッダ最後の教え』『庶民仏教と法華信仰』などの著作がある。 人気映画『男はつらいよ』のフーテンの寅こと、車寅次郎が頭が上がらない「午前様」のモデルである。御前さまを演じた笠智衆は実生活では熊本の浄土真宗の寺に生まれながら継がなかったのだが、第1作からずっと柴又帝釈天の住職「御前さま」として毎回出演していい味を出している。

          「名言との対話」9月10日。望月良晃「寅さんは、菩薩です」

          「名言との対話」9月9日。加藤紘一「国会で、今生きている老若男女の日本人の“幸福観”を議論したらどうだろうか」

          加藤 紘一(かとう こういち、1939年(昭和14年)6月17日 ‐ 2016年(平成28年)9月9日)は、日本の外務官僚、政治家。享年77。 名古屋で生まれ、山形県鶴岡市で育ち、東京へ。日比谷高校を卒業。東大理科一類不合格。翌年文科一類合格。法学部政治コースを卒業、外交官試験に不合格。公法コースに学士入学・卒業し外務省に入省。中国語を選択、日中関係をライフワークにしようと決意する。 池田勇人、前尾繁三郎、大平正芳、鈴木善幸、宮澤喜一、加藤紘一と続く、保守本流の名門派閥・

          「名言との対話」9月9日。加藤紘一「国会で、今生きている老若男女の日本人の“幸福観”を議論したらどうだろうか」

          「名言との対話」9月8日。水上勉「西方浄土などはなくて、永遠にここは地獄である。それなら、地獄の泥を吸って滋養となし、私は長生きしたい」

          水上 勉(みずかみ つとむ、みなかみ つとむ、1919年(大正8年)3月8日 - 2004年(平成16年)9月8日)は、福井県出身の小説家。享年85。 水上勉『冬日の道・わが六道の闇夜』を読了した。ある編集者が「文壇へわらじ履きで登場してきた観がある」といったそうだ。中学をやっと出た後、多くの職業遍歴を重ねている。日本農林新聞、報知新聞、学芸社、三笠書房、日本電気協会、小学校助教、虹書房を起業、文潮社、日本繊維新聞、東京服飾新聞、洋服行商人。、、、 自伝の後半の「わが六道

          「名言との対話」9月8日。水上勉「西方浄土などはなくて、永遠にここは地獄である。それなら、地獄の泥を吸って滋養となし、私は長生きしたい」

          「名言との対話」9月7日。色川大吉「同時代史は、、、めいめいが『自分史』として書かねばならないものだとおもう」

          色川 大吉(いろかわ だいきち、1925年〈大正14年〉7月23日 - 2021年〈令和3年〉9月7日)は、日本の歴史家。 享年96。 旧制第二高等学校から東京帝大文学部に入学。学徒出陣。復員後、1948年に卒業。東京経済大学の講師を経て、1967年教授。亡くなる前日、親友で色川を介護していた上野千鶴子が、死後の各種手続きをするために婚姻届を提出し、わずか15時間の関係にあったという資料もみつけた。 色川は1968年に多摩史研究会を結成し、市民の手による地域史研究の先駆と

          「名言との対話」9月7日。色川大吉「同時代史は、、、めいめいが『自分史』として書かねばならないものだとおもう」