「名言との対話」4月19日。椎名武雄「日本アイ・ビー・エムの玄関に星条旗を掲げちゃだめなんだよ」
椎名 武雄(しいな たけお、1929年5月11日 - 2023年4月19日)は、経営者。享年93。
日本アイ・ビー・エム株式会社社長、会長。経済同友会終身幹事。社会経済生産性本部副会長。社団法人企業研究会会長。財団法人慶応工学会理事長。慶應義塾評議員・理事。慶應義塾理工学部同窓会募金委員会名誉会長。 2000年11月 勲一等瑞宝章受章。
アメリカのバックネル大留学後、日本IBMに入社。45歳で日本IBMの社長に就任したのは1975年で、1992年まで17年間の長きにわたり同社を率いた。1989〜1993年は米IBMの副社長も兼務している。1992年に会長に就任して以降は経団連や経済同友会の要職に就き、IT戦略会議メンバーなども務めることで、日本における外資系企業の地位を向上させたことから「ミスター外資」との異名も取る。
椎名武雄『外資と生きる IBMとの半世紀』(日経ビジネス人文庫)を読んだ。
10年がかりで朝日新聞と日本経済新聞のコンピュータシステムを開発したエピソードが印象に残る。米IBMの開発担当者はアポロ計画を担当した精鋭部隊だったが、「アポロ計画のシステムより難しかった」と漏らしたほどの難事業だった。日本語の新聞記事には「書き出しは1字下げる」などこまかな約束事が3000もあった。その約束事を盛り込むとソフトのサイズが膨れ上がり、コンピュータの処理能力が追いつかない。ようやく1971年からコンピュター紙面がだんだんできあがっていき今の姿になった。
新聞のコンピュータ化のプロセスで親しくなった日経の円城寺次郎は「椎名君、日経は新聞も出している会社にしたいんだよ」と言った。日経はデジタル化に果敢に挑戦しつづけている。
ゴルフクラブには正会員、平日会員、ビジターという3種類がある。ビジターはプレー料金は高いし、キャディーさんの態度もどことなく違う。せめて平日会員になろうじゃないか。これは1975年に社長に就任したころの発言だ。売上高2千億円、社員数1万人の日本IBMは63歳で48歳の北城恪太郎に社長を譲ったときには、1兆円企業になっていた。「日本IBM中興の祖」と呼ばれている。
日本とのつながりを築くために考えだしたのが、1970年から始めた「天城会議」だ。毎年財界、学界などの有力者が集まって議論する場である。天城会議を育ててく人として、ソニーの盛田昭夫と野田一夫を挙げている。
1994年に政府の高度情報通信社会推進本部の有識者会議の委員になっている。情報化の推進には縦割り行政ではダメで内閣が全体を統括して欲しい。高度情報化社会の推進にはそれを阻害する制度等を廃止・変更して欲しいと主張している。2020年から始まったコロナ下であらわになった政府のデジタル化の恐るべきお粗末さを目にすると、椎名武雄のアドバイスを実行しなかったことは明らかであり残念だ。この点は「デジタル庁」をつくったことで簡単に解決するような課題ではないと思う。工業時代から情報産業時代への転換に向けて政府全体、国家全体が総力をあげて立ち向かうべきテーマなのだ。
「お客様に鍛えられて人材というのは強く育っていく」「”Glorious discontent.” 誰にでも不平や不満はある。だけど、それをそのまま終わらせてはいけない。不平や不満があるならば、それをなくすよう物事を改善しなければならない」「これからは日本人が世界でトップになる。さもなければ、日本は本当に沈んじゃうよ」「何もせずに社長室に座っていると、悪い話は入ってこない。そうなると、経営判断を間違ったり、遅くなったりする。経営者は現場を歩き、積極的に生の情報を集めなければならない」。
椎名武雄と私の縁を思い出してみる。
・1991年前後だったか、JAL時代に日本IBMの椎名社長に社内報のインタビュ−をしたことがある。
・2004年、宮城大学初代学長の野田一夫先生とカナダ大使館地下のシティ・クラブ・オブ・トーキョーで夕食を摂った。先生はあいかわらずステーキで、ギリシャへの船旅にいく話をしていた。このとき、野田先生の親友の日本IBMの椎名武雄最高顧問が現れて私もご挨拶した。二人は「タケオ」「カズオ」と呼び合う仲だった。
・2008年。 「草柳文恵さんを偲ぶ会」で私の隣の寺島実郎さんが帰った後の席は、遅れてきたIBMの椎名武雄さんが座って、陽気楽しい会話が続いた。挨拶では「文恵さんはもの静か、もの憂げな美女だった」と印象を語った。
「日本アイ・ビー・エムの玄関に星条旗を掲げちゃだめなんだよ」は、1993年1月に北城恪太郎氏に社長を引き継ぐことを発表した直後のインタビューで発せられた言葉である。椎名は「常にアメリカ本社と戦ってきた」と語り、本社に対しては日本の商習慣を理解させる苦労をする。また「外資は悪だ」という日本の抜きがたい見方を払しょくするにも苦労する。その両面を端的にあらわす言葉が「星条旗」をめぐる冒頭の言葉である。
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