ゲームに罪はない!ゲーマー保護者として、香川県のゲーム条例に対して思うこと
こんにちは、水無瀬あずさです。
少し前の話ですが、noteの「今日のあなたに」にたまたま出てきた記事が目についたので、読みました。
香川県のいわゆる「ゲーム条例」がどうやって成立したかを現地放送局の現役ジャーナリストが追ったルポルタージュ本を紹介する内容でした。
ゲーム条例、一時期話題になったものの、時間が過ぎてしまえば「あぁ、そんなのあったなあ」程度の認識になっている、アレですね。「バカなことする県があるもんだ」と冷ややかに見ていましたが、子どものころからゲームを愛する現役ゲーマーとして、そしてゲーム好きの子を持つ親としては条例それ自体が許しがたいものであり、とにかく気になるトピックではあります。ということで、発売したばかりの5/4にAmazonでポチしました。
本当はゴールデンウィークに読む予定だったのですが、積読本を片付けている間に時間がなくなってしまい、昨日ようやく読みました。
読後の感想としては、「他県のことだし関係ねえや」と思っていたけど、意外とこういうのって対岸の火事だなってこと。地方議会は国会以上に注目度が低いので、私も含めほとんどの人は、自分の住んでいる自治体の議会でどんなことが話し合われて決められているのかとか、たいして気にしないしチェックもしないですよね。ということは、今回のゲーム条例のようなトンデモ法案を地方の自治体がポロっと作って提出したとして、大したチェックや検証もされないまま可決されてしまう可能性があるってことです。それってすごい怖いことだと思いました。
子どもの成長においてゲームは悪なのか?という疑問は、育児をする親に割と長い間付きまとうものだと思います。私も以前、ゲームと教育に関してnoteに書いたこともあります。
周囲のママ友と話してみても、保護者、とりわけ子どものころゲームをして育ってこなかったママにとって、「ゲーム=悪」という感覚に陥りやすいのが現実みたいです。だからって条例でゲーム時間を決めるのは違うと思うし、ゲームを愛する者として、それを許容してしまう社会も許せない。そこで今回は、この本を読んで、ゲーム条例の何が問題なのか、子どもとゲームはどう付き合うべきなのか、私なりに考えをまとめてみようと思いました。今回は真面目なお話。よろしくお付き合いください。
香川県のゲーム条例とは
悪名高い「ゲーム条例」は、正式名称が「ネット・ゲーム依存症対策条例」と言います。条例によると、「本県の子どもたちをはじめ、県民をネット・ゲーム依存症から守るための対策を総合的に推進する」ことが目的であるとし、ここでいう子どもとは「18歳未満の者」を指します。この条例でとくに物議を醸した箇所を以下に引用してみます。(県から公表されているドキュメントがPDFであるんですが、紙をそのままドキュメント化したらしく、コピペできないクソ仕様です。誤字脱字があったらすみません。むしろわざとなのか?)
「乳幼児期の子どもにネット・ゲームをやらせる保護者は、子どもと向き合うことを大切にしていない」と受け取られかねない文面。ていうかこれって条例で規定することなの?
世界中で注目されてこれからも盛り上がるとみられているeスポーツですが、依存症の危険性があるから推進しちゃダメなんですって。。
一番問題とされている部分ですね。「ゲームは1日60分まで」とか正気の沙汰でない内容の条例を見て、「高橋名人じゃないんだから」と多くの人がツッコミを入れたはず。スマホの使用を午後10時までに限定されてしまうため、塾やバイトで帰りが遅いのにスマホを見れないと嘆く高校生の声が本では紹介されていました。
特に指摘されている問題点は、大きく分けていかになるかと思います。
60分・90分という時間制限に科学的根拠がない
スマホやゲーム利用という家庭内の問題へ行政が介入することの是非
子どもの学習や教育の機会や個人の自由を奪う恐れがある
eスポーツの発展を妨げる恐れがある
憲法や子どもの権利条約に反する恐れがある
「ルポゲーム条例」によると、成立前の素案はもっと語気が強かったものの、たとえば「子どものスマートフォン使用等の制限」としていたものを「子どものスマートフォン等の使用等の家庭におけるルールづくり」に変更するなど、世間の批判や意見を受けて一部修正され、今の形になった経緯が詳しく書かれています。今回はジャーナリストや各方面の皆さんが条例そのものや成立過程に違和感を覚えて動いてくれたことで可視化されましたが、もしそれがなかったら、多くの人がたいして知ることもなくシレッと成立していたことになります。これ監視の目が無かったらもっとやばかったはず。
ちなみに、本条例に罰則規定などはありません。そもそもこれって家庭の問題だし、仮に破っていたとしても県が介入できないよね。
「ルポゲーム条例」で感じたこと
私が「ルポゲーム条例」を読んで、ゲームを愛する一人の大人として、子どもを育てる保護者として感じたことをまとめてみます。
ゲームが権威誇示の道具にされただけ
WHOは2019年5月25日、「ゲーム障害(Gaming Disorder)」を国際疾病として正式に認定しました。厚生労働省によると、以下に該当するのがゲーム障害とのこと。
国も少しずつ対策に乗り出しているようですが、具体的な政策などはない状態。そこで、「全国で先駆けてわが県で条例を制定したい!」と考えた香川県議会の一部の議員が担ぎ出したのが、ゲーム条例だったということのようです。ゲーム条例のニュースを見たとき私は「香川県ってゲーム依存症の人が多いのか~」と勝手に解釈していましたが、別にそういうことではないらしい。全国初!が大事だったんだね。
実際には、当選時から「ネット・ゲーム依存」の問題に取り組んできた一議員がいて、その人が議長になり、自分の在任中にどうしても成立させたい法律としてやり玉に挙げられたのが「ゲーム条例」だったと本には書かれていました。おそらくこの議員さんが別の問題に取り組んでいたら、全然違う条例が出来ていたんだろう。本当にたまたまのタイミングで、ゲームが悪者に見立てられたという印象を受けました。ゆるすまじ!
根本の思想が「ゲーム=悪」
ゲームに限らず、アルコールだってタバコだってやりすぎたら身体を悪くします。それって別に普通のことでは?啓蒙活動は必要だと思うんですけど、なぜゲームだけがこうも悪いものとして扱われるんでしょうか。
ゲーム条例が成立した背景には、推進していた議員のそもそもの思想として「ゲーム=悪」という感覚を持っていたことにあります。私、本でこの部分を読んでいて怒りで震えそうになったのですが、以下のようなことを定例議会で言っているそうです。
ゲームを愛する少年少女、紳士淑女の皆さん!こんなこと言われて許せます?許せませんよね私は許せない。こんな偏った考え方から端を発していれば、そりゃあんな条例できるわと思い、ある意味納得でした。てか麻薬は持っているだけで犯罪なんですがそれは。最初から最後までゲームが悪者って考え方しかないので、結論ありきの条例は議論もスカスカ、修正過程もうやむやなブラックボックス状態になって、結果がアレというわけです。実にお粗末ですね。
私たちの親世代はとくに「ゲーム、マンガは悪」という考え方が色濃いので、議員のおじいちゃんのなかにそういう考えを持った人がいるのはある程度理解できます。でも、現代の子どもたちはゲームもマンガも当たり前のように取り入れられた教育カリキュラムの中で育っているわけであって、それを一概に悪と見なすこと自体が悪手でナンセンスです。時代遅れです!!実際に規制される立場の子どもたちのことがあまりにも見えていないことに愕然とします。
家庭内の努力義務に意味はない
努力義務と言えば、最近では自転車のヘルメット着用が新しい話題ですね。
ヘルメット着用で自転車に乗るのと着用しないのとだと致死率が2.1倍も違うことから、全ての自転車利用者について乗車用ヘルメットの着用が努力義務になりました。エコ意識の高まりから自転車利用者が増え、事故が頻発するなかで、命を守るために必要と判断された形です。義務じゃなくて、着用しなくても罰則などがない努力義務にしたのは、着用できない人に配慮したからなのかな?それともいちいち罰則を適用していたら警察が大変だから??
ゲーム条例も、破ったからと言って罰則がないので努力義務と言えますね。ヘルメットの努力義務と同じ・・・じゃないだろうが!と思うわけです。重要度が違う。確かにゲーム依存で命の危険にさらされてしまう人も一定数はいるのでしょうが、交通事故と同じでは決してないと思うんです。だとすると、この条例、要る?ってなりますね。ただのお気持ち表明では。
ゲーム条例における使用時間については、「子どものスマートフォン利用に対するルール作りの基準として示したもの」ということですが、だからそれ、条例として要る??条例を破っていても、外から「あいつ破ってる!」って罰金を科せられるわけでもないのに、はたして罰則もなく拘束力もないものを、わざわざ条例にする意味があったのでしょうか。県や教育委員会から啓発資料として出したり、キャンペーンを張るとか、やり方はあったはず。
押し付けはかえって反発を招く
家庭内で子どもとスマホやゲームについてのルールを決める際に、最も大雪なのは「お互いが納得して決める」ことです。親が頭ごなしに決めたルールを押し付けるだけでは、かえって反発を招いてしまいます。「ゲームは1日60分まで」と言われても、はいそうですかって納得できる子どもは少ないでしょう。
私は子どものころ、ファミコンはあるけど母に禁止され、思うようにゲームをプレイできませんでした。社会人になり親元を離れ一人暮らしをしてから改めてゲームにハマり、それはもう楽しくて楽しくて、寝る間を惜しんでプレイしたものです。仕事から帰ったらコンビニ弁当を食べながらゲームをして、夜通しプレイして朝5時半から1時間だけ仮眠を取って仕事に行く、みたいな生活をしていたこともあります。あの頃は若かったからこそ何とかなりましたが、思えばあれほどゲームにドはまりしたのは、仕事のストレスの影響と、子どものころ抑圧されていたことへの反動に他なりません。抑圧が強ければ強いほど、親という枷が外れたときの反発はすごいってことだと思います。
「ゲーミフィケーション」の可能性
ゲームは教育に悪いと制限する条例がある一方で、教育にゲームを積極に取り入れていこうとする動きもあります。それが、ゲーミフィケーションと呼ばれるもの。ゲーム+教育(education)を組み合わせた造語です。
もともとゲームとは、「他者との会話のためのツール」として始まりました。オーストリアの哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインが、「言語はそれ単体では意味が確定するものではなく、私たちは日常の中で言葉をゲームのようにやり取りする中で、その意味を確定していく」(引用:エコノミストOnline)という言語の概念をたとえて「言語ゲーム」と定義したと言われています。現在はボードゲームやカードゲーム、パソコンやスマホでやるものなどに多様化しましたが、そもそもゲームは有益なコミュニケーションツールであるはずのものなのです。
同時にゲームは、子どもの学ぶ意欲や興味を掻き立てるものでもあります。授業をゲーム化するだけで、みるみるやる気になってのめり込んでいける。うまく学習に活用することによって、継続的に楽しく学ぶ環境を作ることは可能なはずなんです。実際、通信教材の「スタディサプリ」や「スマイルゼミ」、進研ゼミの「チャレンジタッチ」などは、それぞれが工夫してゲーミフィケーションが取り入れられています。有名な「Minecraft(マイクラ)」も、プログラミング要素を取り入れたゲーミフィケーションの一種ですね。
ゲーミフィケーションのような取り組みを学校や教育現場で積極的に取り入れることで、ゲームは教育における悪者ではなくなります。こういう取り組みが今後もっともっと増えていけば、ゲーム条例によってゲームに塗られた「悪」のレッテルを払しょくできるはず。
ゲームのなかにはもちろん依存症を引き起こすものもあるかもしれませんが、それだって別にゲームそのものが悪いわけではないんですよ。ゲーム条例は、ゲームを作った人、そしてそれを愛する人双方を傷つける条例にほかなりません。ゲームを日常生活や教育現場で活用して「悪者」にしないうまい方法を、香川県だけでなくすべての大人が模索していく段階にきているんじゃないかと思いました。
結び
香川県のゲーム条例の本から、いろいろと考えたことを書き連ねてみました。ゲーム条例については、ニュースで見ただけで全然内容を知らなかったのですが、本をきっかけに改めて条文を読んで整理できて良かったです。条例の内容はともかくとして、多くの人が「ゲームと教育の在り方やかかわり方」について真剣に考える機会になったという意味で、ゲーム条例というものにも一定の意義があったのかもしれません。皮肉なことですが。
条例には「2年ごとの見直し条項」が定められていますが、効果が出ていないことを理由に継続することが決まっているようです。「ルポゲーム条例」を引用する形で言いたいですが、「条例ができたら終わり、ではない」ですよね。条例が制定されたことでどのような変化があり、変化がなかったかを第三者的にしっかり検証して、必要に応じて修正を加えていってほしいと思います。時間制限や言い回しなどに問題はありつつ、見直して時代やニーズに応じた内容にしていくことで、これはこれでいい条例になっていくんじゃないの?と思ったり思わなかったりです。
ゲーム好きの子を持つ保護者としては、条例があってもなくても、親子でしっかりと話し合ってルールを決めていくこと以外にできることはなさそうです。ゲームを壊す、隠すのではなく、ゲームがあっても納得できるルール作りをして、みんなが楽しくゲームと関わっていける社会になって欲しいと心から思います。ゲームはみんなを幸せにしてくれるものだから。
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