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【社会】拡大する格差から今後を考える~自分はちょっとした貧困だと思う~

始めに

自分のことを「ちょっとした貧困」ではないかと思うようになったのは最近のことです。格差や貧困というと、自分とは関係のないことだと感じていましたが、どうやら自分もまあまあ貧困ではないのなかと思うようになりました。一体全体どういうことであるのか、少し考えてみようと思います。

貧困とは

貧困には「絶対的貧困」と「相対的貧困」の2つがあることは、noteユーザーの方であれば、きっと理解している方が多いのではないでしょうか。主として日本においては「相対的貧困」の方が近年クローズアップされることが多くなりました。アフリカなどように食べ物もない、また住環境なども劣悪で、社会インフラなども整っていないような環境のことを「絶対的貧困」といいます。もちろんもっと数値的なことも含まれます。例えば乳幼児の致死率なども総じて「絶対的貧困」にある環境の方が高い現状があります。

一方で「相対的貧困」とは、絶対的貧困とまでは云わないまでも、食べ物に困ったり、行政的なところで言えば、住民税非課税世帯ということになります。生活保護などを受けている人もこれに当たるでしょう。特に日本においては子供の7人に1人が相対的貧困と言われるようになり、その現状が一気に社会問題として顕在化してきました。それもこの10年以内の話です。しかし、もっとその前から潜在的には発生していたということになります。

格差が潜在化した10年

2010年から2020年の10年間というのは、2000年代からの構造改革などを経て、その悪影響が潜在化した10年であると言ってよいのではないでしょうか。特に、リーマンショックを経て給料がほぼ上がらず、むしろ下がり続ける中での構造改革は非正規労働者が増加をもたらしたと思います。そして、アベノミクスを否定するわけではありませんが、結局のところは株を持っている株主や一部の人の富というのは増加をしたと思います。

その中で岸田内閣が誕生をし「新しい資本主義」という中間層の拡大を目指す経済政策が結果的に選択をされました。全国民が選んだというか、自民党員が選択をして総裁になったわけです。これまでの20年30年とはベクトルが違う方向に進み出したことは間違いのないことだと思います。個人的には成長することはとても重要だと思いますが、気がついてみると「あれ、自分ってちょっとした貧困じゃね?」という感じです。

低賃金と重税化

そもそも「自分ってちょっとした貧困ではないのか」と思うようになったきっかけは、生活が苦しいからです。生きてはいけているものの、車を所有することは出来ません、今の給与で1人暮らしを続けるのは正直辛いところです。

その理由は何かと考えた時、そもそも給料が低いこと。そして税金が重いことが挙げられます。給与は手取りで20万円はいきません。契約社員なので、いつ首を切られてもおかしくありません。また、重税に関していうと、奨学金を借りている関係で、月々の出費が重く、また借金なので所得税の還付金の対象にはならないわけです。今後も税金は軽くはならないと考えると非常に頭が痛くなります。地方都市に住んでいるので、都市圏と比べると給料はもっと低くなります。

終わりに

夢も希望もないというのはこういうことかもしれません。もちろん最低限の生活を送ることは出来ます。しかし、それでもなかな厳しい生活を暫く続けて行くと考えると、段々と思考も乏しくなってしまっているように感じる今日この頃です。住民税非課税世帯にはギリギリ入らないくらいの世帯が一番家計が厳しかったりするというのは、本当のことだと思います。どうにかならないものでしょうか。

「ちょっとした貧困」

結構多いと思いますし、共感する方も多いのではないでしょうか。


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最後までお読みただき誠にありがとうございました。

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もっと輝いている未来の自分を想像しながら、今を生きて行きましょう。

辛いことも苦しいことも、それはきっと成長している証拠。

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