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工業デザインと学際

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工業デザイン、取り分け、機械工学とその自動車産業のエリアは、日本の基幹産業だ。それは、複合的な産業であり、まず、Quality Controlや先端技術開発によるものも大きいだろ…
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#コラム

イサム・ノグチ賞とThe Noguchi Museum

イサム・ノグチ賞とThe Noguchi Museum

イサム・ノグチ賞は、革新性と優れた国際感覚、東西文化交流への貢献など、世界的な彫刻家イサム・ノグチ(Isamu Noguchi)の精神を受け継ぐ芸術家やデザイナーに贈られる。-The Noguchi Museum(2020年、現在については、9/23により、再開される、メンバー予約、ただ、ニューヨーク・・)
その授賞式は、ニューヨークのノグチ美術館(The Noguchi Museum)で行われる

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イサム・ノグチの苦難と成功:第三話 イサム・ノグチの逆境を成功へ

イサム・ノグチの苦難と成功:第三話 イサム・ノグチの逆境を成功へ

第三話 イサム・ノグチの逆境を成功へ
6)プロダクツデザインと庭園アート(ランド・アート)に関わる

戦後の日本で、禅の庭や伝統技術に触れたイサム・ノグチは、作品に東洋的な視点を盛り込んでいる。ニューヨークで、山口淑子(李香蘭/女優・政治家)と、1951年に結婚した。そして、鎌倉の北大路魯山人(1883-1959/画家・陶芸家・料理家等、幅広い作家)の敷地内にアトリエと住まいを構え、陶芸制作にも励

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イサム・ノグチの苦難と成功:第二話 イサム・ノグチの逆境と試練の道

イサム・ノグチの苦難と成功:第二話 イサム・ノグチの逆境と試練の道

第二話 イサム・ノグチの逆境と試練
4)日本の美の再認識

1927年、イサムはグッゲンハイム奨学金を得てパリへ留学する。彫刻の巨匠であるコンスタンティン・ブランクーシ(Constantin Brâncuşi, 1876- 1957/彫刻家-ミニマル・アート)のアシスタントをしながら抽象彫刻を学んだ。

その頃のイサムは、多くの恋愛を経験する・・・・・・       
その後、パリから、アメリカへ

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イサム・ノグチの苦難と成功:第一話 イサム・ノグチの孤独と苦難の連続

イサム・ノグチの苦難と成功:第一話 イサム・ノグチの孤独と苦難の連続

イサム・ノグチの苦難と成功 

第一話 イサム・ノグチの孤独と苦難の連続第二話 イサム・ノグチの逆境と試練の道
第三話 イサム・ノグチの逆境を成功へ

イサム・ノグチ(Isamu Noguchi/野口 勇、1904-1988)
彫刻家、画家、インテリアデザイナー、造園家・作庭家、舞台芸術家等の現代アートに大きな業績を残した日系アメリカ人。
ロサンゼルス(アメリカ合衆国)で、私生児として生まれ、幼少

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ヨゼフ・アルバースの色彩理論を観る

ヨゼフ・アルバースの色彩理論を観る

ヨゼフ・アルバース(ジョゼフ・アルバース/Josef Albers, 1888–1976):美術研究・教育者、画家。
そのヨゼフ・アルバースの作品の核は、色彩だ。
そして、著書「Interaction of Color」1963年は、デザイナーにとって、不可欠であり著名だ。

バウハウスでの理論構成された、その色彩の構成について言えば、まず、ヨハネス・イッテンの色彩論は、アート・デザインの基本だ。

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ヨゼフ・アルバースの色彩構成は現在形だ

ヨゼフ・アルバースの色彩構成は現在形だ

ヨゼフ・アルバース(ヨーゼフ・アルバース/Josef Albers, 1888–1976):美術研究・教育者、画家。
ドイツ(ボトロップ)出身で、後にアメリカに移住した美術家。ヨゼフ・アルバースの作品の核は、色彩だ。
略歴-Josef Albers
1888年、ドイツ(ボトロップ)出身で、後にアメリカに移住した美術家。
バウハウス(Bauhaus)に学び、卒業後は、バウハウスにて教鞭をとる。
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女性評論家ルーシー・リパードは、「アートの非物質化」を分析した

女性評論家ルーシー・リパードは、「アートの非物質化」を分析した

ルーシー・リパード(ルーシー・R・リパード/Lucy R. Lippard、1937- /US)
アメリカのライター、芸術批評家、活動家、キュレーター。リパードはコンセプチュアル・アート(Conceptual art/前衛芸術運動、また、日本語では、概念芸術) での「芸術の非物質化」を分析した、60年代後半の批評家の一人であり、フェミニズム・アート(アートでの女性解放思想)の支持者でもある。

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ダン・フレイヴィンの蛍光管での光の異世界

ダン・フレイヴィンの蛍光管での光の異世界

ダン・フレイヴィン(Dan Flavin, 1933–1996/US)
ミニマルアートのコンセプチュアル・アーティストだ。
ミニマリズム(Minimalism/最小限の表現手法)のパイオニア(主唱者/ミニマリズムを唱える主だった作家だ)の現代アートのアーティスト。
ミニマルアートとして、照明器具(蛍光灯)の独創的なインスタレーションで著名だ。商業用の蛍光灯を異なる幾何学的構成した作品が著名だ。それ

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#2)ロッカーズ (Rockers) 、具体的には

#2)ロッカーズ (Rockers) 、具体的には

ロックンロールに影響を受けたイギリスの若者が、黒の革ジャンに革パンを履いて単気筒エンジン、二気筒エンジンのバイクに乗り、ロッカーの集まりをロッカーズ(Rockers) と称した。対角線上にあるもライフスタイル(カウンターカルチャー)は、モッズだろう。

カウンターカルチャーと呼ぶべきかは、ともかく、ヘルズ・エンジェルス(Hells Angels,1948-/地獄の天使) は、アメリカ合衆国で誕生し

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Mary Quantとスウィンギング・ロンドン

Mary Quantとスウィンギング・ロンドン

マリー・クヮント (Mary Quant,CBE,1934- UK)
スウィンギング・ロンドン(Swinging London)を代表するデザイナーだ。
そして、ファッションブランド「Mary Quant」の名称でもある。
スウィンギング・ロンドンという、カルチャームーブメントを巻き起こしたとも言えるのかも知れない。それは、その少し前のカウンターカルチャー(対抗文化)からの流れだ・・

(c)Ma

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#2)写真家クラレンス・H・ホワイト、時代の先駆者の人間関係と苦悩

#2)写真家クラレンス・H・ホワイト、時代の先駆者の人間関係と苦悩

クラレンス・H・ホワイト(Clarence Hudson White,1871-1925)
アメリカのピクトリアリスムの写真家・写真教育者。そして、フォト・セセッションのメンバーだ。そして、フォト・セセッションは、写真を芸術に引きあげる方向性にあったということだが、その解散の後、その個性の強いメンバー間には、確執もあった場合もあるが、多様な方向性を示唆している。それが、後の文化を支えている。
ピク

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