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あたし論

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インクルーシブな社会のための研究・実践をするなかで、考えたことを整理するために書きます。 ※個人の意見であり所属する組織と関係ありません。
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#インクルージョン

差別的言動をされたときの反応は自分で選んでいい

差別的言動をされたときの反応は自分で選んでいい

これまで差別についていろんな記事を書いてきた。

女性当事者としてジェンダーバイアスに気がついたこと。

特権を自覚していない人へどうアプローチするか。

差別的対応をされたときの闘い方は自分で決めるから闘い方への助言は不要であるということ。

そして自分自身はどうやって闘うのか。

その後、生活をする中で、自分はどんなときにどんな相手にどんな対応をするのか?が結構明確になってきた。かなりこちらの

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多様性を前提とした社会のために自分の特権を自覚せよ

多様性を前提とした社会のために自分の特権を自覚せよ

障害についてもジェンダーについても、いろんな格差についても、学べば学ぶほど、考えれば考えるほど、インクルーシブな社会の遠さに絶望していたのだが、この本を読んで少し希望が生まれてきた。日々絶望と希望を行き来してる。

絶望していた理由としては、結局意思決定権を持っている人たちが格差を認識しそれを是正していく意思決定をしていかなければ社会の構造ってやはり変わらないのでは、と思うから。今回のコロナで

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差別や排除との闘い方を強要しないでくれ

差別や排除との闘い方を強要しないでくれ

「もっと冷静にうまくやればいいのに」「感情的になりすぎて周りが見えなくなっているのでは?」「客観的に、戦略的になった方が良いよ」

いずれも差別や排除と闘っている中で声をかけられたこともある言葉であり、また、声を上げている当事者に向けられる場面をよくみる言葉たちだ。「障害」関係でも、「ジェンダー」関係でも。

私も一時期はそう思っていた。ただ声を上げるだけではなく、実態を変えるために戦略を考える必

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自分が抱くバイアスに気付くのは辛いし苦しいけどなかったことにはしたくない

自分が抱くバイアスに気付くのは辛いし苦しいけどなかったことにはしたくない

「マイノリティであるが故にどうしようもならなかった経験」を持っていないと得られない感覚はおそらくあるんだろうと思う。
ここのポイントは、社会の物差しがどうであろうと、「自分が自分をマイノリティと自覚し、それが理由でどうしようもない、頑張ってもダメだった」という経験を持っていると自分が思うかどうか。世の中や他者がどう思うかはあんまり関係ない。

「マイノリティだけどどうにかなった人」「自分がマイノ

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「障害のある人が生きやすい社会」と「やる気がない人に寛容である社会」は繋がっている

「障害のある人が生きやすい社会」と「やる気がない人に寛容である社会」は繋がっている

昨日はお声かけいただき、Schooさんの生放送授業「僕らの哲学座談会」に出演してきた。テーマは「障害と教育」。

1時間、インターネット上で授業を受講くださっているみなさんのコメントを見ながら問いを設定し、それに対して対話をしていくスタイル。

「障害」や「教育」に初めから関心のある人向けに講演をしたり、お話ししたりすることは多いけれど、より一般の方と広く話す機会はなかなかないため、非常に興味深い

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誰もを包含できる完璧なシステムなんて多分ない、だから作ろうとし続けることをやめない

誰もを包含できる完璧なシステムなんて多分ない、だから作ろうとし続けることをやめない

どんなに素晴らしい仕組みを作ったとしても、そこからこぼれてしまう人は多分いるであろう、という想像力を失いたくない。
自分が想像できる範囲の人たちは限られており、常に想像を超える人たちがいる、という前提。

もちろん、だから新しい仕組みを作ろうとする。既存の仕組みを変えようとする。誰もこぼれないようなシステムにいつかたどり着けるのでは?いつか作れるのではという希望を持ちながら、でも頭のどこかで必ず「

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自分のわがままと他者の尊重は両立できる

自分のわがままと他者の尊重は両立できる

ここ何年かは、人に対して「わがままだ」「やる気がない」と全く思わなくなった。というか、その言葉をもって人を弾糾することの無意味さを知ったから使う必要がなくなった。 マジックワードだと思う。都合が良い言葉。

人間はわがままなものだし、やる気がない時もある。やりたくない時はやる気でないよ。機嫌が悪い時もあるし、めいわくだって超かける。結構弱いものだし、間違うことなんてしょっちゅう。

だいたい、何か

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「障害受容」という言葉の身勝手さ

「障害受容」という言葉の身勝手さ

今日は仕事にて専門家の方々とディスカッションをする会。多方面からアドバイスをくださる方々がいることがものすごく心強い。「中」にいるとその中でしか考えられなくなるから、定期的に「外」から違和感を言ってもらえることは超大事。対等に、よりよくするための議論を、まっすぐできる、そういう関係性はわたしをいつも救う。

終了後にお茶をしている時に、「障害受容」という言葉の身勝手さについて話した。
思い出し

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自分に寛容であれると相手にも寛容になれるのではないか説  #グッドドクター

自分に寛容であれると相手にも寛容になれるのではないか説  #グッドドクター

今夜はグッドドクターを視聴。

医師たちの態度に思うことがあり、記しておく。

山崎賢人演じる自閉症スペクトラムの医師が主人公のドラマなのだけど、周りの医師たちが「お前には医者は無理だ」という態度で接する。

みな小児科医であるにもかかわらず、だ。小児科医であれば自閉症のことも学んでいるはず。

なぜ?

この現象は実際にもよく起こっている。私もよく見る。

「支援の対象」であれば、寛容に理解を示

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無自覚な「条件付き」の「多様性の尊重」「インクルージョンの推進」への違和感

無自覚な「条件付き」の「多様性の尊重」「インクルージョンの推進」への違和感

「差別はよくない」「インクルージョンを目指すべき」と言葉で言うことはできるけれど、それを体現していくことはとても難しい。

よくあるのは、「インクルーシブな社会を作りたいけれど、一緒に働くのは難しい」や、「うちの子を差別して欲しくないし、差別はよくない。でもあの子はこのクラスにいるべきではない」といったケース。

not in my backyardというらしい。

「好きにならなくてもいいから、

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自分が信じて行動してきたことは自分を裏切らない

自分が信じて行動してきたことは自分を裏切らない

今日は会社の人に「歩んできたキャリアについて話してほしい」と言われたので、こちらで話してきました。

持ち時間30分じゃ足りなかったので、こちらでも書こうと思います。
ちょうど節目の立ち止まり期間を経て、次のフェーズに向けて動き出したので、ちょうど良い。

10代のころの話、この分野に没頭し始めたきっかけはさまざまな媒体に書いてあるので、こちらをご参照いただければ。

この10数年、特に22歳から

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「支援」の正解はなにか

「支援」の正解はなにか

「障害」のある方や、子どもに日々関わっている中で、その子にとって、その人にとって何が良い支援か?を考え続けてきた。様々な支援方法、教育方法も学んできた。その中で私は、その子にとって、その人にとって、その家族にとって、何が「正解」かは、一緒に模索していくことでしかわからないことを学んだ。

間違いがあるとしたら、それは「勝手に正解を決めること」。「正しさ」の定義をせずに、「こっちが正しいのですよ」と

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新学期を迎える全ての先生方に伝えたい、多様な子どもたちのこと

新学期を迎える全ての先生方に伝えたい、多様な子どもたちのこと

学校という場所には、社会と同じように、本当に多様な子どもたちがいる。
自分がこれまで出会ったような子どももいるし、そうでない、初めて出会うような子どももいる。

想定外の行動をする子どもを、まわりの先生はは「あの子は特別支援対象だから」「あの子は発達障害だから」という風にラベルをつけるかもしれない。
でも、だからといって「自分には教えられない子ども」と思わないでほしい。同じように、外国から来た子も

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凌駕する「安心感」と「好き」に出会えた時不安の支配から解放される

凌駕する「安心感」と「好き」に出会えた時不安の支配から解放される

小さい頃から不安に支配されて生きてきたような気がする。

嫌われる不安、失敗する不安、負ける不安、裏切られる不安、不確実性への不安、死ぬ不安。
とにかくこの不安を回避しようと人の顔色を伺うことを怠らなかったし、なるべく見通しや言葉で説明して自分を安心させるための情報収集に励んだし、完璧にできるように努力と練習を積み重ねた。負けそうなときは必死に攻撃をした。

今でも私の中で不安の占める割合は多く、

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