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#吉田篤弘
美しき、百“希”夜行(夜天/女王蜂)
今、『先が見える人』と『先が見えない人』は、どちらの方が多いんだろう。
終わりが見えないなんちゃらウイルスに、もしかしたら明日起こるかもしれない震災に。
行きたい場所へ、行けない。
誰かに会いたいのに、会えない。
ピリピリした現実。
あっちを向いても、こっちを向いても、一寸先は闇。
自分のこともそうだけど、自分が好きな人達も。
たとえば、好きなミュージシャンのこと。
僕の大好きなバ
十八歳の彼が一五〇〇円でやりくりしていたものを、検討してみる。
煙草をひと箱。
ホットドッグを一本。
文庫を一冊。
コーヒーを二杯。
それから、三本立ての安映画。
――吉田篤弘『フィンガーボウルの話のつづき』p172より引用
このすべてを携えて、一日を過ごしてみたいと思った。
でも、おおよそ無縁なものが二つか三つあるので、むずかしいな、とも思った。
「煙草をひと箱。」
煙草を吸ったことはない。
煙が苦手。副流煙と主流煙は、別物だと思うけど。それに、
知らない、知らない(なにごともなく、晴天。/吉田篤弘)
まずいコーヒーのことなら、いくらでも話していられる。
――本文より引用
で、始まる小説を、まさしくまずいコーヒーをすすりながら再読していた。「まずいコーヒー」は、どこかの誰かを悪く言っているわけじゃなく、いや、どこかの誰かではあるのか。他ならぬ自分自身。
焙煎に失敗した豆を、試飲していた。まずいというか、クセがひどいというか。とにかく、飲み進めることができない。そういえば、同氏の小説には、「
『チョコレート・ガール』との攻防(チョコレート・ガール探偵譚/吉田 篤弘)
これは特筆すべきことである。チョコレートの向こうにはかならず物語があった。
――本文より引用
『チョコレート・ガール探偵譚』は、『チョコレート・ガール』という、現存していないフィルムの軌跡を辿っていく話だ。
(ちなみに件の映画は、昭和7年上映のサイレント映画で、フィルムは焼失している。)
吉田篤弘氏は、『チョコレート・ガール』という文字列に惹かれたというが、僕もその一人である。
なぜなら
パートナーに、肩書きを付けてみよう(じつは、わたくしこういうものです/クラフト・エヴィング商會)
某月某日。
某書店にて。
クラフト・エヴィング商會『じつは、わたくしこういうものです』を片手に。
僕「太郎さん(パートナー)にも、なにか肩書きを付けよう」
太郎「おお」
僕「(じろじろ)」
太「(めっちゃ見られてる)」
僕「”犬小屋修繕士”とか、どうだろう」
太「ボクと犬……何の関わりもないのでは……いや、とりあえず聞こう」
僕「話が早くて助かる。太郎さん、スヌーピー好きじゃん」
それはそれとして、(月とコーヒー/吉田 篤弘)
『月とコーヒー』
読み終えたのは、9月。
ただし、1年前の。
1年後に、ボクは本の記憶をそっと取り出し、ここに書いている。
月は、9月がよく似合う。コーヒーも、涼しくなった季節によく似合う。つまるところ、頃合いなのだ。
*
記憶は、2種類ある。
一つは、何度でも思い出したくなるもの。もう一つは、年に一度会うことが出来たなら幸いのもの。
前者は、身に覚えがある人も多いだろう。しかし、
もう、ほとんど終えてしまった僕だけど(おるもすと/吉田篤弘)
もうほとんど何もかも終えてしまったんじゃないかと僕は思う。(中略)どうしてかと云うと、次にすることを思いつかないからだ。
――「おるもすと」p7より
僕は、自分の人生が、「これからはもう、余生なんだな」と思っている。
僕はまだ(もしくは、もう)20代で、「人生はまだこれからだろう」と云われてしまう年齢だから、今が余生だなんて、パートナー以外の人に云ったことはない。でも、自分ではそう思っている