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BFD3:破壊力のあるロック系ドラムの音作り
ブログでも紹介していますがPASSではなく単品記事としてやり方をこちらでもまとめておきます
僕の楽曲でも実際にこの音作りでドラムの音を作っています
スネアの抜けと重厚感のあるキックになり全体もパワーのある質感になるのでロック系の楽曲にベストマッチします
MIXで頑張っても突き抜けるような抜けと破壊力が出ないとお困りの方のお力になれると嬉しいです
今回はスネアとキック、ドラムBussトラック
SEE THE SUNに込める想い
夏になると毎日のように行った遊び場僕が18歳~22歳ぐらいの頃、今からちょうど10~12年ぐらい前の話
当時僕は大学生でバンドもやっていてライブハウスとスタジオに通い、大学の授業以外は音楽に塗れた生活をしていた。
そしてライブハウス以外にもう一つ、夏になったら毎日のように行く遊び場があった。
それは地元の海だった。
そこにはアメリカンなバーがあってライブができるステージやDJが楽しめるター
劇的にMIX沼にハマりにくくなるある一つのルール
こんにちは
久しぶりにnoteを書いてみようと思います。今回のnoteはDTMerにとって永遠の課題であるMIXについての内容です。
特にDTM歴1~3年目の方は曲を作る度にMIXで頭を悩まされているのではないでしょうか?
僕もDTMを始めた頃は本当に悩まされた作業です。特に明確な正解が無い作業ですから尚更悩みが尽きないと思います。
ということでこのnoteではMIXのレッスンで実際に生徒さんに
ブログで3万PVを達成!僕が工夫してきたことまとめ
ブログを5年続けてみてやっと3万PVを達成しました。
DTMというジャンルでブログを書いていますがDTMはめちゃくちゃニッチなジャンルなのでなかなか簡単に1日1000PVの壁を超えられませんでした。
いつか3万PVを達成できたら良いなぁと思っていましたがまさか本当に達成できる日がくるとは…。ここまで色々な試行錯誤を繰り返してきました。
過去記事で月間1万PVをとりあえず突破するためにはやってき
現代のSNSは発信が逆に手軽では無くなった?
ここ最近のSNSに感じている一つの違和感がある。特にコロナ騒動が起きてからその違和感が増してしまったのだが
現代のSNSは発信のハードルが上がってしまったのでないか?ということ
個々の発信の方向性が無差別にSNSにぶち込まれることSNS上でのコミュニケーションが成り立たなくなってきているのではないかと思っている。
アカウント同士の間違った方向への解釈により炎上騒動というのも日常茶飯事になってい
時代の流れなのだろうけどSNSが今までの在り方とかなり変わってしまい、コミュニーケーションを取る距離感に困惑する。色んな思想が無差別に混ざり合っているので発信が逆に手軽では無くなってしまった。
好きなことで稼ぐための考え方と成長し続けるために必要なもの
僕の周りにも音楽でマネタイズすることを始めた人が少しずつ増えてきた。僕自身も音楽でマネタイズを始めて3年が経たった。
今では音楽のマネタイズだけで生活ができるようになったから僕なりに大事だと感じていることをまとめておこうと思う。
●学校的価値観を取っ払う必要性マネタイズする際に必要になってくるマインドと捨てなければならないマインドがあると僕は感じている。
まず捨てなければならないマインドから説明
素直に生きるための冷静さと冷徹さ
ここ最近では「毎日が楽しい」このように感じることが増えてきた。
そう感じれるようになってきたのは素直に生きることを意識するようになってきたからだと思う。
noteでも何度か書いてきているけども去年の11月にサラリーマンという生き方を辞めてみた。
単純につまらないという気分の方が大きくなってきたのと何度か20代で転職を繰り返してみた結果。サラリーマンの生き方が自分には合わないと確信したからだ。
(詳
DTMで月1万円以上の副収入を得るために僕がしてきたこと
働き方改革によって、副業を始める人も増えてきたかと思います。
私は音楽で稼ぐことを考え始めて今ではマルチタスクですが音楽で生活ができています。
サラリーマン時代はDTMによる副収入で最高で月20万円の収益を上げたことがあります。今、最も音楽で収入を得るための近道はDTMだと確信しています。
音楽業界的のトレンドでもあるDTMは技術の進化が凄まじく早く、ソフトウェアのアップデートも新製品のリリースも
25歳を超えてからも音楽を続けるために必要なこと
去年からバンドレコーディングを始めたのもあって最近、ライブハウスに行くことがまた増えてきました。
僕が現役バンドマンだった頃、一時期は週4くらいのペースでライブハウスに通っていました。その頃のバンド仲間たちは今となっては数える程度に減ってしまい、寂しく感じることがあります。
真剣に頑張っていた人ほどバンドどころか楽器を辞めてしまった人たちが多くいました。
僕個人の体感として25歳を一つの壁として音