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ストリートシーンで取り戻すことができた熱苦しくて人間臭いもの

5月の後半にとあるきっかけがあってスケートボードを10年ぶりに再開した。
10年前にスケートボードをしていた場所は海の家に隣接した大きなスケートパークで治安は決して良いと言えるような場所ではなかったけども
当時、20歳で友達も結婚をしていなかったから毎日のように夏は友達とそのスケートパークでランプ(Uの字のセクション)を楽しんでいた。
今はそのスケートパークは取り壊されてしまってもう海にあるスケートパークでスケボーはできない。

10年越しのスケボー再開なわけだが10年も経つと初心者と言って良いぐらいに全く滑れなくなっていた。
ランプではドロップイン(落下するように滑る動き)から始まるわけだが案の定、盛大に転んでしまう。ランプは転ぶとすごく痛い。

スケートボードのセクション、ランプ


きっとスケートパークにいる中で自分が一番下手くそだろう…。それでもスケートパークにいるスケーター達ははじめましての僕に対して暖かく出迎えてくれた。

「君、10年ぶりにスケボーを再開したんだって!いきなりランプから始めてすごいなぁ!」

そう言ってくれたスケーターは軽やかに気持ち良さそうにランプを滑っていてめちゃくちゃ上手い人だ。

なのに全くスケボーでランプを滑れないどころか転んでばかりの僕にそう言ってくれた。

「なんで僕よりも遥かに上手い人がそう言ってくれるんだろう?」最初はお世辞で言ってくれてるんじゃないかと思っていた。

スケーター仲間達


10年ぶりにスケボーを再開するとやっぱり爽快感が最高でスケボーパークに通うようになった。

成長して新しい技ができるようになることやスケーター仲間同士で一緒にランプで滑ることに充実感を感じて雨の日だろうが、閉館30分前でも行くようになった。

純粋にスケボーが楽しいというその感情だけで取り憑かれたように滑った。

ある日、いつもより高いランプで滑っていた。ランプが高くなるということは傾斜がきつくなって転んだら怪我をする可能性が高くなる。

その日、思いっきり足を捻って転んで寒気がするレベルの痛さだった。痛いを通り越すと寒くなるというのを初めて味わった。

痛すぎて歩けないどころか寝て目が覚めるとあまりの痛みに泣き出しそうになるレベルだ。病院に行っても医者は

「湿布を貼って安静にしてください」

そう言うだろうと思って病院が嫌いな僕は行かないわけだが今となっては捻挫、もしくは骨折しているんじゃないかと思うぐらいの痛みだった。

それでもスケボーパークに行く。めちゃくちゃ痛いがランプを滑る。
案の定、上手く滑られるわけがない。でもなぜか滑らないといてもたってもいられなかった。

「さすがにそれぐらいの怪我で滑り続けるのヤバいから一旦一週間ぐらいは休んだほうが良いよ。俺も今、鎖骨を骨折してるけどさすがに足が怪我してる状態は危険だ。」

スケーター仲間の一人がそう言ってきてくれて、僕もこのままでは怪我が完治しないままになるだろうと思って一旦、一週間休んで怪我を治した。

鎖骨を怪我しているのになんでスケボーを続けるんですか?と聞いたら

「スケボーが好きだからだよ」

たったそれだけの言葉が返ってきた。

怪我が治ってからもう一度ランプで滑るようになった。
ランプには初心者でも滑りやすいように紐が吊るしてある。
あの怪我の痛みを知ってまたすぐに怪我をするのはまずいということでしばらくは紐を持って滑るようにした。

「そろそろ紐無しでも滑れるんじゃないか?」

いつも一緒に滑ってくれるYさんがそう言ってきてくれた。転んで足を捻る痛みがトラウマになっていたがやってみるしかないとそう思って紐無しで滑ってみた。結果としては盛大に転んだ。すると

「おおおおお!!お前すごいな!!」

スケーター達から拍手と歓声が上がった。
盛大に転んでいるし、技も成功したわけじゃない。なんで評価されるんだろう?そう思って「この歓声と拍手は何なのですか?」と聞いてみたら

「お前の生き様に対する拍手だよ!勇敢にランプに紐無しで挑戦しにいってるじゃないか!」

拍手と歓声はたったそれだけのことだった。
勇敢に挑戦している姿をスケーター達は評価をしてくれたと言うことになる。
数字や結果ではなくて挑戦する姿を評価する世界
をそこで初めて知った気になっていた。なんて素晴らしい文化なんだ…。
でもどこか昔に感じていた懐かしさと充実感がそこにあった。この感覚は初めてではなかった。でもそれがどこで感じていたのかその時は思い出せなかった…。

ある日、スケーター仲間から飲み会をするからこないか?と誘いがあってその日から仕事で連日忙しかったのだが行ってみることにした。
スケーター達は僕のことを受け入れてくれていたのか笑顔でハイタッチをしてくれてビールを飲んでいた。
すると奥の方で大声がした。何事だ?と思って様子を見に行くとスケーターが二人で睨み合っていた。

「スケボーを点数で決めようなんて俺たちの生き様はそんな浅はかな物差しで決められるほどのものじゃないだろ!!」

スケボーの大会を主催するイベンターに対して一人のスケーターがそう言ったのだ。
僕も盛大に転んで勇敢に挑戦する姿をスケーター達から拍手をもらったことがあるから生き様を数字で表現するのは同意はできなかった。

「今のあなたはダサい!でもかっこいい時のあなたを知っているからまたかっこいい時に戻って欲しいと思ってるから俺は本気で言ってる!今、感情的になって俺のことを殴ってスッキリするなら殴ってくれ!それでも僕はあなたのことが人として大好きだから嫌いになんかならない!」

今にも殴り合いが起きるんじゃないかと思うくらいの睨み合いだったけどもすごく本気で語っているのは伝わってきていた。
青春マンガのワンシーンなんじゃないかと思うくらいの熱さがそこにはあった。

結果的にその二人のスケーターは殴り合うことはなく、肩を組んで仲良くビールを飲んでいた。
お互いがその熱さを感じて尊敬し合っているからなのだろうと僕はその時、思った。

きっといまの時代ではそんな熱い語り合いなんてしたら「何だこのおせっかい野郎は」で嫌われて終わるんだろうと思う。

僕も実際に3月に女友達に似たようなことを言った結果。

「もう2度と会わないで欲しい」

そう言われてしまった。

友達とよく飲んでいたお酒「MONKEY47」


「今のお前はヌルい、いま本気で頑張ってる同世代は余裕なんてぶっこいてないよ」

と自分はその友達に言ったわけだがその言葉には嘘はなかったのと本気でかっこいい姿に戻って欲しいと思っていた。それでも絶交と言う形になってしまった。

でも本気で腹を割って語って嫌われるんだとしても自分自身はその友達を嫌いになることはないんだろう、先ほどのスケーターと同じ精神がある。

しかし肩を組んでビールを飲むことはないとなるならば友達と思っていたのは自分だけだったのかと思うことには寂しさを感じる。でも後悔はない。

なぜならばその友達のかっこいい姿を知っていて、またそのかっこいい姿に戻って欲しいと言う気持ちは本気だったからだ。

言い方はデリカシーのない言葉だったかもしれないがその言葉の中身には嘘偽りはなかった…。

8月の後半にバンド仲間から「ライブがあるからきてほしい!」と言われた。僕はたまたまその日が空いていたから足を運んでみた。
そのイベントは地元音楽シーンのフェスでテレビCMが毎日のように流れるイベントだった。

大きな音楽ホールを使ったライブイベントで出演者も多く、2日間開催されるものだった。行ってみるとなんと観客は30人もいないくらいでホールの中はガラガラだった。

1日目に参加して地元アーティストのライブを見てみた。イベントとして集客数はきっと大失敗なのだろうと思った。
でも素直に地元バンド達がライブをしている姿は僕の目には輝いて見えたし、素直に感動した。動員だけで考えれば良くない結果かもしれないが人を感動させた事は事実だ。
出演アーティストの一人がMCでこんなことを言っていた

「会社を辞めたいと言っている後輩に頑張れ!前向きに歩いていこう!
そう言ってみた言葉は振り返ってみれば残酷で浅はかな言葉だったと思う。きっといまは別の言葉を与えられるかもしれない。今の僕の表現方法の音楽で誰かを勇気付けられるなら例え音楽で食えなくなってそれでも良いと思うんだ」

家に帰ってみたらそのMCが心にずっと残っていて
なんだかいてもたってもいられなくなってアコースティックギターを持って家を飛び出して、気がついたら近くの公園のベンチで今まで作ってきた曲を全部歌ってみた。
するとなんだか自分もまたステージに立って誰かを勇気付けられるような気がしてきた。

その事を地元のバンド仲間に話をしてみると「とりあえずスタジオに入りません?」っていう話になり、本当ノリでスタジオに入って何か曲を合わせるわけでもなく
セッションというよりはただ爆音でアンプからギターやベースの音を出してドラムと音を奏でる。本当にそれだけのことをした。

でもすごく充実感があって、アンプから流れるギターの力強い音に胸の高鳴りを感じた。素直に心地良いという感覚と充実感がそこにあった。

スタジオでただ爆音を出して楽しむなんて別に一銭にもならないし、Youtubeに投稿する動画の再生数やSNSのいいね!の数には何の影響もないことだが好きなことに素直に心地良いと思う、そしてそれを心の底から感じる。ただそれだけのことだ。

本来好きなことなんてそれだけのことで良いのだ。

ここ数年、自分にはずっと何かが足りないと感じていた。世間的に大人が喜びそうな結果は出せたと思う。
それでも心には何か物足りなさがあった。
高い酒を女性に飲ませてみても虚しさだけが残って充実感など生まれなかった。
好きなことを精一杯やって素直に楽しいと感じて、お金にも再生数にもいいね!にもならなくても、例え怪我をしようが充実感や心地良さを感じればそれで良いということをもう一度取り返せたのは僕にとってめちゃくちゃ大きなものになった。

そして尊敬する仲間には腹を割って話することの大切さ、その仲間が好きならば本気で語ってみた方が良い。それで嫌われたならば仕方がない。
本気で仲間を想っていて自分の気持ちに嘘のない言葉を発したならばきっと後悔はない。

これらは社会的に見れば別に一銭にもならないし、価値があるかないかはその人が決める事だ。
本気でそれを思えるかどうかはお金では買えない。
好きなことを楽しむなんてのは基本お金にはならないし、自己満足で完結することがほとんどだ。

でもきっとその本気で好きなことに取り組んでいる生き様を誰かが見たら勇気付ける事はできるかもしれない。

生き様は点数では計り切れない。
お金で買えないものがその先にはきっとある。そう思うきっかけをストリートの文化が色濃く残っているスケートシーンが教えてくれた。
だから音楽も再生数やいいね!ぐらいで全てを評価されるような気分になるのはもったいないんじゃないかと感じた。
仮に子供達に数字を気にしまくったアーティストの姿を見せたら憧れるとは思えない。

地元アーティストのライブを見てもう一度ステージに立ってみたいと想った僕のライブなんてやってみたところで点数で測ってみても大したものにはならないだろう。

それでもステージに立ってみたいと思うのはスタジオで爆音を出した自分に充実感があって楽しいと思えた。
そして自分の生き様を晒してみて誰かに勇気付けられるとしたらそれはお金では買えない何かを誰かに与えることができる。

今の世の中に生きる人たちに共通しているのは本気で誰かと腹を割って話すことに誰かを傷つけ、自分も傷つけられることを恐れている。

怪我をしてでも挑戦してみてやっと何かを得られるものがあるのにみんな傷つけられることを恐れているのだろう。

僕はもう一度、好きなことを素直に感じて暑苦しくも人間臭い世界を取り戻したい。自分がステージに立ってみて誰かに生き方は数字やいいね!の数だけでは計り知れないものだぞと伝えていきたい。

そして自分の周りだけでも良いから熱い文化にしていきたい。
これは自分のやること全てで誰かに伝えていけるようになりたいと思う。

最近決まった僕のテーマが3つある

・Respect
自分に関わってくれる人の良い部分をリスペクトして自分も相手も成長にしていく
・Retry
ミスをしても例え怪我をしようとも勇敢に挑戦した姿に誇りを感じよう
・Remake
何かがきっかけで変わってしまったこの世界を自分の生き方で変えていこう

この3つを行動指針として僕は生きていこうと考えている。

今の時代が好きなお金や再生数、いいね!を今後、自分の人生の中で手にしていくかは知らないし、頭が良くなくて不器用な自分では考えたところで上手くいくとも思えない。
でも自分の人生で誰かを勇気付けていく、夢を与えていく、その副産物として手に入れられぐらいで良いんじゃないかと思う。
「あいつに会ってみて欲しい!熱くてかっけぇやつだから」口コミでも良いからそう言われるそんな生き方をしていきたいと思う。


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