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ただの毎日

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プラスでもマイナスでもない、たんなる日々のこと。
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5月2日、編集者日誌:企画持ち込み

5月2日、編集者日誌:企画持ち込み

むかしわたしは役者の仕事をしていた。小さいころはただ言われた通りオーディションに行く毎日だったけど、大きくなってプロダクションに入ってからは、いわゆる「営業」というのをさせられた。

自分のプロフィール用紙を持ってマネージャーとテレビ局やらに行き、「お願いします!」みたいなことを言う。そのほかにマネージャーや事務所のつきあいで「わたしを見てくれる人」がつかまると、その人に自分をアピールする時間がも

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4月30日、編集者日誌:入稿

4月30日、編集者日誌:入稿

この連休の合間3日を休んで10連休にするアイデアもあるらしいが、そんなに休んだら後が怖い。と思うのはわたしがワーカーホリックだからだろうか。年中仕事を優先していることをそう呼ぶならわたしは無事立派な仕事中毒だが、ゲーム好きがゲームをいちばんにする程度のことだ。

さて、わたしはこの中3日で、なんと一年も制作してきた書籍を入稿する。入稿とは、ぜんぶのページがきちんとできあがり、もうこれ以上直すところ

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3月24日、目玉焼きごはんと全敗の将棋大会

3月24日、目玉焼きごはんと全敗の将棋大会

8歳の将棋大会があった。大会への出場は初めてで優勝する気もまんまんだったが、なんと最初から最後まで一度も勝てなかった。

実は最近負け続きだ。教室から出てくる息子の顔がこのごろいつも暗い。通いはじめたばかりのころは勝ちを数えるのが楽しかったのに、ここ数ヶ月は負けることのほうが多い。勝てないと級が上がらないのに、その間に下の級にいた友だちがぐいぐいと迫ってきて、焦りも見えた。

それでも将棋が好きだ

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3月17日、蕗のおひたし

3月17日、蕗のおひたし

蕗の皮をむいていると、思いだすことがある。小学校低学年のころよくとおっていた通学路に、蕗のようなストロー型の植物が生えていて、その皮をむいて齧りながら帰った。

母が教えてくれた。まだひとりで家まで帰れなかったころだから、小学校にあがってすぐだったんだろう。これ食べられるんだよと皮をむいてむしゃむしゃと食べはじめ、ぎょっとして母を見ると、太いほうがおいしいよとその茎を渡された。

ならって皮をむく

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3月16日、食パン

3月16日、食パン

掃除機が壊れた。
もう3ヶ月は前のことだ。なんか調子悪いなあ、というタームも挟まず、ある日突然唸るだけになってしまった。フィルターの掃除をして、全部取り外して調べたけれど、どこの調子がどう悪いのかまったくわからない。フィルターのふたが半開きになっていることさえ教えてくれる最新機器なのに、予定にないエラーについてはなんの表示もされない。

さんざん格闘したがようすが変わらないのでそのまま置物と化し、

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フリーランスは誰かに守られている(のかもしれない)

フリーランスは誰かに守られている(のかもしれない)

はじめて会社というところで働いたとき、わたしは編集の仕事についた。「会社」どころか「世の中」の仕組みもたいしてわかっていなかった19歳、おとなになるために必要なほとんどのことは、そのときの上司が教えてくれた。

その日わたしは、デザイナーから上がってきた修正後の原稿を見ながら、自分が入れた原稿の朱字がきちんと直っているかどうか確認していた。そして何ページか読んで、全然直っていないことに怒っていた。

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うまく言えないけど

うまく言えないけど

ある方にご依頼をいただいて、
3年前にエッセイを一本書きました。
いまは亡き恋人に出会ったばかりのころの、わたしのことを書きました。

ご依頼がなかったら、わたしはきっとこのことを書かなかったと思う。

書く機会をくださり、ありがとうございました。

当時、有料での公開だったので、あらためてシェアしました。

あるフリーライターおよびフードコーディネーターの一年(2022年お仕事ふりかえり)

あるフリーライターおよびフードコーディネーターの一年(2022年お仕事ふりかえり)

昨年に引き続きまして、一年のお仕事を振り返るnote。ひとつひとつのお仕事に思い入れがあるため、プロフィールのようにはまとめきれず、大変長いです。また、フードコーディネーターのお仕事は、契約上名前が出せないものが多いので掲載しておりません。詳しくはお問い合わせくださいませ。

さて。
今年は、とてもとてもたくさんの本をつくりました。一冊まるっと関わることが多く、責任重大ではあったけれどそのぶんやり

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いつからお母さんになったのか

いつからお母さんになったのか

いつからお母さんになったのか思いだしてみたけどわからなかった。

少なくともあの子を産んだ15年前の今日、わたしはただの女の子だったと思う。欽ちゃんの仮装大賞の得点みたいに毎年お母さん度が上がっていったのかな。なんとなくそんな気がしている。

ということは紛れもなくわたしはいま、
お母さんだと自分のことを思っている。

爪に色を塗ったりしない。
派手なメイクをしたりしない。
ヒールを履いたり、赤ち

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あの子が学校に行けなくなったときのこと

あの子が学校に行けなくなったときのこと

はじめて学校に行きたくないと言われたとき、いやいやまさか、と思った。学校で起こっていた事態は把握していたが、わたしはどこかで、そこまでのことじゃない、と思っていた。

そもそも娘はびっくりするほど楽観的でポジティブで我が道をいく性格なので、そんなこと気にしなくても大丈夫でしょうよと思ったし、一度休んだら余計に行くのが難しくなるだろうと思った。

ただめんどくさいから今日は休みたい、というのとは違う

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ただの休みだったお盆が誰かを想う瞬間になる

ただの休みだったお盆が誰かを想う瞬間になる

お盆が終わった。

東京では7月に行うところが多く、7月13日の朝は外へ出るなり煙の新しい匂いがする。8月にするうちもある。自転車に乗って子どもを送りながら、いろんな玄関先に残る灰をながめ、あのうちには誰が帰ってくるのだろうと考える。

その匂いに、むかしむかし祖父母の家で茄子に割り箸を刺した記憶と、仏壇に次々に届く菓子折りの記憶が重なる。祖母は食卓いっぱいにご馳走をつくるのに、誰もこない。お祝い

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43歳、はじめて野球観戦に行く

43歳、はじめて野球観戦に行く

[5月14日のこと]

友だちが巨人×中日戦のチケットをくれた。

なんと野球観戦ははじめてのこと。というか、テレビでだってほぼ野球を観たことがない。子どもたちはルールも知らないし。でも行けばなんとかなるよね!と、楽しみにこの日を待っていた。

が、数日前に、あれ、もしかして雨だったら中止なのかな…? カッパとか着なきゃかなとよぎり、チケットを確認すると、東京ドームとある。

えーっと、ドームって

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文系母と理系7歳の将棋ライフ

文系母と理系7歳の将棋ライフ

子どもはいつもなにかしら新しい出会いを連れてきてくれる。娘のときはシュタイナー教育やヴァイオリンを学び、もうひとり子どもが産まれれば当然そこを繰り返していくんだろうと思いきや、娘と息子だからなのか個の違いなのかなんなのか、今わたしはまったく違う景色を見せられている。ひとつには、将棋である。

将棋とわたしの接点といえば、小説を書いていた若いころ、恐れ多くも団鬼六先生の席に何度かお邪魔し、さまざまな

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6歳が、コロナになった。

6歳が、コロナになった。

6歳が、コロナになった。

でもそんなことより、コロナという言葉の恐ろしさとわたしの無頓着さが6歳を傷つけたことのほうが、ずっと怖いことだった。

コロナだとわかったあと、家に帰ってきてしばらくしてから、布団にいた6歳が急にぽろぽろと涙を流して泣いた。

「…もっとこれから悪くなるかもちれない」

きっと陽性だと知った瞬間から絶望していたのだと思う。毎日何人の感染者、毎日何人の死亡者、毎日何人の入

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