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5月2日、編集者日誌:企画持ち込み
むかしわたしは役者の仕事をしていた。小さいころはただ言われた通りオーディションに行く毎日だったけど、大きくなってプロダクションに入ってからは、いわゆる「営業」というのをさせられた。
自分のプロフィール用紙を持ってマネージャーとテレビ局やらに行き、「お願いします!」みたいなことを言う。そのほかにマネージャーや事務所のつきあいで「わたしを見てくれる人」がつかまると、その人に自分をアピールする時間がも
4月30日、編集者日誌:入稿
この連休の合間3日を休んで10連休にするアイデアもあるらしいが、そんなに休んだら後が怖い。と思うのはわたしがワーカーホリックだからだろうか。年中仕事を優先していることをそう呼ぶならわたしは無事立派な仕事中毒だが、ゲーム好きがゲームをいちばんにする程度のことだ。
さて、わたしはこの中3日で、なんと一年も制作してきた書籍を入稿する。入稿とは、ぜんぶのページがきちんとできあがり、もうこれ以上直すところ
フリーランスは誰かに守られている(のかもしれない)
はじめて会社というところで働いたとき、わたしは編集の仕事についた。「会社」どころか「世の中」の仕組みもたいしてわかっていなかった19歳、おとなになるために必要なほとんどのことは、そのときの上司が教えてくれた。
その日わたしは、デザイナーから上がってきた修正後の原稿を見ながら、自分が入れた原稿の朱字がきちんと直っているかどうか確認していた。そして何ページか読んで、全然直っていないことに怒っていた。
あるフリーライターおよびフードコーディネーターの一年(2022年お仕事ふりかえり)
昨年に引き続きまして、一年のお仕事を振り返るnote。ひとつひとつのお仕事に思い入れがあるため、プロフィールのようにはまとめきれず、大変長いです。また、フードコーディネーターのお仕事は、契約上名前が出せないものが多いので掲載しておりません。詳しくはお問い合わせくださいませ。
さて。
今年は、とてもとてもたくさんの本をつくりました。一冊まるっと関わることが多く、責任重大ではあったけれどそのぶんやり
6歳が、コロナになった。
6歳が、コロナになった。
でもそんなことより、コロナという言葉の恐ろしさとわたしの無頓着さが6歳を傷つけたことのほうが、ずっと怖いことだった。
コロナだとわかったあと、家に帰ってきてしばらくしてから、布団にいた6歳が急にぽろぽろと涙を流して泣いた。
「…もっとこれから悪くなるかもちれない」
きっと陽性だと知った瞬間から絶望していたのだと思う。毎日何人の感染者、毎日何人の死亡者、毎日何人の入