見出し画像

あの子が学校に行けなくなったときのこと

はじめて学校に行きたくないと言われたとき、いやいやまさか、と思った。学校で起こっていた事態は把握していたが、わたしはどこかで、そこまでのことじゃない、と思っていた。

そもそも娘はびっくりするほど楽観的でポジティブで我が道をいく性格なので、そんなこと気にしなくても大丈夫でしょうよと思ったし、一度休んだら余計に行くのが難しくなるだろうと思った。

ただめんどくさいから今日は休みたい、というのとは違う。「行きたくない」は「もう二度と行かない」であり、ひとり親でフリーランスのわたしと、留守番がほぼできない娘という状況も手伝って、どうにか気持ちを切り替えて出かけてほしかった。

行かないなんてあり得ない。とにかく家を出なさい、お弁当もつくったし、と、歯の裏側まで言葉がきていたのに、わたしはそれをいったん押し戻して「わかった」と言った。

その日の自分のことは、今でも褒めてあげたい。学校に休みの連絡をし、取材先のすぐそばに娘が待っていられるような場所はないか探し、図書館を見つけてそこに娘を待たせて取材に行くことにした。

娘は何も言わなかった。どうして行きたくないのか行かないと決めたのか何が嫌なのかどうなったら行くのか。

すべての質問にわからないと答えられて正直苛立ってはいたが腹を括るしかなく、とにかくその後すべての仕事先に娘を連れて行く許可をとった。

小学校高学年とはいえ我が子の中身は低学年程度、静かに本を読んで待っていられるほど大人じゃない。それでも取引先の人はどの方も連れておいでと言ってくださったばかりか、相手をしてくれたり娘のことを褒めてくれたりして、自己肯定感が失われそうだった娘のストッパーになってくださった。

ふだん顔を合わせる方々ばかりでなくはじめて取材でお会いする方もたくさんいたが、みなさんどうぞどうぞと言ってくれ、娘にお菓子を出してくれたり娘の意見を聞いてくれたりした。想像よりずっと世間は柔軟で、優しかった。

娘が学校に行かなくなった理由は明確のように思えたが、しばらくたってあるとき娘が言ったのはわたしが思っていたこととはまったく違うことだった。

わたしは、わたしたちは、起こった事件ばかり見つめ、ふたたびそうならないようにとばかり考えていたがそうではなかった。それは目にはっきり見えるものじゃなく、だれかの視線の配り方、足音、手の動き、ため息、その子の場所からでなければ感じられない「自分が受け入れられていないと感じるちいさな事象」の積み重ねで、大きな事件よりもずっとそのことの方が大きく重く、彼女にのしかかっていたのだった。

そのことを知ったとき、わたしは娘が学校に行きたくない理由をなぜ話さなかったのか思い至った。話さなかったのではなく、自分が感じたことに自信がなくて話せなかったのだ。この話をしたときも娘は「わたしの勘違いかもしれないけど」「わたしが思い過ぎなのかもしれないけど」と何度も繰り返し、自信がなさそうにしていた。

無視されたかもしれないけど、聞こえなかっただけかもしれない。お願いしたはずだけど、単に忘れられちゃっただけかもしれない。わたしが悪いから、怒鳴られても仕方ないのかもしれない。

わたしはそのときこう言ったと思う。「まんいちすべてが勘違いだったとしても、あなたが感じたということは事実だから、誰がなんと言っても自分の心が感じたことを正解としていい」。

それはわたしがこれまで生きてきて、いろんな場面でいろんな人から言われてきたことでもあった。自分の気持ちを信じること、自分の心が正しいと思うこと、直感を捨てないこと、なんとなく、を大切にすること。幸運なことに、わたしはあらゆる場面でそうさせてもらって生きてきたし、そう背中を押してもらってきた。

そのことを話して数日後、娘は大きな決断をして、結果的に今とても楽しい生活を送ることができている。

靴がなくなることより相槌が返ってこなかったことの方がより苦しいこともある。だから何が言いたいのかっていうと、学校に行きたくない気持ちなんて誰にもわからないのだから、行きたくないと言った人の気持ちをただ認めればよかったんだな、と今は思うということ。

理解できなくても意味がわからなくても尊重するというのは時として難しい。そんな理由じゃわからないよって言いたくなることもある。でもおとなが思うより子どもは自分のことが見えていて、そして大人が思うよりずっと、頭と心と言葉が繋がっていないんだよね。おしゃべりがじょうずにできたって、気持ちや起こったことを言葉にするって、意外と難しいもんなんだ。

そのことをわたしもしっかり確認する夏休みの終わり。あのときは娘がお世話になりました!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?