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兎がほざく

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ショート•エッセイ、140字以内。毎日投稿、どこまで続く?
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#エッセイ

兎がほざく1251

兎がほざく1251

カリスマは支持者がつくるものです。

カリスマ本人は最後のところで支持者ができるかどうかに任せるほかありません。

完全セルフメイドではないのです。

その最後のところに不思議があります。

この不思議は解明されないでしょうが、不思議のままでいいと思います。

兎がほざく1250

兎がほざく1250

他力の救いに任せきるというのは信の力づくでなくふっと疑いが消えることだといいます。

そんな心にぼくはなることができるでしょうか?

でも任せきるのはあの世でのことです。

この世で昼寝して暮らすというのは早いです。

あの世はあの世、この世はこの世。

兎がほざく1249

兎がほざく1249

他力の救いを求めるということ。

あの世のことは向こうさまにお任せしきって、この世で一生懸命生きることに専念するわけです。

任せきるのですから得点を稼いであの世に優等生で迎えてもらうのではありません。

人間は超人にはなれないしなるべきでもないという考えでしょう。

兎がほざく1248

兎がほざく1248

作者と作品とは別かどうか考えています。

作者が創作に感じている喜びと作品とは切り離せないと思います。
その喜びが作品の魅力だからです。

でも創作されたのは過去であり現在ではないです。
作者は過去にはもういないのです。

だから作者自身は作品にはいないのです。

兎がほざく1247

兎がほざく1247

街の中でも街路樹がふっと匂うことがあります。

嗅覚はフィルターなしに心に作用する気がします。

それはうそのまじりにくい感覚です。

とりわけ好き嫌いを自分にいつわるということが難しい感覚です。

だから珈琲の香りで自分の正直な心を取り戻したりします。

兎がほざく1246

兎がほざく1246

もしも自分がいなくなった後にもこの世に自分の影法師が残ったらどうでしょう?

影法師はさぞかし心細いでしょう。

しかも影法師は自分ではものも言えなければ動くこともできないのです。

あとに影法師もなんにも残らずただ忘れ去られるのが幸せと思いはじめています。

兎がほざく1245

兎がほざく1245

たとえば鉄道ファンが蒸気機関車の汽笛や煤煙に感じている愉悦。

なぜ愉悦を感じるかは門外漢にはわかりません。

でも愉悦は門外漢にも伝わります。

それは理解とも共感とも違うものです。

そういう愉悦がその人のキャラクターの魅力を形作るのでしょう。

兎がほざく1244

兎がほざく1244

いつも同じようなことを言い換えているだけでも聞く人や読む人に響くことはあると思います。

書いている人が書くこと自体に感じている愉悦のようなものが伝わればきっと響きます。

読む人はためになることを読めばうれしいわけではないはず。

ぼくは読み手としてそう思います。

兎がほざく1243

兎がほざく1243

ぼくは心が敏感肌のようです。

フィクションのはずの作品のつらさや悲しさを自分のこととして体験してしまいます。

どんなに素晴らしい本でも、自分がほっと息のつけるところを探してしまいます。

甘口好みかもしれません。

そうして無意識に自分を守っているのでしょう。

兎がほざく1242

兎がほざく1242

ダヌンツィオの作品に、夜の間は世界すべてが自分のものという幻に酔って日の出の前に英雄になるんだという詩があります。

闇、破壊、偽りの万能感。

でも太陽にはなれないのです。

朝の光は人を生活に連れ戻します。

闇に目が利くコウモリは酔ったりしないのでしょう。

兎がほざく1241

兎がほざく1241

愛の言葉が受け入れられないとして。

それは相手がほしくないものを差し出したから?

それともないものを差し出したつもりになっただけだから?

愛の言葉とは効能書きのようなものかもしれません。

世界すべては差し出せないのです。

詩は不可能を背負っているのです。

兎がほざく1240

兎がほざく1240

文章を読むとは理解するだけではなくその生地のようなものを感じることです。

わからなくてもそれを感じてさえいればいいのでしょう。

ぼくは文章を読んだ感想を書くときついそれを忘れてわかったつもりのことだけを繰り返してしまいます。

著者が喜ぶような感想を書きたいのに。

兎がほざく1239

兎がほざく1239

自分にとってよくわからない不可解なものをそのまま言葉で書き取るという書き方もありだと思います。

わかっていることをほかの人に知らせようとする書き方とは別の書き方です。

なんでぼくはこういう人生になったのか不可解です。

なんでこの世界はこうなのかも不可解です。

兎がほざく1238

兎がほざく1238

また変わったことを言ってみます。

時間とは始めと終わりがあってはじめて時間になります。

だから時間をあらしめるために誕生も死もあるのです。

後者はなんでこんなものがとみんな思いますがないわけにいかないのです。

終わりがなければ始めもないから。

時間とは一生です。